2019年04月19日
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2019年04月19日
アルバム『ヘルプ!』に先がけて、ビートルズの65年の最初のレコードともなったこのヒット曲について、「最も早いヘヴィ・メタルのひとつ」と言ったのは作者のジョンだが、ヘヴィなギターのリズムにジョンは虜になったのか、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」をさらにどっしり重たく、ギターの音が地面にめり込むような印象的なリフを生み出した。もうひとつ見逃せないのは、同じくジョンが「ポールのおかげだ」と言ったリンゴのドラミングだ。そう思うと、リンゴのドラミングにポールがちょっかい(失礼!)を出すようになったのは、この曲がきっかけだったのかもしれない。エンディングに一度ブレイクしたあとに、新たな展開になるという、「ハロー・グッドバイ」の先駆的で斬新なアイディアも、ポールによるものだろう。
それだけでなく、サビの終わりやエンディングでチョーキングを多用したギターを弾いているのもポールだ。というわけで、ギタリストとしてのジョージをも脅かした(失礼!)のもこの曲が最初だったと言えそう(?)だ。おかげでジョージがシタールならびにインド音楽に目覚めたと思えば、それもまたよし、なのかもしれないけれども。
ところで、65年のビートルズの1年間の活動は、前年の64年をそのままなぞったかのような“365日”となった。春は映画撮影とアルバム制作、夏は大規模なツアー、秋はアルバム制作、そして冬は小規模なコンサート、という流れである。64年の映画『ハード・デイズ・ナイト』の主題歌は、同名アルバムからの先行シングルとなった映画挿入歌「キャント・バイ・ミー・ラヴ」に続いて発売されたが、65年の映画『ヘルプ!』の時も同じように、同名の映画主題歌の前に、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」と同じ位置付けでシングルとして発売されたのが「涙の乗車券」でもあった。両者の違いは、65年は2曲ともジョンが中心となって書いた曲だったということだ。
「涙の乗車券」は、映画でも印象的な場面で使われている。すぐに思い浮かぶ方も多いと思うが、アルプスでのスキー場での演奏シーンがそれだ。スキーに興じる4人の様子を映し出しながら、画面にはメロディに合わせて音符が表示されるという印象的な仕上がりになっている。映画『ヘルプ!』が「MTVの元祖」などと言われたのは、この映像処理の影響が大きかったようだ。
最初に邦題について触れたけれど、ポールが後に明かしたところによると、原題の“Ticket To Ride”の“Ride”は、「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」の歌詞にも出てくるワイト島にある“Ryde”という町と掛けているとのこと。たしかに、ただの「乗車券」じゃなかったわけだ。
ザ・ビートルズ「涙の乗車券」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
藤本国彦(ふじもと・くにひこ):CDジャーナル元編集長。手がけた書籍は『ロック・クロニクル』シリーズ、『ビートルズ・ストーリー』シリーズほか多数、最新刊は『GET BACK… NAKED』(12月15日刊行予定)。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。最新著作は『ビートルズはここで生まれた』。
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