2015年06月29日

ハーフ最強! 麗しのゴールデン・ハーフ

執筆者:鈴木啓之

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6月29日はゴールデン・ハーフに在籍していた森マリアの誕生日。1955年生まれだから還暦となる。


ベッキーにローラにダレノガレ明美と、今の芸能界にハーフタレントが盛んな様に、60年代後半、テレビや歌謡曲の世界にハーフの女の子のブームが訪れたことがあった。その前に青山ミチらもいたが、アイドル性でいえば「こまっちゃうナ」のデビューヒットで一躍人気を博した山本リンダあたりがハシリだろうか。小山ルミ、小畑ミキ、辺見マリらが活躍する中で、そのとどめともいうべく70年8月にデビューしたのが、5人全員がハーフという触れ込みで結成された“ゴールデン・ハーフ”である。もっともデビュー・シングルとなった「黄色いサクランボ」のジャケットには5人のメンバーが写っているけれども、レコードが発売されてまもなく、1人抜けて4人組となった。梶芽衣子が主演した日活映画『野良猫ロックセックス・ハンター』(70年9月公開)では早々に脱退した石山エリーを含む5人のメンバーが、デビュー盤の「恋人が欲しいの」と「黄色いサクランボ」を披露するシーンを見ることが出来る。


渡辺プロからデビューしたゴールデン・ハーフは、もともと『ドリフターズ大作戦』というバラエティ番組のマスコットガールとして結成され、デビュー後もドリフの『8時だョ!全員集合』に出演した(そのポジションは後にキャンディーズが受け継ぐことになる)。メンバーは、リーダーの小林ユミをはじめ、高村ルナ、マリア・エリザベス、エバ。デビュー当時15歳と一番若かったマリアは、解散後に森マリアの芸名で女優として活躍したのはご存知の通り。時代劇や特撮ものなど数多くのドラマに出演したが、中でも77年から2年間出演した『Gメン75』の速水涼子刑事役は強く印象に残る。アメリカ人の父はFBIの職員であったという。ルナは解散後、雑誌にアイドル時代の裏話を綴った赤裸々な手記を発表し、日活ロマンポルノ『修道女ルナの告白』に主演してファンを驚かせた。ユミは当初、イタリア人の父と日本人の母との間に生まれたハーフと称していたが、後に両親共に日本人であることをカミングアウトしている。彼女が73年春に脱退したため、解散時には3人組となっていた。そしてエバは、4人の中で最もタレント性に優れ、番組のちょっとしたコントなどでもオチを担当するムードメーカーであった。スペイン人の父を持つ彼女は解散後にソロで「ほほにかかる涙」をリリースした。中京テレビ製作の『お笑いマンガ道場』の女性レギュラーは川島なお美が有名だが、彼女は秋ひとみに次ぐ三代目で、初代がエバであったことはあまり知られていないだろう。車だん吉とのおまけコーナーは、“だん吉・エバのおまけコーナー”に始まったのだった。


ゴ-ルデン・ハーフのレパートリーは、デビュー曲となったスリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ」のカヴァー「黄色いサクランボ」と、そのカップリング「恋人が欲しいの」、セカンド・シングルのカップリング「おんなの弱点教えます」を除いて、あとはすべて洋楽曲のカヴァーに徹した。というのは、かつて弘田三枝子や坂本九らを担当してカヴァー・ポップスのブームを作り上げた、東芝レコードの草野浩二ディレクターが彼女たちの担当だったからに他ならない。やはり氏が担当し、同時期にレコードを頻発したザ・ドリフターズが民謡や軍歌のカヴァーでヒットを連ねたのに対し、ゴールデン・ハーフはオールディーズ・ナンバーで人気を博したのである。可愛いお色気満載のデビュー曲も鮮烈であったが、それに続く「ケ・セラ・セラ」や「太陽の彼方」「24000回のキッス」など60年代のアメリカン・ポップスは、70年代だからこそまた新鮮に聴こえた。曲のタイトルに“ゴールデン・ハーフの”と付けられたのも良かったと思う。74年の「ゴールデン・ハーフのメロンの気持」まで、シングル10枚、アルバム3枚を出して解散。僅か4年余の活動を終えたのだった。

ゴールデンハーフ

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