2015年07月01日

1968年の本日、「水虫の唄」がリリースされた。

執筆者:小倉エージ

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1968年の本日、「水虫の唄」がリリースされた。


「水虫の唄」はザ・フォーク・クルセダーズがザ・ズートルビーと名乗って発表した3枚目のシングルだ。どんなに離れていても君のことが忘れられない、というカレッジ・フォーク、ポップス調のラヴ・ソング。その実、忘れられないそのワケは、水虫をうつされたからだというオチがある。
ハープシコードによるベートーヴェンの交響曲第6番『田園』の第1楽章が奏でられる格調高い前奏。その1番の歌詞は離れてしまった恋人への思いを描いた甘い追憶のラヴ・ソングであり、2番には「想い出の渚」をほうふつさせるくすぐりがある。まさにカレッジ・フォーク、ポップスのパロディーに他ならない。
さらに忘れられないワケを明かすサビのメロディーはメンデルスゾーンのピアノ曲『春の歌』。TVやライヴではその後に続く演奏のパートをバックに、遠く離れてしまった恋人への思い、僕のもとに帰ってきて水虫をうつしてほしいと北山修が切々と訴えかける語りもあった。「君といつまでも」での語りのパロディーなのは言うまでもない。


デビュー曲「帰って来たヨッパライ」はもとより、自主制作盤での「ひょっこりひょうたん島」や「Man's Smart」を北山修が訳して歌った「女の子は強い」などのコミカルな歌や、時にシニカルでブラックな作品などを歌ってきたザ・フォーク・クルセダーズにとって「水虫の唄」は面目躍如たる作品のひとつでありビッグ・ヒットになった。


ところでこの曲、作詞、作曲は山田進一、補作詞として足柄金太、補作曲として河田藤作の名が併記されている。足柄金太は北山修、河田藤作は加藤和彦だが、それからも明らかなように、原曲とはタイトル、一部の歌詞、メロディーや構成が異なる。
原曲のタイトルは「水虫の唄」ではなく「君をいつまでも」。あのヒット曲「君といつまでを」の〝と〟を〝を〟に置き換えたものだ。そのタイトルからしてユーモア、というよりも関西人が〝おちょくる〟と表現するからかいのニュアンスが汲み取れるはずだ。
原曲の「君をいつまでも」の1番の歌詞は「水虫の唄」そのままだが、2番になって忘れられないワケである〝水虫〟の件が早くも登場し、純愛のラヴ・ソングは一転、コミカル・ソングへと豹変する。さらに、原曲にはサビはないが、それに代わって〝どんな薬を使ってみても、春になればぶり返す〟と言う語りがあって、3番は〝足が蒸れてかゆくなりゃ、いやでも君を思い出す〟という止めの歌詞もある。
作詞、作曲を手がけた山田進一は私の同窓生だ。P・P&Mをこよなく愛していたフォーク・ファンでグループも組んでいた。そんな彼の自宅で出来上がったばかりの「君をいつまでも」を聞いた私は、当時、編集を手伝っていたフォーク・ソングなどを紹介するミニコミ誌にすぐさま掲載し、紹介した。67年12月のことでザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」も同じ号で紹介されている。


それから間もなくしてちょっとした事件があった。
『スター千一夜』という番組だったと思うが、マイク・真木が前田美波里と婚約したかで同番組に出演した際、マイク・真木が「彼女の為に作曲しました」、とはうろ覚えな記憶だが、ともかくあたかも自身が作詞・作曲したオリジナル曲のような前触れの後で「君をいつまでも」を歌った。
その出来事は山田進一の周辺やそれを紹介してきた私の友人たちの間で話題となった。誰かが通告したのか、その一件はとある女性週刊誌が知るところとなり、山田進一は取材された。その際、先に私がミニコミ誌で紹介してきたこともあり、山田が原作者であることの証人として山田から同席を請われ、共に取材に応じた。結果、その一件の顛末が報じられ、マイク・真木は自作ではなかったことを明らかにし、山田進一の名誉も保たれることになった。


それにしてもマイク・真木、さらに、フォーク・クルセダーズがどうして「君をいつまでも」を知ったのか。
wikiによれば「神戸のポート・ジュビリーのライブコンサートで活躍していた甲南大生を中心としたフォークバンドのThe Spirits Of Falls(山田進一、菅尾 示、高原杏子、山内十三男、上島隆夫)のオリジナル曲であり、当時のラジオ関西で流されリクエストが集中しそれを京都中心に活躍していたフォークルがレコード化した」とある。
山田進一がグループを結成していたのは知っているが、ステージを見た記憶はない。それよりも当時、私はまだ神戸にいて、フォークが放送される番組を片っ端から聞いていたが、The Spirits Of Fallsが歌う「君をいつまでも」を耳にした覚えがない。放送されたからにはテープが存在するのだろうが、現在、その確認の手立てもない。さらに「リクエストが集中した」という話もWIKIの書き込みではじめて知った。もしかして「帰って来たヨッパライ」が知られるようになったきっかけと混同してのものではないか?とも思ったが。


ちなみに「帰って来たヨッパライ」がブレイクしたきっかけについては諸説ある。私が調べたところでは、67年9月に終了したラジオ関西の「ミッドナイト・フォーク」の最終回に、すでに完成はしていたもののまだテープの段階だったザ・フォーク・クルセダーズ解散記念の自主制作盤『HARENCH』から同曲を紹介したがさしたる反応はなかったという。しかし、その後、11月に放送が開始された「若さでアタック」で紹介されたのをきっかけにラジオ関西には問い合わせが殺到し、やがて同局の看板番組のひとつだった「電話リクエスト」で紹介され、それがビッグ・ブレイクの発端となったというものだ。北山修もそれを認めている。その「電話リクエスト」について深夜放送だったという誤認のむきもあるが、実際には毎夜7時からの放送で本来は洋楽主体の番組だったが「帰って来たヨッパライ」は例外的に紹介されたという。


話を「君をいつまでも」に戻そう。当時、ポート・ジュビリーに足を運んだことがあるものなら「君をいつまでも」を耳にしていたはずだ。少なからず話題になっていた覚えもある。それは、山田、私にとっては先輩にあたり、ポート・ジュビリーの看板バンドのひとつだったタイニー・スパロウズが歌っていた記憶があるからだ。彼らは東京でのフォーク・イベンドにも出演していたことからすれば、そんなことを通じてマイク・真木は「君をいつまでも」を耳にしたのではないか、とは私の勝手な想像だ。


はたしてフォーク・クルセダーズがどうやって「君をいつまでも」を耳にしたのか。それについてはさだかではなく、北山修に確認するしかないが、ともあれ北山修、加藤和彦は「君をいつまでも」を解体し、新たなオリジナル・ソングを誕生させた。
〝と〟を〝を〟に置き換えた思わせぶりなタイトルを「水虫の唄」と改めた。その代わりに原曲における歌詞、語りの部分でのリアルな表現は避け、いきなり忘れられないワケを明らかにせず、カレッジ・フォーク、ポップスのありきたりで凡庸な定番的な歌詞を加筆し、誰が耳にしても拒否反応を起こさず、また親しみを覚える歌詞に書き改めていた。万人に親しまれたクラシックのメロディーを取り入れ、シニカルでブラックなユーモアを発揮した北山修のせつなげな語りによるくすぐりを加味するなど、絶妙なパロディ・ソング、コミック・ソングへと変貌させた。


それにしても先にも触れたwikiでの「高度な反骨メッセージをこめたユーモア・プロテストソングである」という記述には〝をい、をい〟とつぶやきたくなるほど笑いを隠せない。
その後、「水虫の唄」はカメこと亀渕昭信とアンコーこと斉藤安弘によるデュエット・コンビのカメ&アンコーにカバーされてヒットし、より多くの人々に「水虫の唄」の存在を印象づけることになったのである。

ザ・フォーク・クルセダーズ

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