2015年06月17日

ザ・フォ-ク・クルセダーズを知っていますか?

執筆者:森川欣信

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1967年に彗星のごとく突如現れ、たった1年で消えていったバンドがある。森川欣信によるコラム。


先日、実家の団地が取り壊しになるので荷物の処分にいった。山のように積まれたガラクタを整理していたらとても懐かしいスクラップ・ブックを発見した。そこにはフォーク・クルセダーズの懐かしい資料が!! 若い世代はきっと知らない人も多いだろうけど、もし日本に於けるビートルズ的な存在は誰かと訊かれたら,僕は間違いなく「ザ・フォーク・クルセダーズ」だと答える。


1967年、日本のポップ&ロック・ミュージック・シーンはまだまだ黎明期だった。演歌や歌謡曲という歴史のあるもの、そしてジャズメン上がりや音大を卒業して海外のポップスを研究分析し日本独自のポップスを作り出そうとしている良質な楽曲は確かにあった。しかしそれらはほとんど音楽を職業としている人達の作品であって、まだまだ聴き手側と作り手側というように両者ははっきり別れているものだった。


誰もがギターを持ったりピアノを弾きながらオリジナル曲を作ることなどあまりなかった時代である。そんな中で革命的だった人の第1号は加山雄三だったかもしれない。加山氏は若大将シリーズの映画と共に多くの素晴らしいオリジナル作品を発表していた。ほとんどの作詞を岩谷時子が担当。その楽曲達はスタンダードとして今も色褪せる事がない。加山氏は卓越したメロディー・メーカーではあるがどこかミュージシャン&アーティストというより役者=スクリーンのスター(銀幕のスター)という感じがしたし、音楽以外にもスキーや水泳、サッカーというスポーツにも長けていて音楽に関してはそのマルチな才能の一部という感じがした。そして何よりも健全であった。スターとして燦然とした輝きがあり僕らには近寄り難いものがあった。


そしてもう一人、荒木一郎がいた。彼の曲のほうが加山雄三に較べるとジャパニーズ・ポップスと呼ぶにはふさわしいかもしれない。しかし加山雄三から較べるとそのコード進行は稚拙であったしどこかありきたりで隣の家のお兄さんがギターを抱えて歌っているような雰囲気だった。失礼な言い方だがこの程度のメロディーなら既に僕も作っていた。
他にもかまやつひろし、加瀬邦彦等,いわゆるグループ・サウンズに所属している人達の何人かが洋楽のエッセンスを入れた素晴らしいオリジナルを発表していた。でも、僕はそう言ったオリジナル曲よりも当然、彼ら(グループ・サウンズ)がカヴァーするビートルズをはじめとしたDC5、キンクスやストーンズ等、洋楽曲の方が断然好きだった。


グループ・サウンズやフォーク・シンガーが日本のポップス界に雨後のタケノコのように登場して来たのはビートルズ来日以降である。1967年、ビートルズが既に「S.G.T. PEPPERS」を発表していた時期に、日本では一部を除いて、まだあの王子様のようなコスチュームを着たグループ・サウンズが、笑顔でステップを踏みながら子供じみた内容の歌詞をうすっぺらいサウンドにのせて演奏していた。それは大人達にコントロールされ、意志も主張もなく去勢され、粗製乱造されたチープで哀れな操り人形にしか見えなかった。洋楽と邦楽の間には歴然とした差があって、そのクォリティーもさることながらオリジナリティーと言う点でも到底及ばず、そんな日本の音楽文化に僕が心動かされる事はほとんどなかった。


1967年暮れ、その奇妙なサウンドに出逢ったのは深夜放送のラジオ番組であった。その違和感はどことなくビートルズを初めて聴いた時のような感じに似ていた。
フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」である。


「帰って来たヨッパライ」を初めて聴いたのはオールナイトニッポンだった。
この番組はパック・イン・ミュージック(TBSラジオ)とともに深夜放送の草分け的な番組で中高生の間では絶大な支持を得ていた。
まだテレビ番組の深夜帯が無く、午前零時を回ればほとんどの学生達はラジオの深夜放送にそのチャンネルを合わせていた。
1967年暮、中学3年の冬に僕はこの曲に出逢った。
ラジオからこの曲が流れ出した時、ふざけた曲だなと思った。


ボーカルがテープの早回しである事は明らかである。
当時、オープンリールのテープレコーダーを持っているものなら、誰もが一度くらいはテープ速度を変えてこの手の遊びに興じていた。
当然の事、こんな遊びをまともに音楽に取り入れようなどとは誰も思いつかなかった。
しかし、よく考えてみればビートルズは既にこの方法でレコーディングを行っていた。
例えば「A Hard Day's Night」の間奏の12弦ギター。「In My Life」のジョージ・マーチンのピアノ。
しかし,ビートルズほど真剣に楽曲制作に向き合ってのテープ操作では無い。
なんかどこか人を食ったようなコミカルな感じがして、この曲がさほど音楽的であるとは思わなかった。
だいいちサビの歌詞が「天国良いとこ 一度はおいで」、草津節のパロディーである。


ところが、曲が進むにつれ、関西弁のこれまたとぼけた台詞のバックに流れるギター・リフがオフェンバックの「天国と地獄」の馴染みのフレーズとわかって妙に感心した。
で、次に僕がギョッとしたのは間奏のピアノである。
僕は耳を疑った。それはビートルズの「Good Day Sunshine」である!
「こいつらおかしなヤツだな!?」
曲の途中で突然、僕はこの曲というか作り手(つまりアーティスト=フォーク・クルセダーズ)に関して印象が変わった。
ラジオのボリュームを思わず上げて聴き入ってしまった。
そして、これまたナンセンスこの上ない(勿論良い意味で)エンディング、読経の歌詞が後半「it's been a hard day's night~」になり、
唐突に意味も無くベートーヴェンの「エリーゼのために」のピアノが流れこの曲はフェィド・アウトする。


このコミックソング(作り手)はただモノじゃないと思った。
まず、どこまでも人を食っている感じがどこかビートルズの映画「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」、あるいはライナーノーツや雑誌等に書かれている記者会見でのビートルズのパーソナリティーなんかと被った。
そしてこの曲の自由奔放な遊び感はビートルズの最新作、「SGT.Pepper's」や「Yellow Submarine」、そしてエンディングのカオス感は半年前にリリースされた「All You Need Is Love」のcodaを思わせた。


「帰って来たヨッパライ」は京都の学生バンドが自主制作したアルバムに収録されていて関西方面ではすでに大きな話題となっている」、DJの亀渕昭信は興奮して語った。
その次の日、この「帰って来たヨッパライ」のオンエアを僕はラジオの前で心待ちにしていた。(元祖TOKYO BOYカタログ)

写真提供:森川欣信

ザ・フォーク・クルセダーズ

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