2019年02月25日

1974年2月25日、西城秀樹「薔薇の鎖」がリリース~日本初のマイク・スタンド・パフォーマンスを披露

執筆者:馬飼野元宏

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1974年2月25日、西城秀樹のシングル8作目「薔薇の鎖」がリリースされた。西城秀樹が日本で初めてスタンド・マイクによるパフォーマンスを持ち込み、その後の我が国のステージ・パフォーマンスに大きな変革をもたらした、記念すべき1曲である。


かつてテレビの歌番組では、歌手がスタンド・マイクに向かって歌うというスタイルが普通だった。TBS『日本レコード大賞』やNHK『紅白歌合戦』などで、イントロが流れると歌手がマイクに駆け寄って歌う姿をご記憶の方も多いだろう。60年代終盤頃から、歌番組でのハンド・マイクの使用が始まり、例えばNHK『のど自慢』がスタンド・マイクからハンド・マイクに変わったのは1972年のことで、74年にはコードのないワイヤレス・マイクに変わった。ちょうどこの頃から、アクティブに動きながら歌うポップスが歌謡曲シーンに大きな比重を占めてきたのと合致している。例えば山本リンダの「どうにもとまらない」(72年)など、ワイヤレスのハンド・マイクが普及していなければ、あのダイナミックなボディ・アクションも不可能だったのである。


その山本リンダと並んで、歌にアクションを導入したシンガーが西城秀樹であった。かつて筆者がインタビューした際に「あの頃、踊りながら歌う歌手は僕と山本リンダさんぐらいしかいなかったから」と述懐していたが、まさしく日本の音楽シーンの新時代を切り拓いた1人が西城秀樹だったのである。かの『ちびまる子ちゃん』で西城秀樹と山本リンダが大きくフィーチャーされていたのも偶然ではなく、昭和40年代のテレビっ子にとって、2人のパフォーマンスが衝撃だった、何よりの証明なのだ。ただ、当時はなかなか理解されず「サーカス坊やなんて呼ばれていました」とも語っていた。


その“サーカス坊や”西城秀樹はこの「薔薇の鎖」ではじめてスタンド・マイクを振り回しながら歌うパフォーマンスを披露、視聴者の度肝を抜いた。このアクションのヒントになったのは、ロッド・スチュワート。西城は「日本武道館で観たロッドのステージからマイク・パフォーマンスのヒントを得た」と語っていたが、ちょうどこの74年の2月、ロッドはフェイセズのヴォーカリストとして来日している。西城は、ロッドのマイクがなぜあんなに高く上がるのかと思い、そのマイク・スタンドを触らせてもらい、一緒に観に行ったムッシュかまやつが「これはアルミ製の軽量スタンドだ」と見抜き、ムッシュに依頼して特注のマイクを10本作った。まだ当時は鉄製のマイク・スタンドしかない時代だった。フェイセズのライヴでヒントを得てから、「薔薇の鎖」リリース、そしてテレビでのお披露目までかなりギリギリのタイミングだが、当時の歌謡界の勢いを感じさせるエピソードである。「歌い手の大切なものを蹴るなんて」という批判もあったそうだが、日本の音楽シーンでは規格外のパフォーマンスだったことが伺える。


「薔薇の鎖」は、作詞がたかたかし、作曲は鈴木邦彦、編曲に馬飼野康二。秀樹アクション歌謡の先駆となった3作目「チャンスは一度」や、ブレイク作の6作目「情熱の嵐」と同じ布陣だ。詞は雑誌『平凡』での一般募集が行われ、斉藤優子の詞が採用され、これにたかたかしが補作を施した。


鈴木邦彦のメロディーは、シンプルなオールディーズスタイルのロックンロールで、前作「愛の十字架」や前々作「ちぎれた愛」の絶唱型とは異なり、西城のヴォーカルも軽やか。馬飼野康二のアレンジも5作目「情熱の嵐」の「黒いジャガーのテーマ」的なブラック・ファンクや、次作の9作目「激しい恋」のブラス・ロック風アレンジとも異なる、軽快なバンド・サウンドに仕上がっている。ちなみに「激しい恋」はロッド・スチュワートを意識した衣装だったので、この時期の西城はロッドの影響がかなり大きかったのだ。


ちょうど日本では何度かのロックンロール・リバイバルの空気があった。シンプルなロックンロールの70年代型アップデート版を歌う男性シンガーが続出、プチブームになっていたのである。きっかけは72年末に「ルイジアンナ」でデビューしたキャロルの登場で、「ファンキー・モンキー・ベイビー」のリリースが73年6月25日。これに加え同年4月21日の沢田研二「危険なふたり」の大ヒットも大きな要素である。73年9月にはGSリバイバルの筆頭としてチャコとヘルス・エンジェルが「愛してる愛してない」でデビュー、さらにローズマリー、ジュテームなど多くの「GSふたたび」的なバンドが世に送り出され、74年に入るとあいざき進也、弾ともやなど男性ソロ新人もロックンロールをベースとしたスタイルで登場してくる。こういったムーヴメントの中、西城がオールド・ロックンロールにアプローチするのも自然な流れだったのだ。ウッドストックに影響を受け、レッド・ツェッペリンやジャニス・ジョプリンを愛し、地元・広島でアマチュア・ロック・バンドを組んでいた西城のロック観や方向性とは異なっているものの、軽快なスタンド・マイクのパフォーマンスは、こういったタイプのナンバーによく映えた。その後も西城は75年の「恋の暴走」、77年の「セクシーロックンローラー」など、時折、オールド・ロックンロール・スタイルの楽曲を発表していき、81年には「リトルガール」「セクシーガール」「センチメンタルガール」の“ガール三部作”でこのスタイルを極めた。絶唱型やバラディアーだけではない、陽気で軽やかな西城秀樹の魅力はこういった楽曲群でこそ輝きを放ったのだ。


西城秀樹「チャンスは一度」「薔薇の鎖」「激しい恋」「セクシーガール」山本リンダ「どうにもとまらない」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。

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