2018年05月28日
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2018年05月28日
本日5月28日は、伝説のアイドル女優・内藤洋子の誕生日。1950年代が産み落とした最初の青春スターである彼女も、もう68歳を迎えるとは、そりゃ時代も劇的に変化するというものである。というわけで、今回は音楽的側面から彼女の魅力に迫ってみたいと思う。
…と言えども、彼女が残してくれた音楽的手がかりと言えば、ご存知のように、1967年(昭和42年)7月1日に発売されたシングル、「白馬のルンナ/雨の日には」のみである。このレコードが近代歌謡史に於いて如何に記念碑的役割を果たしたかに関しては、筆者監修により昨年5月リリースしたコンピレーションCD『コロムビア・ガールズ伝説 EARLY YEARS』の解説にしつこいほど書かせて頂いているので、今回のコラムはそのExtended Versionというべき内容になるのをご了承いただきたい。
65年、黒澤明監督による「赤ひげ」(東宝)で鮮烈なスクリーン・デビューを飾った内藤洋子は、コロムビアの看板スター・舟木一夫が66年リリースしたコンセプト・アルバム『その人は昔』の映画化に際してヒロインに起用される。一つの物語を歌・朗読・音でドラマ化し、LPレコードの両面いっぱいに展開するという、言わばプログレッシヴ・ロックのコンセプトを先取りしたような同作は大評判となり、映画化へと発展するのは必然的動きだったが、内藤洋子の歌手デビューはその流れからの副産物であった。それこそ、山本富士子、寿美花代、本間千代子らの青春スターが歌うレコードで、「純情歌謡」作りに定評があったコロムビアだけに、洋子の歌を出すのには相応しい場所と思われたが、背後にあったのは何にも増して絶大だった舟木のアーティストパワーである。
まず最初に映画ありきということで、ストーリーの流れにはまりながら、主人公・洋子のキュートさを最大限に生かす楽曲が用意される。遠藤実が育んだ舟木の青春歌謡魂をよりリリカルな方向へと導いていた船村徹が、この課題に果敢に挑んだ結果が「白馬のルンナ」だった。従来の青春歌謡とはかなり異質の、非現実的お花畑が見えてきそうなメロディとアレンジ。特にトリルを必要以上に多用したフルートの響きには狂気さえ感じられる。そんな中、控えめながら可憐さを炸裂させて歌う洋子。大丈夫なのか、と思わせつつ、ついつい歌の世界に没入してしまう。
異論はあるだろうが、これこそが「アイドル歌謡誕生の時」だったのである。青春歌謡の血はGSの躍動感も得つつ、67年に完全に入れ替わった。
「恋の季節」や「ブルー・ライト・ヨコハマ」は辛うじて原体験していると言える筆者であるが、それらの前年世に出たこの「白馬のルンナ」を初めて聴いたのは、ずっと後のこと。確か80年代初期、当時NHK-FMで放送されていた「山下達郎のサウンド・ストリート」だったと思うが、その時のテーマが何であったかは忘却の彼方だ。すでにアイドルポップス全盛期に入っていたから、歌唱的にはそんなものかとしか思わなかったが、曲そのものに関しては不思議だなぁというイメージが先行したのを覚えている。そして、80年代初期の丁度その頃、「廃盤ブーム」なるものが隆起することになる。ほんの10数年前にヒットした曲が、異常なまでのノスタルジア・オーラをまとい、いきなり中古市場での人気を高騰させるのだ。「白馬のルンナ」は、その廃盤ブームに乗じて、予期せぬ再注目を獲得する。
発売当時50万枚も売れたにも関わらず、洋子自身が歌手活動を一時的なものとみなしたため、続くシングルのリリースはなく、しかもその後「ちょっと前の懐メロ」的企画に本人が駆り出されることも皆無だったため(筆者が80年代まで聴いた覚えがなかったのは、主にそのためだ)、伝説が一人歩きしていた「白馬のルンナ」は、廃盤ブームに乗じて出されたコンピレーションLPで目玉的扱いを受け、ついにはシングル盤でも復刻された。この復刻時、「その人は昔」の中で歌われた舟木とのデュエット曲「恋のホロッポ」「こんどの日曜日」のコロムビア・マスターが発掘され、初めてレコード化されるというおまけまでついている。コラムの冒頭で「唯一の音楽的手がかり」と述べたが、実はまだあったのだ。
そして、音楽的と言えるかどうかは解らないが、もう一枚。71年になって、新興・東宝レコードよりアルバム『洋子』がリリースされている。その前年、ザ・ランチャーズのリーダー・喜多嶋修と結婚し芸能界を引退した彼女の形見とでもいうべき作品であった。一部ランチャーズ時代の楽曲も含む修のオリジナル・インストをバックに詩の朗読を聞かせる、所謂「聴くエッセイ集」という趣で、当時石坂浩二による日本語版も出され好セールスを記録していたロッド・マッキューンのポエムリーディング・アルバムと、ポールとリンダのアルバムの合いの子のようなものだった。甘酸っぱい朗読を聴きながら、彼女の持つ純情は誰が受け継いでいくのだろうかと、ため息まじりに思った方はどの位いたのだろうか…
修が変名でリリースした実験的ポップ・アルバム『JUSTIN HEATHCLIFF』(71年)で、ほんの数秒だけデュエットを披露したのを除くと、洋子がレコード界に浮上した次なる機会が、愛娘・喜多嶋舞が88年にリリースした初のシングル「Whisper-そっとあなたに-」だったのは必然だったか。ジャケットに洋子の面影を強烈に感じ、手に取らずにいられなくなったのは筆者だけではあるまい。そのA面曲に作詞者としてクレジットされているParent Trapとは、他ならぬ内藤洋子のことだったのである。ちなみにB面曲「誕生日に雨のギター」の作詞・作曲を手掛けたParent Trap IIが誰であるかは、記すまでもないだろう。母親譲りの歌声に思わず胸キュンと真顔で言いたくなる時代は、しかしもう終わっていたのだ。
内藤洋子「白馬のルンナ/雨の日には」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。
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