2019年03月01日
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2019年03月01日
1976年の「横須賀ストーリー」を皮切りに、阿木燿子と宇崎竜童のコンビによる一連の作品でヒットを連ねていた山口百恵が、さだまさしの作詞・作曲による「秋桜」のヒットで作品の幅を拡げたのは1977年秋のこと。それからまた「乙女座 宮」や「プレイバックPart2」で阿木×宇崎コンビによるヒットが重なり、約1年後の1978年秋には代表作のひとつとなる谷村新司作の「いい日旅立ち」を歌ってさらに歌手としての矜持を身に付けた。それに続いて出されたのが通算25枚目のシングルにあたる「美・サイレント」であった。再びまた阿木×宇崎に委ねられた作品で、一番の特徴は歌っている途中で口だけ動かして声を発しない、いわゆる“口パク”となる箇所が意図的に折り込まれている点。当時は歌番組などでも大いに話題になった。レコードがリリースされたのは1979年3月1日。今からちょうど40年前に遡る。
週間で最高4位を記録した「美・サイレント」が上位にランクインしていた当時のヒットチャートを見ると、アリス、甲斐バンド、ゴダイゴらのニューミュージック勢に、百恵と共に歌謡界の頂点を極めていた沢田研二、そしてほぼ同時期にリリースされた西城秀樹「YOUNG MAN」や、ジュディ・オング「魅せられて」がトップ争いを繰り広げるなど、日本のヒットシーンが最高に輝いていた時代であったことが窺える。その中で「美・サイレント」はNo.1ヒットにこそならなかったが、デビュー7年目を迎えて確固たる存在感を示していた百恵が歌う姿は実に堂々として既に女王の風格が溢れていた。全体に格調高い雰囲気を醸し出しているリード・ギターの印象的な音色は元・愛奴の青山徹によるもの。編曲の萩田光雄を通じて、百恵のディレクターをずっと担当していた川瀬泰雄が依頼したのだという。
楽曲の完成度はもちろんのことながら、テレビの歌番組で視聴者が最も惹きつけられたのは、なによりも一部で口パクが導入された点であった。何か所か折り込まれたそのあざとい仕掛けに、大衆は「いったいなんと言ってるのだろう」と素直に乗っかり、推測するに至る。当時最も人気のあった歌番組のひとつ、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』に出演した当初には、もともとその部分に歌詞はないと説明されていたが、前年にスタートして急速に支持を集めていたTBS『ザ・ベストテン』では追及の手を緩めずに、遂には“情熱”や“ときめき”といった言葉が当てはまることを解明し、その部分にスーパーを乗せて放送したのだった。その甲斐あってか、同番組ではオリコンチャートを上回る最高2位を記録している。
ちょっとしたパズルのような言葉遊び。ほかの歌手が同じようなことをしたら、もしかすると“思わせぶりな”とか“ややこしい”などと少なからず揶揄されることもあったかもしれない。しかし彼女の場合はそんな評価は微塵もなく、ただただ純粋な興味を持って迎え入れられた。前作「いい日旅立ち」とはまた違った意味で、歌手・山口百恵の凄さを証明する一曲となった。この年はさらに「愛の嵐」「しなやかに歌って」と阿木×宇崎コンビの作品をヒットさせて、80年代へと突入する。そして「美・サイレント」のリリースから約1年後の1980年3月7日に三浦友和との婚約を発表し、同時に芸能界を引退することを公表するのである。内に秘めた情熱やときめきをプライベートで一気に開花させた彼女の表情が、ステージではあまり見せない明るさに満ちていたことが印象深い。
山口百恵「横須賀ストーリー」「秋桜」「乙女座宮」「プレイバックPart2」「いい日旅立ち」「美・サイレント」「しなやかに歌って」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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