2018年10月10日
スポンサーリンク
2018年10月10日
10月10日といえばかつての「体育の日」、そして「目の日」でもあるが、今から51年前の今日、1967年の10月10日は、歌手・中村晃子の代表作「虹色の湖」のシングルが発売された日であった。グループサウンズ全盛時代、その要素がふんだんに盛り込まれた曲調から、後にいわゆる“一人GS”の代表曲として認識されることになる傑作であり、中村晃子を一気にスターダムへのし上げた大ヒットとして知られる。テレビでも数々の歌番組で披露され、とどめは翌68年に初出場を果たした『第19回NHK紅白歌合戦』のステージだった。
中村晃子が芸能界入りするきっかけとなったのは、高校在学中の63年に「第2回ミス・エールフランス・コンテスト」の準ミスに入選したこと。まずは64年に松竹と契約して女優デビューを果たす。キュートなルックスからやがて主役級に抜擢されるようになり、66年には当時若手青春スターとして売り出し中だった田村正和の主演作『雨の中の二人』でヒロイン役を務めた。田村とのコンビ作では、日本初のモッズ映画として紹介された同年公開の『空いっぱいの涙』も印象深い。また、ソフト化されて現在DVDで入手可能な作品では、68年に公開された『進め!ジャガーズ 敵前上陸』がある。歌手としてブレイクしてからのこの映画でも大いにフィーチャーされ、ヒロインとしてハツラツと躍動する姿が見られる。作家・小林信彦が中原弓彦名義で脚本を手がけたことでも知られる、必見のGS映画である。
新進女優として大いに期待されていた彼女が同時に歌手の道も歩み始めたのは、オペラ歌手だった母親の影響もあったことだろう。最初のレコーディングは17歳の時。65年10月に発売された「青い落葉/東京のイブ」がデビュー・シングルとなった。キャッチコピーは“和製ブリジッド・バルドー”であった。自身のことが歌われたようなB面曲の「東京のイブ」には、当時『イヴの総て』で新進女優役を演じたアン・バクスターのイメージも託されていたかもしれない。いずれにせよ、ティーンエイジャーの頃から既に男性を翻弄するような小悪魔ぶりを発揮していたとおぼしく、以降もそれは彼女の最大の魅力として発揮されてゆく。この時点から既に横井弘と小川寛興のコンビが作詞と作曲を手がけていたが、デビュー曲「青い落葉」は残念ながら大きなヒットには至らず、歌手としてブレイクするのは少し先になる。
続けて出された「霧情」「私のせいじゃない」「私はマジョリーナ」もいずれも佳曲ながらヒットせず、高田弘が作曲を手がけた「あなたはどこへ」を経て、再び横井×小川コンビに戻っての6枚目「太陽に恋をして」はそれまでにない明るいポップスとなる。カップリングの「フラワー東京」には、60年代終わりのアメリカの反戦運動から派生した、ヒッピーたちによるフラワー・ムーヴメントが反映されていた。同じ頃、日本の若者たちに支持され、世を席巻したのがグループサウンズ(=GS)ブームであった。その大きな波は歌謡界の主流であった女性ポップスの世界にも拡がりを見せ、彼女たちの作品でGSの影響を色濃く受けたものも多くヒットした。もちろん男性ポップスにも該当するが、華やかさの点ではやはり女性シンガーに人気が集まったといえる。そしてその両雄となったのが、東芝の黛ジュンと、キングの中村晃子であったのだ。中村の7枚目のシングルとなった「虹色の湖」は様々なGSがチャートを賑わす中、オリコンチャートの正式な集計が始まった68年初頭からチャートを駈け上り、4月には30万枚を突破する大ヒットを記録。これでいよいよ歌手・中村晃子の名は全国区となる。と同時にそれまでの少女っぽさが残るキュートな路線はカップリングの「夢みていたい」をもってその役目を終えることとなった。
大ヒットを受けての次の作品、「砂の十字架」でもGS調が踏襲されて期待通りのヒットに。カップリングの「愛の願い」もしっかり一人GSしており、「虹色の湖」に続いての横井×小川の作詞・作曲はもちろんのこと、森岡賢一郎のアレンジ力が大きく作用している。さらに次の「なげきの真珠」も同じ作家陣でヒットを重ね、以降も「夕陽に駈ける少年」「ローマの灯」など、歌手・中村晃子は60年代の終わりを華麗に駆け抜けたのであった。シングル以外では、68年から69年にかけて「ロック天国」や「花のサンフランシスコ」といった当時の洋楽ヒットナンバーをアルバムでカヴァーしているのも聴きもの。70年代に入ってからもコンスタントにレコードを出し続けた彼女は、73年に細川俊之との絶妙な掛け合いで知られる「あまい囁き」をヒットさせ、80年には「恋の綱わたり」のヒットで大人の女性ならではの妖艶な魅力を振り撒いた。さらに後年では、かつてテレビ映画『かわいい魔女ジニー』で培った声優としての才能が活かされ、映画『天使にラブ・ソングを…』のウーピー・ゴールドバーグの吹き替えを担当していたのが記憶に新しい。
中村晃子「青い落葉/東京のイブ」「虹色の湖」「砂の十字架」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
パッパッパヤッパー、という印象的なスキャットと、指差し確認のような独特の振り付け、無表情に歌うその姿が一世を風靡した「他人の関係」。今も人々の記憶に鮮烈に焼き付いているこの曲は、いかにして誕生し...
藤田まことが演じる仕事人・中村主水が表の世界では裁けぬ悪を退治する人気時代劇「必殺」シリーズの第4作、『暗闇仕留人』の放送がスタートしたのは1974年6月のこと。この番組の主題歌となった「旅愁」...
今から9年前の2010年3月27日、1人のシンガーがこの世を去った。しばたはつみ、享年57歳。静岡県伊東市の自宅浴室で亡くなっているのを、同居していた実父でジャズ・ピアニストの柴田泰によって発見...
1951年(昭和26年)の本日3月4日は、山本リンダの誕生日。筆者のリンダとの出会いは、1972年6月リリースされた大ブレイク作「どうにもとまらない」である。しかし、後々歌謡史をおさらいするうち...
1961年に東芝レコードから「子供ぢゃないの」でレコードデビューし、弱冠14才にしてポップスクイーンの地位を確立した弘田三枝子は、“ミコちゃん”の愛称で親しまれた。「ヴァケーション」「すてきな1...
「上を向いて歩こう」などと同様、NHKのヴァラエティ番組『夢であいましょう』から生まれた「こんにちは赤ちゃん」は1963年のレコード大賞グランプリを受賞し、昭和天皇の御前で歌われたことでも知られ...
本日5月28日は、伝説のアイドル女優・内藤洋子の誕生日。65年、黒澤明監督による「赤ひげ」(東宝)で鮮烈なスクリーン・デビューを飾った内藤洋子は、コロムビアの看板スター・舟木一夫が66年リリース...
本日3月26日はいしだあゆみの誕生日。1948年生まれなので、古希を迎えることになる。いしだあゆみは児童劇団での活動を経て、62年に上京。作曲家、いずみたくの門下生となり、64年4月に「ネェ聞い...
本日3月19日は、リトル・ダイナマイト、朱里エイコの誕生日。生きていれば今日で70歳となる。72年、起死回生の思いで発売した「北国行きで」がオリコン6位を記録する大ヒット。デビューから10年目の...
本日1月24日は、ジュディ・オング68回目の生誕記念日である。ジュディの名前を聞くと、世代問わず「魅せられて」のイメージが真っ先に想起されると思うが、95年夏、黒沢進・中村俊夫両氏の監修による、...
今年はジャガーズ・デビュー50周年、今日9月25日は「星空の二人」(68)のリリース日です。同曲は“新生”ジャガーズによる筒美京平作品で、がらりと趣を変えたR&Bスタイルの佳品だった。ミリタリー...
空前のGSブームから50周年の今年、同じくデビュー50周年を迎える元ザ・ジャガーズのギタリスト沖津久幸さんをゲストに迎えたトーク・イベントが、七夕の宵に東京・新橋のライヴハウス「ZZ」で開催され...
日本最古のレコード会社、日本コロムビアに在籍した女性ポップスシンガーたちを 1960年代まで遡って総括した初のコンピレーショアルバムのEARLY YEARS(1965~1972)は、エミー・ジャ...
伝説の双子デュオとして一世を風靡したザ・ピーナッツのひとり、伊藤ユミが昨年5月18日に亡くなり、1年が経つ。享年75。姉の伊藤エミは2012年に既に死去しており、残念なことにザ・ピーナッツはふた...
48年前、1967年(昭和42年)の本日10月10日、中村晃子のシングル「虹色の湖」が発売となった。GS時代のガールズ歌謡を代表する名曲として現在も幅広い世代に愛されているこの曲だが、中村晃子に...