2015年12月31日
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2015年12月31日
一年を締めくくる12月31日の風物詩といえば、NHK・
始まりは1970年初頭。2枚目のシングルのB面から思いがけぬヒットに転じた「白いサンゴ礁」でGS停滞期に爽やかな風を送り込んだズー・ニー・ヴーは、4枚目のシングルで初めて筒美京平と手を組む。元々は大手電機会社のエアコンCMソングとして作られたメロディーを改作し、前作・前々作に引き続いて阿久悠を作詞家として起用。挫折した若者に向けてのポジティヴなメッセージ(当時の学生運動は、今から想像できないほど建設的な意味でも大きかった)を歌い込んだその曲「ひとりの悲しみ」は、残念ながらヒットチャート入りを逃したが、その年の11月に公開された映画「野良猫ロック・マシンアニマル」(日活)には、この曲をクラブで演奏する彼らのシーンが残されている。
その映画が公開された頃、ズー・ニー・ヴーの原盤制作を担当していた日音のプロデューサー、村上司は、この曲のポテンシャルを無駄にしてはならないと考え、こちらも日音に所属していた3人組コーラスバンド、ザ・ワンダースから独立したばかりの尾崎紀世彦にこの曲を託す。基本的メロディーやアレンジはそのまま、阿久悠自身により歌詞のシチュエーションが「終わろうとしている男女の関係」へと改変され(ただし所々に「ひとりの悲しみ」の名残が見られる)、こうして「また逢う日まで」が誕生。71年3月5日にフィリップスからリリースされた。
実はズー・ニー・ヴーのレコードでの演奏メンバーの多くがこちらにも参加しており(映画で見られる彼ら自身の場末感溢れる演奏も捨て難いけど)、演奏そのものが持つドライヴ感はソウル〜ジャズのそれに近い。ヴォーカルとの境界線を埋めるバックコーラスは意外に無視できないが、これは元ザ・ワンダースだった二人(一人はのちに「日立の樹」を始め数々のCMソングやアニソンを歌うことになる朝紘一である)によるもの。そして、フォークを基調にR&Bの味をまぶしたズー・ニー・ヴーの町田義人の歌唱と対照的に、トム・ジョーンズに象徴される白人男性的な力強さを強調した尾崎の歌声は、見た目と合わせてインパクトを強烈に聴き手に残しやすい。そこが解りやすいメロディー、特にサビでの口ずさみやすい歌詞表現(これは「ひとりの悲しみ」に決定的に欠けていた要素である)と相まってみるみる大衆に浸透し、オリコンでは5月17日付でチャート1位を記録。その後9週間その座を守り抜き、総売上枚数は100万枚近くに達した。
この年の歌謡界は、小柳ルミ子や南沙織の登場、3度の改名を経た五木ひろしの遅すぎたブレイク、さらに加藤登紀子「知床旅情」や湯原昌幸「雨のバラード」などのリメイクヒットや、欧陽菲菲「雨の御堂筋」のヒットでベンチャーズ歌謡第二期黄金時代がスタートするなど、正に翌年以降の百花繚乱状態の前兆といった雰囲気。そんな中、正に余裕綽々という印象さえ伺わせる「また逢う日まで」の大賞受賞。阿久悠はその後、76・77・78年の3年に渡り大賞受賞曲を手がけるという見事なハットトリック。その翌年には筒美京平も「魅せられて」で2度目の大賞を授与されることになる。正に「記念碑」。この権威は、そして歌謡界の輝きは、一体どこへ行ってしまったのだろう…尾崎紀世彦も、2012年5月30日に帰らぬ人となってしまうのである。
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