2015年05月27日

相本久美子の誕生日。別名で「真のデビュー」をしていた70年代のアイドル

執筆者:丸芽志悟

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1958年(昭和33年)の本日、この世に生を受けた相本久美子。この5文字を見るだけで、未だにキュンとくる…先週生涯が遂に半世紀に達した筆者にとっては、まさに憧れのお姉さん的存在。「TVジョッキー」をどきどきしながら見ていた日曜の昼下がり。健康美というものをその笑顔に、すらっと伸びた美脚に教えられたものです。勿論、そんな彼女がレコード歌手だったことも、リアルタイムで知ってはいたけれど、何せオリコンシングルチャートでは60位をかすめる程度。人気に売り上げが追いつかなかった実情が悲しいです。名曲多いのに。


さらに彼女には、別名で「真のデビュー」をしていたという、知ってる人なら知ってる事実があります。あの山口百恵もその持ち歌で「スター誕生」の王冠を勝ち得た伝説のアイドル、牧葉ユミのサイン会会場で本人に直接スカウトされるという、今では考えられないチャンスに恵まれ、近藤久美子の芸名を得て、シングル「小さな抵抗」で1974年9月デビューしています。所属のCBSソニー(当時)は、前年華々しく登場した百恵に続き、キャンディーズをデビューさせてアイドル戦線をリードしていましたが、ひたむきな性格の彼女はその華やかさの中で埋もれてしまい、「聞きたいことがあるの」「1と5」とシングル2枚を続けてリリースしたものの、ブレイクせずに終わってしまいます。

結局、西城秀樹が救いの手を差し伸べ、改めて本名の相本久美子名義で「初夏景色」をリリースし再デビュー、そこからタレントとしての快進撃が始まることになります。CBSソニーからはシングル6枚とアルバム1枚、さらに東芝EMI(当時)に移籍してシングル5枚、LP1枚をリリースした後、82年に歌手活動にピリオドを打ち女優・レポーターに活動の中心を移しました。

さて、ここからは彼女と同じように、一度デビューして振るわなかったものの、再デビューでブレイクを果たしたアイドル数名に話題を移したいと思います。中島淳子→夏木マリや、春日はるみ→川中美幸などはあまりにも有名ですが、アイドルだって「空しい努力」をさせられた 例は多いです。

「ミカンが実る頃」で73年登場し、清涼感溢れる歌声でポスト小柳ルミ子として人気を得た藍美代子。コロムビアのオーディションで合格し、純エリ子名義で同社からシングル4枚をリリースしましたが、ブレイクに至らず。再デビューでの成功を経て、現在は自らジャズバーを経営しつつ歌手活動を再開しています。

74年「ひざまくら」で登場、安定感のある歌唱力で通受けした牧美智子。彼女は既に演歌歌手・愛原洋子として、71年クラウンから「わたしの心ながさき」でデビュー。演歌からポップスへの転換がうまくいった特殊な例でした。

74年、流行のアクショングラマー路線に「ヒッチハイク」で名乗りをあげたあきいずみ。彼女の真のデビューは71年、亜紀まこと名義で、ビクターのMCAレーベルから「そりゃないわ」。レコードのマスタリングに不備があるミスがスルーされ、可哀想な幻のデビューとなりました。

2度目がだめでも3度目で開花という例もあります。75年、ソニーのエピックレーベルから「彼によろしく」でアイドルとしてデビューした三純和子。既にその4年前、コロムビアから小野木久美名義でシングルを出していましたが共にヒットせず。その一方で細々とこなしていたアニソン歌唱に活動の中心を移し、大アニソン歌手・かおりくみことして遂に認められました。
光と影のドラマが溢れる歌謡界。こうして再デビュー経験のある歌手達の物語を眺めるだけでも、なんかジンとくるものがあります。

「小さな抵抗」「聞きたいことがあるの」近藤久美子、「初夏景色」相本久美子、「ひざまくら」牧美智子 写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト

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相本久美子

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