2015年10月18日

予算は総額30億円ともいわれ、既存のアイドルとは桁違いの一大プロジェクトとして84年にデビューした「少女隊」

執筆者:馬飼野元宏

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1969年10月18日は、少女隊のレイコこと安原麗子の誕生日。

少女隊はレイコ、ミホ(藍田美豊)、チーコ(市川三恵子)の3人組女性アイドル・グループ。1984年8月28日にシングル、アルバム、12インチシングル、ビデオを同時リリースという形で破格のデビューを飾る。

プロジェクトチームの予算は総額30億円ともいわれ、既存のアイドルとは桁違いの一大プロジェクトであった。同じ年に工藤夕貴、セイントフォーも多額の予算を投入しデビューし、彼女たちの登場は大きな話題となった。こういった戦略は82年のアイドルユニット「パンジー」が最初だが、少女隊の場合はテレビ露出をしないスタイルが画期的で、アーティストと同様の戦略をアイドルに課した点が独自のものといえるだろう。


デビュー・シングル「FOREVER~ギンガム・チェックStory」及びアルバム『少女隊Phoon』の制作にはロサンゼルス録音を敢行。その全曲を都倉俊一が作曲、全作詞を亜伊林(三浦徳子の変名)が担当、都倉俊一にとってはフィンガー5、ピンク・レディー、狩人、クリッパーと手がけてきたグループ・アイドルの集大成的な一面もあった。アレンジャーはピンク・レディーの全米デビュー盤『イン・USA』で腕を奮ったジョン・ダンドリアと、キーボーディストのデヴィッド・ウィートレイ。このメンバーで制作された「Forever」はアイリーン・キャラ前年の大ヒット「フラッシュダンス」の影響も強い、シンセ音全開によるスケールの大きなポップ・チューン。ポジティヴなメッセージ性の強い歌詞も、アイドルのデビュー曲としては異色で、大陸横断鉄道が走るアメリカの大地で、3人が軽快なステップを刻むPVも、期待の大きさを感じさせるものであった。


80年代前半にはソフトクリーム、きゃんきゃん、麻生真宮子&キャプテン、オレンジ・シスターズ、スターボー、ラジオっ娘(のちのLady,Oh!)工藤静香在籍のセブンティーン・クラブ……と3人組アイドル・グループが数多く登場した。わらべやシュガーなども加えればまさしく百花繚乱。もともとガール・グループは企画性が強く、3人組にはキャンディーズ・フォロワー的なイメージと、ある種の寄せ集め感が漂うのだが、少女隊にはそういったものとは無縁で、今ではその背伸びしたテーマも含め、特別感があった。


だが、そういった恵まれすぎたデビューは、「ファンが見守り、応援し、成長させていく」アイドルと聴き手の不変の関係性と、相容れなかったかもしれない。多くの聴き手は、生身の姿がわからない彼女たちに感情移入しづらかったはずで、「Forever」もオリコン・チャート最高32位と、期待とはほど遠い結果になってしまった。


彼女たちが等身大の魅力を放ち、急速に聴き手との距離を縮めた作品が、シングル3作目の「素直になってダーリン」。作詞に秋元康、作曲に中崎英也と作家陣を入れ替えての、キラキラした打ち込み系ポップ・ナンバー。セールスも上向きとなったところで、続く「渚のダンスパーティー」は亜伊林=中崎コンビの疾走感溢れるパワー・ポップ。そして秋元=中崎のモータウン歌謡「Bye-Byeガール」に至る。この時期がもっともアイドルらしい期間であり、秋元康にとっても、同年7月にデビューするおニャン子クラブへの布石となる作品群である。


この時期にチーコが脱退し、初代引田天功の実娘・トモ(引田智子)が加入。その後も泰葉をアレンジャーに迎えた「もっとチャールストン」や、フランキー・ヴァリ~ボーイズ・タウン・ギャングの日本語カヴァー「君の瞳に恋してる」などダンス・チューンを数々リリース。87年秋には日本フォノグラムから東芝EMIに移籍し、中原めいこ作曲のダンサブルな傑作「SAKASAMA」を発売するなど、勢力的に活動。アジア各国でも高い人気を博したが89年に解散する。所属のボンド企画・高杉敬二社長にとっては、自身の夢を賭けた大勝負であり、その夢は途中で潰えたかもしれないが、「Forever」はタイトル通り、今も不変の輝きを放つアイドル・ポップスのマスターピースだ。

写真提供 芽瑠璃堂
少女隊

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