2015年10月16日
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2015年10月16日
10月16日、加藤和彦がこの世を去った日。敬愛していたアーネスト・ヘミングウェイの生き方に倣ったかのように彼が人生を閉じてから、もう7年が経つ。
思えば加藤和彦には、どこにでもいるけれどどこにもいない人、という印象があった。それぞれの時代のキーとなるフィールドに確実に存在しているのだけれど、その中心点からは外れたところにいる。強引に言えば、太陽系におけるハレーすい星のような存在感。
たとえば、ザ・フォーク・クルセダーズ。1960年代のフォーク・ムーブメントを代表する存在でありながら、彼らは関西フォークの泥臭さとも、東京のキャンパス・フォークの気取りとも違う匂いをもっていた。なにより僕にとって印象的だったのは、ザ・フォーク・クルセダーズが先鋭的なロック・バンドだったジャックスのナンバーを積極的にカヴァーしていたこと。後に、それも加藤和彦の意向だったと聞いたけれど、あの時代、ザ・フォーク・クルセダーズには、グループ名とはうらはらなフォークという枠を超える存在感があったし、僕自身そこに強く惹かれていた。
同じことはサディスティック・ミカ・バンドにも言えた。彼らは1970年代前半期のロックムーブメントの中心近くに確実にいたけれど、主流だったハードロックバンドでも、ブルースバンドでも、ウエストコースト・テイストのバンドでもなかった。彼らの、グラマラスでキッチュなテイストは、あの時代の中でも異色なものだった。しかし、無視するにはその存在感はあまりに強烈で、有無を言わせないクオリティもあった。
しかし、今にして思えば、ザ・フォーク・クルセダーズがそうだったように、シーンの中でのサディスティック・ミカ・バンドの違和感が、あの時代のロックシーンのダイナミズムを生み出していたのだし、閉鎖的になりがちなシーンに風穴を開け、次の時代を呼び込む伏線ともなっていたことがわかる。
ソロ活動に入ってからも、加藤和彦は精細な感覚で時代の空気を感じ取りながらも、次の時代を予感される違和感を含む作品を継続的に生み出していった。その姿勢は“スタイリッシュ”といったキーワードで捉えられていった。しかし、一見“スノビズム”とも見えるライフスタイルの中には、動いてゆく時代の中で音楽表現の可能性を探り、切り拓いていく意志が貫かれていた。
加藤和彦の作品は、常に時代のエッセンスを体現しながら、どこかに違和感が忍ばせてあった。その違和感こそが、彼の音楽を時代に埋没しない独自のものにしていたのだと思う。そして彼が、時代のエッセンスと違和感を作品の中に結実させていくことが出来たのは、彼が相対的な価値観をハイブリッドさせる感覚を自然に持っていたからなのではないか。
思い出したのが、かつて加藤和彦が語っていた「僕は江戸っ子なんだよ」という言葉だ。生まれは京都だけれど、湘南と東京で子供時代を過ごしたという彼の生い立ちそのものの中に、残された作品を今も比類ないものとして輝かせている“ハイブリッド”のルーツがあるのかもしれない。
そんなことを考えていたら、久しぶりに『それから先のことは』を聴いてみたいと思ってしまった。
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