2015年09月11日

奇想天外な恥ずかしがり屋、谷だァ!

執筆者:鈴木啓之

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いつも目をパチパチとしばたかせながら、人なつこい笑顔で周りを魅了する奇才、ハナ肇とクレージー・キャッツの谷啓が78歳で世を去ったのは今からちょうど5年前の2010年9月11日。盟友の植木等が逝ってからわずか3年半後のことであった。温厚な人柄で誰からも愛された人気者は人並み越えたシャイな性格であったにも拘わらず、数々の奇行でエピソードには事欠かない。


有名な話では、新築間もない家が全焼してしまった時、焼け跡で見舞い客らと共に当時凝っていた麻雀を打っていたという。東京オリンピックが開催された折には、テレビ中継に感動して触発され、オリンピックの選手団ユニホームと同じ恰好で街を歩いたり(間違えられたかった?)、自宅の電話の受話器を重量挙げのバーベルに見立てて横にロージンバッグを置き、電話に出る際に掛け声をかけてエイヤッと持ち上げたなどとは植木等の弁によるもの。メンバーと一緒の時はトイレに行くのを覚られないように、わざわざビル内の別のフロアまで足を延ばしたというほどの極度の恥ずかしがり屋であるが故に、自虐的に派手な行動に出ることが多かったらしい。自家用車もサンダーバードなど、常に派手な外車に乗っていたそうだ。


コメディアン・谷啓は、ミュージシャンとしても一流のトロンボーン奏者であった。高校時代に音楽活動を始め、大学在学中の53年にビッグバンド<原信夫とシャープス&フラッツ>に参加。その後<フランキー堺とシティ・スリッカーズ>を経て、56年にハナ肇とクレージー・キャッツ(当時はハナ肇とキューバン・キャッツ)に加入する。腕利きのジャズメンで構成されたグループの中でも、谷のトロンボーンへの評価は特に高く、権威あるスイングジャーナル誌の人気投票でも常に上位をキープしていたほど。アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイから付けられた当初の芸名は“谷敬”だったが、やがて“谷啓”となって、テレビ番組『おとなの漫画」(フジテレビ)、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)などで植木等に次いでお茶の間の人気者となった。溌剌とした植木に対して、とぼけた芸風の谷は、通好みなコメディアンである。何かを掴むように出した右手を手前に引く「ガチョーン」は、もしかすると日本で一番有名な一発ギャグかもしれない。麻雀をやる時などの口癖だった擬音的な言葉が起源の由。以降も「ビローン」「ムヒョーッ」など、谷啓といえば擬音のイメージがある。主題歌を歌ったアニメ『おらぁグズラだど』の歌詞などはその極致といえる。「谷だァ!」は、青島幸男が流行らせた「青島だァ!」に対抗して作られたギャグで、『シャボン玉ホリデー』などで見られたふたりのかけ合いは絶品だった。


「スーダラ節」に始まるクレージー・キャッツのヒットソングはあくまでも植木が主流であったが、谷のソロ・ナンバーにも「愛してタムレ」「あんた誰?」「ヘンチョコリンなヘンテコリンな娘」など傑作は多い。映画主題歌だった「虹を渡ってきた男」はタイトルからしてダニー・ケイを彷彿させるもので、持ち味のペーソスが活かされた味のある一曲。メンバーが交互に歌うナンバーでは、高音の谷のパートのみ転調されていたのが妙に可笑しい。クレージー・キャッツの仕事が音楽主体からタレント業に移行した後も演奏活動は欠かさず、75年には自身のバンド<谷啓とザ・スーパーマーケット>を結成して定期的に公演を行ったほか、85年に結成された<ハナ肇&オーバー・ザ・レインボウ>でもトロンボーンを担当してプレイヤーとしての健在ぶりを披露していた。


俳優としての活躍も著しく、映画は東宝『クレージーだよ奇想天外』(66年)や、『空想天国』(68年)、『奇々怪々 俺は誰だ?!』(69年)など、ファンタジー色の濃い作品に主演した。東映でも『図々しい奴』(64年)や『喜劇 競馬必勝法』(67年)の主演作がある。70年代以降はテレビドラマの出演作も多数。晩年で印象的なのは、やはり映画「釣りバカ日誌」シリーズの佐々木課長役であろう。さすがに途中からは営業本部の次長となっていたが、75歳にして一会社員を演じられたのは、いい意味で、生涯“重厚感”とは無縁だった谷啓ならでは。


温かい笑顔は名フレーズ“ガチョーン”と共に、我々日本人の心に生き続けている。

谷啓

ハナ肇とクレージー・キャッツ

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