2015年07月02日

1971年の6月1日に「17才」でデビューしてから約1ヵ月後、7月2日に17才の誕生日を迎えた南沙織。

執筆者:榊ひろと

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本日、7月2日は南沙織、生誕の日。


1971年の6月1日に「17才」でデビューしてから約1ヵ月後に17才の誕生日を迎えた南沙織。70年代女性アイドルの嚆矢であるとか、実年齢に合わせたタイトルで世代感をアピールした酒井政利ディレクターの戦略であるとか、ご当人の篠山明美さんが今年で何歳になるとかいった話はさて置くとして、“歌手・南沙織”が生まれたのは同年の2月にオーディションのために初来日した彼女が、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」を歌った瞬間ということになるのだろう。


ピアノ伴奏も担当した筒美京平の「何か歌える曲はある?」との求めに応じて、当時アメリカ本国のみならず欧豪日でも大ヒット中だったこの曲を選んだのである。その鮮烈な歌唱(英語の発音も含め)は筒美をはじめとするスタッフに大きなインスピレーションを与え、その場でデビュー曲の方向性が決定づけられたという。ナッシュビルの若き歌姫が南部系シンガー・ソングライター、ジョー・サウスの楽曲を取り上げてカントリーはもちろんのことポップ・チャートにも上位ランクされたクロスオーヴァー・ヒット「ローズ・ガーデン」が世界の音楽界に与えたインパクトは大きい。リン・アンダーソンの成功が初期のオリヴィア・ニュートン=ジョンの路線に影響を及ぼしたのは間違いないところだし、カーペンターズが「トップ・オブ・ザ・ワールド」のような曲を制作することもなかっただろう。リンダ・ロンシュタットだって彼女の活躍を横目で見ていた可能性が高い。


さて日本でも大人気となったオリヴィアのバックグラウンドを因数分解してみると、もうひとつの構成要素として浮かび上がってくるのがアップル・レコードのメアリー・ホプキンの存在である。片やクリフ・リチャード&シャドウズの支援でデビューしたオリヴィアに対して、ポール・マッカートニーがプロデュースしたホプキン。ちなみにリンダ・ロンシュタットの後ろ盾となったピーター・アッシャーもビートルズ/アップル人脈である。そしてこの頃“極東のメアリー・ホプキン”だったのがやがて来日するアグネス・チャン。考えてみれば英国圏の香港からアグネスが登場して、南沙織が沖縄からやってきたという事実はなかなか興味深いものがある。


「17才」は筒美京平が外国曲にインスパイアされながらも似て非なる作品へと巧みに換骨奪胎する手法を確立した楽曲でもある。また「南沙織」の名付け親でもある有馬三恵子による歌詞も“17才”という単語は出てこないが、恋の喜びを主体的に謳歌する女性像を描いた点で画期的。“~好きなんだもの 私は今 生きている~”の部分の歌詞とメロディのマッチングの良さは、プロデューサーの思惑やら洋楽からの影響といったものをはるかに超越して奇跡的ですらある。当時の女性アイドルとしては特異なスタンスとアティチュードを貫いたまま、わずか7年半で表舞台から去った南沙織、すべての原点はやはりデビュー曲にあったのだなと再確認させられた。

南沙織

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