2016年05月23日
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2016年05月23日
1983年5月23日、ラッツ&スターの「め組のひと」がオリコン・チャート1位を獲得した。シャネルズ時代から通算して10作目のシングル曲で、デビュー曲「ランナウェイ」、81年の3作目「街角トワイライト」に続き3度目の1位に輝いた曲である。
ラッツ&スターはもともと70年代半ばに、リーダーの鈴木雅之を中心に、出身地の蒲田や大森といった京浜工業地帯の周辺に暮していたメンバーで結成。幾多のメンバー・チェンジを繰り返しながら、ドゥー・ワップ・スタイルのグループとして活動、78年には大滝詠一のアルバム『LET’S ONDO AGAIN』に参加し、メンバーのうち鈴木が竜ヶ崎宇童の名義で「禁煙音頭」を、メンバー全員がモンスターの名義で「ピンク・レディー」という曲を歌っている。シャネルズの名でレコード・デビューとなったのが前述の「ランナウェイ」である。
シャネルズ時代にも数多くのヒットを放ち、それまで、キングトーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」以外には、あまり日本で知られていなかったドゥー・ワップを世に広めていったほか、「涙のスウィート・チェリー」のような3連バラードの傑作を世に放ち、50年代~60年代のリズム&ブルースをベースにしたスタイルで、和製ブラック・ミュージックの浸透に大きな貢献を果たしたグループである。彼らは82年で一旦、シャネルズとしての活動を終え、83年より新たにグループ名をラッツ&スターとして、活動を再開した。その第1弾が「め組のひと」であった。グループ名が某ファッション・ブランドからのクレームで改名したという話がよく挙がるが、改名についてはっきりと名言されることはなく、むしろドゥー・ワップにとらわれない音楽活動を目指すためといわれている。
実際、この「め組のひと」は、過去のシャネルズ時代の音楽性と異なり、当時流行していたファンカラティーナを導入している。80年代初頭に、ニューロマンティクスの動きと並行して、ロンドンのナイト・クラブから生まれたファンカラティーナは、その名の通りファンクとラテンを融合した音楽。グルーヴ感溢れるベース・ラインと、シックのナイル・ロジャースが「おしゃれフリーク」で流行らせたクールなギター・カッティングのスタイル、さらにカリビアン・テイストの陽気なホーン・セクションを取り入れたダンス・ミュージックで、ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク、モダン・ロマンス、キッド・クレオール&ザ・ココナッツあたりを筆頭にアイドル的人気のあったヘアカット100やカルチャー・クラブ、初期ワム!なども含まれる。
このファンカラティーナを早々に日本で取り入れ、大ヒットに導いたのが「め組のひと」だ。作詞の麻生麗二とは売野雅勇の変名で、作曲・編曲の井上大輔は「ランナウェイ」以来、シャネルズのヒット・シングルを多数手がけており、本作でも熱く陽気なカリビアン・テイストを彼らに植え付けることに成功した。シャネルズが50‘s、60’sのオールドスタイルのR&Bを現代の日本に復権したのであるなら、新生ラッツ&スターは、当時の最新トレンドのファンキー・ダンス・ミュージックを取り入れ、シャネルズ時代との差別化を図ったともいえる。
麻生(売野)=井上コンビはこの成功に気をよくしたのか、翌84年1月には岩崎良美に再び和製ファンカラティーナの「プリテンダー」を提供。この84年夏には中原めいこも「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」でこの路線に挑んで成功をおさめた。ちなみに「め組のひと」は83年夏の資生堂キャンペーン・ソング、「君たちキウイ~」は84年夏のカネボウ化粧品キャンペーン・ソングであり、奇しくも2年連続で和製ファンカラティーナが夏のCM戦線を席巻したのであった。
改名第1作目を成功させたラッツ&スターは、83年7月に、5年ぶりに大瀧詠一と組んで「Tシャツに口紅」をリリース、11月には大瀧プロデュースによるアルバム『SOUL VACATION』を発表。アートワークをつとめたアンディ・ウォーホールのジャケットも素晴らしく、10人のメンバー全員がその実力を発揮した、和製ソウルの名盤となった。この時期の充実ぶりは特筆すべきものがあるが、彼らがオールドスタイルのみでなくトレンド音楽も導入する方向に舵を切ったことが契機となってか、所属のエピック・ソニーはその後大沢誉志幸や岡村靖幸、バブルガム・ブラザーズといった和製ソウル、ファンクの旗手を生み出していく。ラッツ&スターの音楽的進化は、和製R&B史における大きな分岐点でもあった。
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