2015年06月19日

6月19日は北山修の誕生日…フォーク・クルセダーズ

執筆者:小野善太郎

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本日、6月19日は北山修の誕生日。1946年生まれであるから69歳となる。


1967年暮れに突如出現して巷を席巻することになった「帰って来たヨッパライ」は、京都の大学生によるアマチュアのフォーク・クルセダーズ(当初はフォーク・クルセイダーズ名義、以下フォークル)がメンバーの就職活動を控えて解散することになり、その記念として自主製作したLPレコードに収められていた異色の1曲。


せっかく作ったのに売れ残ったままなので、当時隆盛し始めていた若者向きの深夜放送ラジオの関西局に持ち込んだところ、それを聴いたリスナーからのリクエストが殺到し、東京の大手ラジオ局にも飛び火。


ついにはメジャー・レコード会社の争奪戦となり、直ぐにシングル盤で発売されるや、当時、真の売り上げ枚数を発表すると喧伝して創刊されたばかりの『オリジナル・コンフィデンス(オリコン)』誌でもトップを独走、実数で100万枚突破のミリオンセラー第1号となり、最終的には280万枚を売り上げるメガヒットとなった。


急きょ再結成することになり、北山修と加藤和彦のオリジナルメンバーに京都フォーク界の先輩・端田宣彦が加わった第2次フォークルはテレビや映画にも出演する人気者になったが、学業に戻るため、元々の告知通りに活動1年で1968年中には解散することに。


折しも芸能音楽界はグループサウンズの全盛期。
その頂点を極めていたザ・タイガースも京都出身であり、メンバーの岸部一徳らと北山や加藤は同学年(沢田研二は2歳下)で、結成されたのも同じ1965年。京都でのアマチュア時代には、実はステージで共演もしていたのだ。


その沢田は当時「僕はフォークルを決してカッコいいとは思いません。やめることなんて誰だって出来る。しかし、音楽を愛していれば、あんなに無責任にやめていけるものではありません」と発言していたが、フォークルは解散しても、各メンバーは独自に活動を継続。
端田が京都のフォーク仲間を集めたシューベルツのデビュー作「風」(北山作詞、端田作曲)は大ヒット。さらに後に結成したグループ・クライマックスでの「花嫁」(北山作詞、端田らが作曲)、北山が作詞してシューベルツに在籍した杉田二郎が作曲したジローズ「戦争を知らない子供たち」、北山と加藤の自作自演「あの素晴しい愛をもう一度」など一連の曲は、今もなお古びずに歌い継がれている。


さらにフォークルのブレイクは、それまで音楽界に君臨していた旧体制と音楽好きの若者との大きな隔たりを一気に縮める革命的な端緒となった。
デビューは後年になるが北山らと同い年(生まれは数か月早い)の吉田拓郎は「フォークルが、東京に行けば音楽で生きていく道がある、と思わせてくれた。当時、音楽やってるヤツはみんなそう思ったんじゃないですか」と述懐している。


北山は医者の道へと進むことになっても、音楽活動などを並行していることは衆知であるが、この6月19日は北山の誕生日。
生まれたのは1946年。そう、終戦の翌年であるが、私が興味深いのは、終戦日の1945年8月15日から“十月十日(とつきとうか)”は1946年6月下旬あたりになること。


というのは半分は冗談ながら、そうした意味でも北山は“戦争を知らない子供たち”の正に先頭に位置しているという自覚を持っていたと思われてならず、やがてそれが「戦争を知らない子供たち」の歌に結実したことは間違いないのでは。
ちなみに、作曲した杉田も同じ1946年(11月2日)生まれであるのも必然を感じさせてならない。


今年は終戦70年を迎えることになるが、日本と周辺の状況を見るにつけ、今後も「戦争を知らない子供たち」が歌い続けられることを願ってやまない今日この頃である。

ザ・フォーク・クルセダーズ

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