2017年05月28日
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2017年05月28日
1965年は、エミー・ジャクソンの「涙の太陽」がリリースされ、和製ポップスというジャンルが産声をあげたとされる年である。それまでの日本の歌謡界は、各レコード会社に専属の作曲家が配属され、専属歌手にオリジナル曲を提供するというシステムに支配されており、今では懐メロ・演歌というカテゴリーに一括りにされがちなドメスティックな流行歌が量産されていた。当時のコロムビアに於けるそんな専属作曲家の代表として君臨していたのが、去る2月16日惜しまれつつこの世を去った演歌の大御所・船村徹である。その一方では、米国や欧州で流行ったポップスに日本語の歌詞を添えてカバーする「ローカル盤」が人気を博し、その洗練されたスタイルがやがて日本のオリジナルポップス誕生に引火を促すことになる。
しかし、その実現に向けて「レコード会社専属制度」が大きな壁となった。それを打破するため、「涙の太陽」はあえて純洋楽という姿を借り、当時コロムビアが配給していた最も大きな海外レーベル・CBSを通してリリースされたのである。そして大ヒット。間もなくその動きに他のレコード会社も乗り、GS、フォークの隆盛へと繋がっていく。CBSからはブルー・コメッツが登場し、女王・美空ひばりが歌う「真赤な太陽」のバックを務め、「ブルー・シャトウ」で67年度レコード大賞を受賞と、勢いに乗っていく。
その革新的な動きに従来の歌謡界の排他的姿勢が揺るぎ始め、筒美京平、鈴木邦彦といった新世代の作曲家が台頭し始めた頃、コロムビアでは看板スターの一人・舟木一夫を主役として起用した、俗に言うコンセプト・アルバム的な一枚『その人は昔』が制作されヒットを記録。その成功に乗じて制作された同名映画でヒロインに起用された、東宝の新進女優・内藤洋子が歌う挿入歌のレコード発売企画が立ち上がる。当時の舟木の勢いを支えていた船村に作曲の依頼が行ったのは当然の成り行きであった。
従来の歌謡界でも、舟木を筆頭とする「青春歌謡」という括りで、若者らしい溌剌とした表現を際立たせた歌の数々が人気を博していたが、そのレコード「白馬のルンナ」はそれらと全く異質の雰囲気を湛えていた。流行最先端の「エレキ」の導入には全くそぐわないテーマ故、朴訥とした雰囲気を醸し出すため大胆な音楽的冒険が試みられているのだ。そして内藤の歌唱も、所謂歌謡の王道からは大きく離れたムードを醸し出していた。
こうして「白馬のルンナ」は、歌謡界における一つの大きな曲がり角となるレコードとして、その存在を鮮やかに刻み込んだ。これこそアイドルによる純アイドル歌謡の誕生、なのかもしれない。
このシリーズ『コロムビア・ガールズ伝説』は、アイドル歌謡にとっての節目と位置付けられることが多い3つの年、1972年・1980年・1988年を分岐点と設定し、その間に残されたコロムビアの豊富な音源を肴にアイドル史を紐解いていこうという壮大な企画である。3巻、CD5枚で100曲という膨大な数の楽曲は、それでも氷山の一角である。スタート地点となる『EARLY YEARS』は、「涙の太陽」の発売から最初の分岐点となる1972年前後までに至る、言わばプロトアイドルポップスと呼べる時期に残された作品群から、主にその後のアイドルポップスへと直通する要素を感じさせるものを中心に選んだ、前菜のようなコンピレーションである(しかしゴージャスすぎる前菜だ!)。
[曲目メモ]
涙の太陽 CRYING IN A STORM(1965年4月20日/LL-742)
作詩:湯川れい子 作曲:中島安敏 歌:エミー・ジャクソン スマッシュメン
言うまでもなく、和製ポップスの出発地点。従来の歌謡曲の呪縛を解き、洋楽の方法論を取り入れてオリジナルな国内ポップスを作り上げた不滅の金字塔である。73年に安西マリア、89年に田中美奈子がそれぞれデビュー曲として取り上げ、リバイバルヒットさせたり、作詞を担当した音楽評論家・湯川れい子の80年代以降の活躍の土台となるなど、のちのアイドルシーンに与えた影響も計り知れない。この企画のトップを飾るべき曲は、これ以外に考えられない。
逢う時はいつも(1966年5月5日/SAS-711)
作詩:吉岡 治 作曲:船村 徹 歌:吉村繪梨子 コロムビア女声合唱団 コロムビア・オーケストラ
吉村繪梨子は、従来のコロムビアの青春歌謡路線とは一線を画す「洗練された純情派」的佇まいで、後のアイドル路線のルーツを感じさせる美人。18歳で発売したこのデビュー曲は、当時としては異例の総天然色ジャケットに彩られ、相当力を入れられていたことが伺える。いよいよビートルズ来日を1ヶ月後に控えつつ、忍び寄るポップス革命の影を恐れないこのような曲を黙殺などして、アイドルポップの萌芽は語れない。
白馬のルンナ(1967年7月1日/SAS-939)
作詩:松山善三 作曲・編曲:船村 徹 歌:内藤洋子 コーラス:コロムビア男声合唱団 コロムビア・オーケストラ
65年、黒澤明監督「赤ひげ」(東宝)でデビューを飾った内藤洋子は、66年NETテレビ系でドラマ化された「氷点」でのかわいそうな少女・陽子役で人気沸騰。翌年、舟木一夫と共演した映画「その人は昔」の中で歌ったこの曲をシングル発売し、50万枚を売る大ヒットとなった。まさに純情乙女ポップスの夜明けに相応しい清々しい楽曲。70年、元ザ・ランチャーズの喜多嶋修と結婚。72年に二人の間に生まれたのが、あの喜多嶋舞である。
おねがい(1967年11月1日/SAS-990)
作詩:吉岡 治 作曲:二葉あき子 編曲:佐伯 亮 歌:水戸井清子 コロムビア・オーケストラ
8 0年代以降、芸能レポーターとして朝のテレビを賑わせたみといせいこ=水戸井清子の、歌手としての幻のデビュー曲。当時18歳ながら淡いお色気を感じさせる歌唱で、「要注意歌謡曲」(所謂放送禁止曲)に指定されたが、今聴き返すと実に可愛らしいものだ。水戸井清子名義では翌年第2弾「本気で言えるの」、さらに71年には東宝レコードより、泉のり子名義で「別れの部屋」をリリースしている。
ゴー・ゴー・ジュニア(1968年7月15日/SAS-1141)
作詩:北村公一 作曲:桑原研郎 歌:島桂子 新室内楽協会
昭和純情女子の代名詞的雑誌「女学生の友」のグラビアモデルとして活躍した、「元祖読モアイドル」の一人・矢島啓子。島桂子と名義を改め残した唯一のシングル「あしたこそ」のB面に収録されていた、躍動感溢れるポップナンバー。思わず甘酸っぱいものが唇から零れてきそうな歌詞は、安達明の「女学生」(64年)も手掛けた当時の「女学生の友」編集長・北村公一氏自らのペンによるもの。
みんな仲間だ LET’S SING TOGETHER(1968年8月1日/P-32)
作詩:鼻野律子 補作詩:古野哲哉 作曲:山本丈晴 編曲:川口 真 歌:山本真記子 スクール・メイツ、コロムビア・オール・スターズ
いかにも68年という空気を伝えてくれる楽曲。2年後に大阪万博の開催を控え、とにかく連帯さえすれば無敵という当時の若者の高揚感を感じさせてくれる。当時平山三紀、可愛和美、山室(後の白鳥)英美子、鶴間エリ、岡田恭子、市地洋子ら錚々たるメンバーが在籍していた(が、録音メンバーは明らかにされていない)スクールメイツによるバックコーラスが勢いいっぱい。
夕陽の中のチコ(1969年2月1日/SAS-1229)
作詩:竹内美子絵 補作詩:吉岡 治 作曲:桜井 順 歌:松原智恵子 コロムビア・オーケストラ
ビクターの吉永小百合に対抗し得る「歌うスター女優コロムビア代表」、松原智恵子が5枚残したシングルのラスト1枚「恋の眠り姫」のB面曲。「白馬のルンナ」とは一味違う家畜とのセンチメンタルな触れ合い物語が描かれる、日本の農産業の成長を支えた雑誌「家の光」とTBSのタイアップ企画「田園ソング」から生まれた一曲。当時、多数の青春歌謡歌手が同企画のために駆り出された。
愛のディンガリン DING-A-RING(1969年2月1日/P-50)
作詩:山上路夫 作曲:東海林 修 歌:久美かおり 東京キンダー・コーア・合唱団 コロムビア・オーケストラ(音源提供:渡辺音楽出版株式会社)
G Sブームを牽引したザ・タイガースの初主演映画「世界はボクらを待っている」のヒロインとして華々しいデビューを飾った久美かおり。後のタイガース映画2作でもヒロインを演じる傍ら、シングル4枚をリリース。この曲は3枚目となった「愛の小鳥」のB面で、子供達のコーラスをキュートにあしらった洗練されたポップス。内向き加減な印象が目立つ彼女の曲の中では、最もアイドルらしさを感じさせるのではないだろうか。
恋はそよ風(1969年4月15日/LL-10092)
作詩:橋本 淳 作曲・編曲:筒美京平 歌:いしだあゆみ
64年デビュー以来、大きなヒットになかなか恵まれなかったいしだあゆみは、コロムビアへの移籍第1作となった68年6月発売の「太陽は泣いている」で大変身。本来のキュートさにアンニュイな翳りが加わった個性を、橋本淳と筒美京平のコンビが最大限に引き出した。メガヒットを記録したコロムビア第3弾「ブルー・ライト・ヨコハマ」に続いてリリースされた「涙の中を歩いてる」のB面で、彼女の楽曲の中でも最もアイドル色を感じさせるポップな作品。
一人になりたい(1969年8月15日/SAS-1321)
作詩:横井 弘 作曲:山本丈晴 編曲:郷 徹也 歌:沢和代 ムーン・ドロップス コロムビア・オーケストラ
フジテレビの連続ドラマ「香華」の主題歌となる同名曲でデビューした沢和代の2枚目のシングル。GS時代末期ならではの華やかさがタイトル文字のデザインやファッションからも溢れ出ている「隠れた逸品」で、今回が待望の初CD化となる。この後、松沢のの(ポリドール)→小沢リリ (クラウン)→水野和美 (フィリップス)と名義を転々としつつ堅実に活動した。
いきなり愛して(1969年8月15日/SAS-1323)
作詩:笠井継程 作曲:桜田せい一 歌:すみれ裕子 コロムビア・オーケストラ
歌謡曲の秘境の一つ「シングル1枚を残した以外手がかりの無いアーティスト」から救済された隠れた逸品。69年の歌謡界に特徴的なスローでマイナーで内省的なA面曲「母なる海に嘆きをこめて」と対照的に。GS時代のビート・ガールの面影を残しつつ、巧みな歌唱とくすぐったい歌詞でぐいぐいと引っ張っていくのがこのB面曲。この発掘をきっかけに、少しでも歌手に関する情報が明らかになることを祈るばかりだ。
ダニエル・モナムール DANIEL MON AMOUR(1969年11月10日/P-78)
作詩:安井かずみ 作曲:村井邦彦 編曲:川口 真 歌:辺見マリ スリー・シンガーズ、コロムビア・オール・スターズ(音源提供:渡辺音楽出版株式会社)
2枚目のシングル「経験」で一世を風靡し、従来なら要注意歌謡曲扱いを受けた類のセクシー路線歌謡をお茶の間レベルに到達させた辺見マリのデビュー曲。オリコン最高36位に到達するヒットとなった。フレンチポップスの影響が強い歌謡曲はそれこそ67年以前から多数あったが、この曲あたりから洗練の度合いが格段に増している気がする。72年に西郷輝彦と結婚し、一時的に芸能界を去るが、その間に産まれた娘が辺見えみりだ。
キッスで告白 it's wonderful kiss(1970年4月10日/CD-63)
作詩: 山口あかり 作曲: 小田啓義 編曲:小谷 充 歌:夏木ミミ シャルル・オンブル楽団
米国人の血が入ったハーフのモデルで、フジテレビ「ビートポップス」でゴーゴーガールの経験もある夏木ミミがリリースした唯一のシングル。ブルー・コメッツの小田啓義作曲によるうつむき加減なポップス。恥ずかしさを隠しきれない歌唱は同時期デビューしたゴールデン・ハーフの躍動感と好対照だ。B面「天国への階段」はレッド・ツェッペリンより1年半早い(!)。
雨あがりの恋 LIKE A FANTASTIC RAINBOW(1970年8月25日/CD-83)
作詩:山口あかり 作曲:小田啓義 編曲:田辺信一 歌:可愛和美 デノン・オーケストラ
筒美京平作品を数多く歌い近年再評価が高まっている可愛和美の3枚目のシングルで、オリコン9 9 位に顔を出す唯一のチャートヒット曲となった「シャム猫とのら犬」のB面。可愛和美名義で出た唯一のアルバム『可愛和美の素敵な世界』から漏れたため、今回が初CD化となる。のちに「ひらけ! ポンキッキ」の歌のお姉さんとして子供たちのアイドルになったのは言うまでもない。現在もクレスト・フォー・シンガーズの一員として歌手活動中。
当節ドンパン節(1971年4月25日/SAS-1523)
作詩:吉岡オサム 秋田県民謡 編曲:森岡賢一郎 歌:ピンキーチックス ケニー・ウッド・オーケストラ
全員女性からなる日本のセルフ・コンテインド・バンドとして先駆者的存在であり、GS時代にレコードを残したことが一つの勲章とされている6人組。68年にビクターから出した「ヨッパラッタお嬢さん」の後、リード・シンガーだった糸乗美和がいとのりかずことして独立するなどメンバーチェンジを経て、コロムビアから3年ぶりにリリースした2枚目のシングル。一聴してそれとわかる所謂「ドリフグルーヴ」が、彼女達の水商売性にさらに磨きをかけているノベルティソング。
ボーイフレンド募集中 LONGING FOR A BOY FRIEND(1971年2月10日/CD-105)
作詩:財津泰子 補作詩:安井かずみ 作曲:鈴木 淳 編曲:森岡賢一郎 歌:宮野凉子 デノン・オーケストラ
80年代以降数多くのスーパースターを生んだ「ミス・セブンティーンコンテスト」の栄えある初代優勝者、宮野凉子のデビュー曲。セブンティーン誌上にて公募した歌詞を女帝・安井かずみが脚色した力作。のちに70年代最先端のガーリーファッション文化を反映した連続ドラマ「マドモアゼル通り」の主題歌「チマ・チマ」を歌い知名度を高めた。
恋のチュチュチュ(1971年4月10日/SAS-1516)
作詩:中村小太郎 作曲:和田香苗 編曲:森岡賢一郎 歌:純エリ子 新室内楽協会
73年、「ミカンが実る頃」でデビューし人気歌手の仲間入りを果たした藍美代子が、それ以前に純エリ子名義でコロムビアに残したシングル4枚のうちの2枚目がこの曲。60年代のポップス歌謡を踏襲した明朗な楽曲に映える「チューして」というこそばゆいフレーズが耳を奪う。近年はジャズバー「ビーネ」のマスター兼シンガーとして地元仙台及び東京で活動する。
恋はマジック・クラッカー GET’S SMASHED! (1971年5月25日/CD-122)
作詩:麻生ひろし 作曲:宮本光雄 編曲:佐々永治 歌:小野木久美 デノン・オーケストラ
のちのアニソン界4大女帝の一人・かおりくみこが13歳の時残した超レアシングル。それ以前にも子供向けポップスの録音をいくつか残していたが、当時の人気アイテム、アメリカン・クラッカーをテーマにした楽しい曲で「大人の歌手の仲間入り」(ジャケットより)を果たした。その後、三純和子名義でアイドル活動も行いつつ、数多くの名唱でアニメファンを魅了し続ける。
波(1971年8月25日/CD-130)
作詩:北条 暁 作曲:藤本卓也 編曲:玉木 宏 歌:林エイコ デノン・オーケストラ
アニメ「アパッチ野球軍」のテーマ曲を歌唱したことで知られる林恵々子が別名義で残した貴重なシングル。こちらも当時14歳という若さながら、ダイナミックなメロディーを軽々とこなす。B面に英語ヴァージョンをカップリングしたのも、当時としては先鋭的な試みてあった。
ビビビのビ(1972年8月10日/P-175)
作詩:末松康生 作曲・編曲:坂田晃一 歌:高橋基子 コロムビア・オール・スターズ
ニッポン放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」で深夜放送黎明期のアイドルとなった3人娘、モコ・ビーバー・オリーブ解散後、ソロでラジオパーソナリティとしての活動を始めた高橋基子の初シングルで、オリコンチャート86位をかすめる小ヒットを記録。牧歌的曲調に虚無的でシュールな歌詞が乗り、予測不可能な方向へと展開していくアシッドサイケ系の一曲。
甘い罠 HONEY TRAP(1972年8月10日/P-181)
作詩:千家和也 作曲:加瀬邦彦 編曲:田辺信一 歌: ザ・シュークリーム(親谷邦子、ホーン・ユキ、甲山暁美、谷上いく子) コロムビア・オール・スターズ(音源提供:渡辺音楽出版株式会社)
スクールメイツ卒業生から抜擢されたメンバ−4人からなるザ・シュークリームの3枚目のシングル。初期のセクシー路線から後のキャンディーズへと向かう、ガールグループ王道の分岐点とでも言える楽曲だ。解散後、ホーン・ユキは女優・タレントとして活躍。谷上いく子はアクショングラマー路線の南麻衣子を経て、演歌歌手・北原由紀(由貴)としてブレイク。甲山暁美はモデル界へと進出し、親谷邦子はあのねのねの清水國明と結婚の後、元祖バラドル・清水クーコとして大活躍するも、91年惜しくも帰らぬ人となった。
潮風の季節 A GIRL IN SEABREEZE(1972年10月10日/P-195)
作詩:橋本 淳 作曲・編曲:筒美京平 歌:平山三紀 コロムビア・オール・スターズ
80年代初期盛り上がりを見せた「廃盤ブーム」でカルト人気をより高めた平山三紀の6枚目のシングル「月曜日は泣かない」のB面で、ほんの2か月前に田代麻紀の歌唱でリリースされた楽曲のリメイク(歌詞の大半を改変)。やはり筒美京平メロディに関しては平山版をオリジナルと考えたいものだ。「真夏の出来事」や「ビューティフル・ヨコハマ」といった代表作にひけをとらない大名曲。
思い出さないで DON’T REMEMBER ME(1973年8月10日/P-233)
作詩・作曲:中山大三郎 編曲:青木 望 歌:島崎恵子 コロムビア・スタジオ・オーケストラ
71年11月朝倉マリとしてデビュー後、2年近い沈黙と改名を経てリリースしたのがこの曲で、当時はあまり話題にならなかったものの、82年に岩崎宏美が29枚目のシングルとしてカバーし、オリコン18位を記録。思いがけず注目を浴びた。77年にはうつみ宮土理もカバーしており、度々注目を浴びる楽曲となっていた。プレアイドル期を締めくくるに相応しい壮大なバラード。
どこへ行くの(1970年12月25日/SAS-1483)
作詩:横井 弘 作曲:船村 徹 歌:川崎幸子・敏子 コロムビア・オーケストラ
こまどり姉妹を世に送ったコロムビアがその後度々手がけた双子デュオの一組(このシリーズにはあと3組、双子デュオが登場する)による、近年日本を代表するサイケデリック音楽として熱い注目を浴びる怪作。A面曲「くちなしの花」は、当時の清楚なフォークデュオにど演歌を与えたような印象の異色作だった。この二人は2年の沈黙を経て、ビクターからレモン・パイとして再デビュー。一転して鈴木邦彦の手による大ポップな「すみれ色の恋」を73年に残した。
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代~レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月24日、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』(3タイトル)が発売された。
51年前の今日、1967年の10月10日は、歌手・中村晃子の代表作「虹色の湖」のシングルが発売された日であった。グループサウンズ全盛時代、その要素がふんだんに盛り込まれた曲調から、後にいわゆる“...
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1960~70年代のフォーク~ニューミュージック・シーンで活躍した女性歌手たちの曲をセレクトした『コロムビア・ガールズ伝説』のスピンオフ企画、『FOLKY & ELEGANCE』全曲解説 tex...
最後の一章。所謂「短冊」、8cmCDシングルの時代に突入。その約10年間にコロムビアからデビューした若手女性アーティストたちの曲をセレクトした『END OF THE CENTURY』の全曲解説 ...
1970年11月10日、橋本淳=筒美京平コンビの秘蔵っ子、平山三紀(現・平山みき)が「ビューティフル・ヨコハマ」でデビューを果たした。平山三紀のデビューのきっかけは、コロムビアのディレクター渥美...
山口百恵、ピンク・レディーの70年代から聖子・明菜の80年代へ、さらに百花繚乱状態が加速する時代にデビューしたアイドルの重要曲・カルト曲をセレクト。text by 丸芽志悟
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「スター誕生!」から送り込まれた大量のアイドルにより第一次ポップス革命が 花開いた72~79年にデビューした女性歌手の重要曲たち。text by 丸芽志悟
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5月24日(水)に発売される「大人のMusic Calendar」初協賛コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』(3タイトル)は、日本最老舗のレコード会社である日本コロムビアに196...
2月10日はいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」がオリコンチャート1位を獲得した日である(1969年)。作曲家・筒美京平にとっても初のチャートNo.1を記録した大ヒット曲。いわゆる“歌謡ポッ...
タイガース人気絶頂の1968~69年には主演映画も3本作られたが、それら全部にヒロイン役として出演した久美かおり、本日は彼女の誕生日。ジャズ歌手を志向してマーサ三宅に師事、ステージで歌っていたと...
本日2月7日は、日本屈指のブルースシンガー、青山ミチの68回目となる誕生日。1966年11月、「風吹く丘で」を発売するかしないかというタイミングで、不祥事を起こし逮捕される。68年2月、同曲は「...
本日2月3日は、音楽界の“ラスト・サムライ” 喜多嶋修の誕生日。40年以上も前から“East meets West”を標榜した音楽活動を国際的な場で展開し、その日本人としての高い精神性と孤高のス...
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本日3月4日は村井邦彦の誕生日である。村井邦彦は大学卒業とともにプロとなり楽曲管理のために立ち上げた“アルファ”を拠点として、音楽出版から原盤制作、スタジオ設立、レコード会社へと業容を拡大してい...
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この季節になるとどこにいても耳に入ってくるクリスマス・ソング。宗教的には無関係でも、レコード棚には結構な数のクリスマス・レコードあるいはCDが存在する。いったい、いつごろから我々はクリスマス・ソ...
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“ヤマタケ”の愛称で知られる山下毅雄は1930年生まれ。幼稚舎から一貫しての慶応ボーイで、学生時代からフルートを学び、大学の時には演劇部のために劇音楽を作り始めるが、作曲そのものはすべて独学で学...
1958年(昭和33年)の本日、この世に生を受けた相本久美子。この5文字を見るだけで、未だにキュンとくる。筆者にとっては、まさに憧れのお姉さん的存在。「TVジョッキー」をどきどきしながら見ていた...
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