2016年08月11日
スポンサーリンク
2016年08月11日
本日8月11日は、小山ルミの誕生日。ビートルズの歌ではないけど、あのゴーゴーガールも今日で64歳である。
歌手としては71年リリースされた6枚目のシングル「さすらいのギター」の大ヒットで記憶されているが、近年評価が高いのが歌手デビュー前〜歌手活動初期に至る「ビート・ガール」としての姿だ。生い立ちそのものがアイルランド人と日本人のハーフ。混血の者にカッコよさを感じるというGS時代の風潮にまさにピッタリはまった女の子だった。芸能界入りして初期、67年前後の仕事の中では、フジテレビ「ビートポップス」で洋楽の最新レコードが紹介される中、グルーヴィに踊りまくる少女達の中の一人という役割が最も知られているが、生憎当時の映像記録がほとんど残っていないため、後追いの若いファン達はその姿を妄想するしかないのである。
そんな不満を多少解消してくれるのが、GS〜アングラレコードのブームの徒花として制作された「ケメ子の唄」(松竹)や、牧伸二・なべおさみ以下当時の名コメディアンをずらっと揃えた「悪党社員遊侠伝」(同)といった映画に残された彼女の姿。さらにカルトな仕事としては、プリマハムの新商品のイメージソングとして制作されながら、その後カルト歌謡の金字塔的存在に祀りあげられた海道はじめ「スナッキーで踊ろう」のプロモーション用に結成された女子3人組、スナッキーガールズの一員があげられる。脇を固めるのは、後にアイドル女優として大ブレイクした吉沢京子、そしてもう一人は風吹ジュンという説が長年囁かれていたが(奇しくも3人共テイチク=ユニオンレーベルの所属という共通項があり、80年代廃盤ブームの頃はこの3人を抱き合わせたコンピアルバムもリリースされていた)、ジュン本人により否定され、実際は羽太幸得子というこれまたモデル修業中のローティーンガールだったことが判明している。
これらの仕事をこなした68年、まさにビートガールとして脂が乗ってきたその年の7月、ビクターから初のレコードがリリースされる。A面「はじめてのデート」は、60年代中期のフレンチポップスを彷彿させる甘酸っぱい楽曲で、当時のトレンドより相当後退した雰囲気だが、現在ではB面である「わたしの祈り」の方の評価が高い。本格的GS歌謡とは言い難いが、作曲者・曽根幸明のジャジーな側面を垣間見れるダンサブルな一曲だ。前述した「悪党社員遊侠伝」には、この曲を歌い踊る彼女のシーンが残されており、GS期ビートガールの幻を追い求めるファンにとっては感涙の一瞬となっている。
70年にはテイチク=ユニオンレーベルに移り、本格的に歌手活動をスタート。なかなかヒットに恵まれなかったが、この初期にこそルミの真骨頂が残されている。再デビュー曲「ひとりぼっちのレモンティー」は、70年特有の退廃ムードを湛えたアダルティーな楽曲ながら、「はじめてのデート」に比べると格段に進歩した歌唱力が記録されている。凄いのが続く「あなたに負けたの」だ。独裁者のポートレートを背後に従え(これは今やると炎上ものだろう)、露出度高めで挑発してみせるジャケット(ちょうどバストの辺りで半分に折られているのも思わせぶり)がまず強烈だが、針を落として突如始まるピアノのリフに導かれ、曲全体がセクシーに煽りまくるグルーヴ歌謡の逸品。最近も7インチシングルで復刻され、発売当時からは想像できない高い人気を得ている。さらに続く「グット,,がまんして!!」はコミカルな面も強調しつつ、よりダンサブルなリズムで乗れる名曲。ほぼ同時期に女子3人組・グルーパーがシングルのB面で発表した「帰ろうかな」はこの曲と異名同曲で、こちらの評価も近年高まっているが、今のところCD化されていない。
続いてクニ河内提供による「幸せすぎない幸せが好きよ」でアンニュイな面を見せ、いよいよ71年6月「さすらいのギター」が登場。元々ロシア軍の鎮魂歌として作られたメロディーをエレキインストにアレンジし、63年にヒットさせたのがフィンランドのバンド、ザ・サウンズで、その後エレキ界ではスタンダードの一つとなっている。この時期、渚ゆう子「京都の恋」のヒットにより再び歌謡界と密接な関係を築き始めたベンチャーズが録音したことに触発され、ルミのカヴァーが生まれたと思われる。更に徳間のハーベストレーベルからは入江ゆみのヴァージョンが出ているが、オリコン11位に達し大ヒットしたルミ版に比べると惨敗に終わっている。ベンチャーズ歌謡としてはさらに欧陽菲菲「雨の御堂筋」が同年9月に登場し大ヒット。さらにロシア民謡を題材にした仲雅美「ポーリュシカ・ポーレ」も8月にリリースされこれも大ヒットしており、ルミチームの選球眼はある意味鋭かったと言える。
この後、エレキリバイバル歌謡第2弾「二つのギター」(元々は63年に同じくフィンランドのザ・フィーネイズが、ロシア民謡に題材を得て発表した曲)を発表、こちらは44位に留まっている。更に女性版尾崎紀世彦とでも形容したいダイナミックな楽曲、72年以降トレンディになったアクショングラマー路線を意識した楽曲、そして再度カバーポッブス時代の名曲のリメイクと、安定したリリースが続いたが、結局3度目以降のチャート入りは果たせず、ラストシングル「わたしはお人形」発売間もない74年に修行のため渡米、そのまま現地で結婚し、アイドル世代交代の波を遠目にあっさり芸能界を去っている。
1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。この日から12週に渡って首位を独走、遂には71年の年間セールス1位を獲得するまでに至...
小柳ルミ子は宝塚音楽学校を首席で卒業した後、渡辺プロに入社し、1971年に「わたしの城下町」でデビューしていきなりヒットを飛ばした。72年の「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞を受賞。その後も多くのヒッ...
本日5月2日は、今もなお個性派俳優・歌手として独自の道を歩み続ける夏木マリの誕生日。今日で66歳という年齢が信じがたい程、その仕事欲とパワーに圧倒されるばかりだ。1971年本名の中島淳子名義でデ...
1976年11月15日、研ナオコの「あばよ」がオリコン・チャートの1位を獲得した。この曲は研ナオコにとって初の、そして現在まで唯一のオリコン1位作品である。作品提供した中島みゆきは研ナオコが愛川...
ウクレレ漫談で一世を風靡した芸人・牧伸二が突然世を去ってからもう5年近くになる。1963年に司会に起用された『大正テレビ寄席』は、60年代後半に訪れた演芸ブームの際に重要な役割を果たして15年も...
今年でプロ生活47年目を迎えた野口五郎のポップス歌手としての事実上のデビュー曲。実際には演歌調の「博多みれん」に続く第2弾シングルであることはよく知られている事実だが、15歳にして夜の盛り場を廻...
1954年(昭和29年)の本日3月2日は、70年代のスーパーアイドル第1号、吉沢京子の誕生日。69年6月放映開始されたTBSのスポ根ドラマ「柔道一直線」で、桜木健一演じる主人公を一途に思うヒロイ...
一昨年(2014年)3月15日、安西マリアが亡くなったという衝撃のニュースが伝えられたのが、まだ昨日のことのよう記憶に新しい。デビュー曲「涙の太陽」がヒットし、妖艶なルックスで昭和の男子を魅了し...
1970年の11月9日、渚ゆう子の「京都の恋」がオリコン・チャートの1位を獲得した。この曲を作曲したのはベンチャーズである。これはどういった経緯で生まれたコラボレーションなのだろうか? text...
ザ・サーフ・コースターズとの共演による最新シングル「真夏の出来事〜ナウ・アンド・ゼン」が話題の平山みき(三紀)だが、いったい何ヴァージョン目の録音となるのだろう? この昭和歌謡史に燦然と輝く大名...
1972年(昭和47年)の本日8月5日は、小林麻美のデビュー曲「初恋のメロディー」が発売された日である。ある世代の方にとっては、1984年のメガヒット「雨音はショパンの調べ」のイメージしかないと...
中国語圏の歌手では、欧陽菲菲(オウヤン・フィフィ)、アグネス・チャンに継ぐ人気者になったテレサ・テンだが、その存在は日本人が知っているよりはるかに大きなものである。大海のさざなみのような彼女のな...
1973年12月3日、フィンガー5の「個人授業」がオリコン・チャートで1位を獲得した。 和製ジャクソン5と呼ばれた、日本のキッズ・グループの最高峰・フィンガー5は、玉元一夫、光男、正男、晃、妙子...
1970年代初頭、雑誌やCMのモデルから歌手や女優へと乗り出すのはちょっとしたトレンドであった。そんな中で登場した小林麻美はそのスレンダーな肢体と10代とは思えないアンニュイな佇まいを持ち、歯磨...
今日、7月31日は歌手・女優の岡崎友紀の誕生日。子役時代に既にミュージカルも経験済みという演技力&歌唱力に加え、コミカルな芝居やコント、バラエティ番組での立ち回りもお見事……というマルチ型アイド...
今からちょうど42年前(1973年)の今日7月5日にリリースされた安西マリア(本名:柴崎麻利子。1953年12月16日-2014年3月15日)のデビュー曲「涙の太陽」。当時20万枚を超えるセール...
1971年の6月1日に「17才」でデビューしてから約1ヵ月後に17才の誕生日を迎えた“歌手・南沙織”が生まれたのは、同年の2月にオーディションのために初来日した彼女が、リン・アンダーソンの「ロー...
70年8月にデビューしたのが、5人全員がハーフという触れ込みで結成された“ゴールデン・ハーフ”である。もっともデビュー・シングルとなった「黄色いサクランボ」のジャケットには5人のメンバーが写って...
1969年8月、「天使のらくがき」を引っさげ日本デビューした彼女は、未だ当時の洋楽界に於いては主流のひとつだったフレンチ・ポップスの若手女性歌手の一人だった。