2015年12月31日

1971年の本日、第13回日本レコード大賞に輝いた尾崎紀世彦の曲は…。

執筆者:丸芽志悟

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一年を締めくくる12月31日の風物詩といえば、NHK・紅白歌合戦、そして「輝く! 日本レコード大賞」だ(2006年からは12月30日の放送に変更)。 ここ数年は紅白の前座という程度まで影が薄くなってきているレコ大だが、少なくとも主流記録メディアが塩化ビニール盤だった時代に於いては、まさにその年のエンタメ界を総括するステータスであった。1959年(昭和34年)に制定されたその第一回受賞作品が、未だレコード会社として正式発足以前の状態だった東芝の初リリース曲、水原弘「黒い花びら」であったことは、その後の日本音楽界の発展を思うと暗示的である。以後昭和末期までに至る受賞曲の多くは、それぞれに語るべきドラマを持っており、今回はその内の一つ、1971年度の受賞曲にスポットを当て、当コラムの2015年を締めくくることにしたい。去る8月、筆者の出演した「阿久悠ナイト」でもマストの一曲として取り上げた、尾崎紀世彦「また逢う日まで」である。この曲が大賞を受賞するまでの物語は、実に2年に及ぶ。


始まりは1970年初頭。2枚目のシングルのB面から思いがけぬヒットに転じた「白いサンゴ礁」でGS停滞期に爽やかな風を送り込んだズー・ニー・ヴーは、4枚目のシングルで初めて筒美京平と手を組む。元々は大手電機会社のエアコンCMソングとして作られたメロディーを改作し、前作・前々作に引き続いて阿久悠を作詞家として起用。挫折した若者に向けてのポジティヴなメッセージ(当時の学生運動は、今から想像できないほど建設的な意味でも大きかった)を歌い込んだその曲「ひとりの悲しみ」は、残念ながらヒットチャート入りを逃したが、その年の11月に公開された映画「野良猫ロック・マシンアニマル」(日活)には、この曲をクラブで演奏する彼らのシーンが残されている。


その映画が公開された頃、ズー・ニー・ヴーの原盤制作を担当していた日音のプロデューサー、村上司は、この曲のポテンシャルを無駄にしてはならないと考え、こちらも日音に所属していた3人組コーラスバンド、ザ・ワンダースから独立したばかりの尾崎紀世彦にこの曲を託す。基本的メロディーやアレンジはそのまま、阿久悠自身により歌詞のシチュエーションが「終わろうとしている男女の関係」へと改変され(ただし所々に「ひとりの悲しみ」の名残が見られる)、こうして「また逢う日まで」が誕生。71年3月5日にフィリップスからリリースされた。

 

実はズー・ニー・ヴーのレコードでの演奏メンバーの多くがこちらにも参加しており(映画で見られる彼ら自身の場末感溢れる演奏も捨て難いけど)、演奏そのものが持つドライヴ感はソウル〜ジャズのそれに近い。ヴォーカルとの境界線を埋めるバックコーラスは意外に無視できないが、これは元ザ・ワンダースだった二人(一人はのちに「日立の樹」を始め数々のCMソングやアニソンを歌うことになる朝紘一である)によるもの。そして、フォークを基調にR&Bの味をまぶしたズー・ニー・ヴーの町田義人の歌唱と対照的に、トム・ジョーンズに象徴される白人男性的な力強さを強調した尾崎の歌声は、見た目と合わせてインパクトを強烈に聴き手に残しやすい。そこが解りやすいメロディー、特にサビでの口ずさみやすい歌詞表現(これは「ひとりの悲しみ」に決定的に欠けていた要素である)と相まってみるみる大衆に浸透し、オリコンでは5月17日付でチャート1位を記録。その後9週間その座を守り抜き、総売上枚数は100万枚近くに達した。


この年の歌謡界は、小柳ルミ子や南沙織の登場、3度の改名を経た五木ひろしの遅すぎたブレイク、さらに加藤登紀子「知床旅情」や湯原昌幸「雨のバラード」などのリメイクヒットや、欧陽菲菲「雨の御堂筋」のヒットでベンチャーズ歌謡第二期黄金時代がスタートするなど、正に翌年以降の百花繚乱状態の前兆といった雰囲気。そんな中、正に余裕綽々という印象さえ伺わせる「また逢う日まで」の大賞受賞。阿久悠はその後、76・77・78年の3年に渡り大賞受賞曲を手がけるという見事なハットトリック。その翌年には筒美京平も「魅せられて」で2度目の大賞を授与されることになる。正に「記念碑」。この権威は、そして歌謡界の輝きは、一体どこへ行ってしまったのだろう…尾崎紀世彦も、2012年5月30日に帰らぬ人となってしまうのである。

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