2015年12月12日
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2015年12月12日
1956年の今日、12月12日は、三木聖子の誕生日。アイドル・ポップス史に残る珠玉の名作「まちぶせ」の初代歌唱者である。
三木聖子の歌う姿を最初に観たのが何の番組かは忘れたが、ポニーテールの可愛らしい女の子が、マイクを両手で持って歌う姿に、新人らしいフレッシュさの中に翳りを感じ取ったことを覚えている。それ以前に、彼女は数本のドラマに顔を見せていたが、そのうちの1本が、沢田研二が三億円事件の犯人を演じたTBS『悪魔のようなあいつ』で、沢田の脚の悪い妹役だった。
1976年6月25日のデビュー曲「まちぶせ」は作詞・作曲が荒井由実、編曲は松任谷正隆。この時期、ユーミンはバンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」と自身の「あの日にかえりたい」の大ヒットで、一大ブームを起こしていた。三木聖子が所属する渡辺プロダクションとユーミンの接点は、75年8月のアグネス・チャン「白いくつ下は似合わない」の楽曲提供が最初。とはいえ、まだニュー・ミュージックのアーティストに、新人歌手のデビュー曲を任せるのは冒険だったであろう。
「まちぶせ」はフランソワーズ・アルディの「さよならをおしえて」をヒントにしており、スタッカートを強調したメロディ、一見循環コードのように聴こえるオールディーズ風の味付けがなされている。サビの「好きだったのよあなた」の声がかすれ気味だが、そこがかえって切なさと切実さを強調している。ユーミンが三木聖子に聞いた実体験を歌詞に織り込んだ詞は、この時代にしては積極的な女の子像で、従来の歌謡曲にないリアルなものであった。
B面の「少しだけ片想い」はユーミン前年のアルバム『コバルト・アワー』に収録された、こちらもオールディーズ調の曲。シンガー・ソングライターの持ち曲がそのままアイドルに流用されるケースは極めて珍しかった。実際、74年のアルバム『ミスリム』収録の「魔法の鏡」も、76年にアイドル女優・早乙女愛がシングル発売しており、当時22歳だったユーミンの描く10代少女の主体的な感情や自意識は、アイドル・ポップスに直結可能だったのである。
三木聖子が所属していたNAVは、キャニオン・レコードの系列で、所属歌手のほとんどがアイドルという異色のレコード会社であった。楽曲制作にも歌謡界のヒットメーカーを重視せず、気鋭のニュー・ミュージック系ライターを積極的に起用していた。「まちぶせ」のバックは鈴木茂、林立夫、後藤次利らで、唯一のアルバム『聖子』にもティン・パン・アレー系列のメンバーが多数参加している。「まちぶせ」はそんないくつもの出会いが生んだ、新しい時代のアイドル・ポップスであった。
最後に三木聖子を観たのは、77年の春。レギュラー出演していたTBS『ぎんざNOW!』のエンディングで、3作目のシングル「三枚の写真」を歌っていた。松本隆の作詞、大野克夫作曲のスロー・バラード。ポニーテールの髪を下ろし、寂しげに歌う姿が印象深かったが、程なくして彼女が結婚・引退したことを知る。三木聖子は3枚のシングルと1枚のアルバムを残してこの世界から去っていった。
「まちぶせ」に再びスポットを当てたのは、甲斐バンドのベーシストからキャニオン・レコードのディレクターに転身した長岡和弘。彼が抱える渡辺プロのアイドル、石川ひとみの新曲にこの曲を選んだ。当時、美人で歌唱力も高いが3年間ヒットのなかった石川ひとみは、この曲で歌手生活の区切りになっても悔いはないという思いがあったという。現役アイドルがカヴァー曲を歌う例は珍しかったが、松任谷正隆も原曲と同じ演奏メンバーで、前回で納得いかない部分を修正してのリアレンジを施した。石川版の「まちぶせ」は81年4月21日に発売され、オリコン・チャート6位まで上昇する大ヒットとなり、デビュー4年目にして彼女の代表曲となった。
96年には遂に、作者自身が荒井由実名義で歌った。この年のユーミンは夏に独身時代のナンバーを歌うプロジェクトがあり、これに先駆け「まちぶせ」がシングル発売されたのである。レゲエ風にアレンジされ、40代のユーミンがアイドル顔負けの振り付けで歌う姿はパロディにも思えたが、「まちぶせ」に描かれた少女の心理が、女性にとって年齢を重ねても変わらぬ永遠の感情であることを証明したともいえる。珠玉のアイドル・ポップスがスタンダードになった瞬間でもあった。
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