2015年09月02日

ファースト・アルバムでのケイちゃんのソロ曲「インスピレーション」を初めて聴いた時の衝撃・・・本日はピンク・レディーのケイちゃんこと増田恵子の誕生日。

執筆者:丸芽志悟

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本日9月2日は、ピンク・レディーのケイちゃんこと増田恵子(啓子=当時)の生誕記念日である。何歳を迎えたかは最後にこっそり明かすとしまして…


先日、横浜赤レンガ倉庫にて好評開催中のイベント「70sバイブレーション!」の一環として、当webマガジン「大人のMusic Walker」の後援により行われたDJ&トークイベントにて、70年代を歌言葉にした男・阿久悠の業績を90分に渡って讃えた筆者であるが、その一曲目として流したのは当然この曲、ピンク・レディーのデビュー曲であるところの「ペッパー警部」だった。76年8月の発売であり、当然阿久悠の出世作であるはずもないのだが、「阿久悠黄金時代」と定義づけることができる時代は、確実にこの曲の発売によりスタートしたと断言できる。


その頃筆者は、最早ピンクと言われればまずフロイドと答える位のロック好きに足を突っ込んでいたのだが、さすがに当時の小学生故PLの罠に逆らうわけにはいけなかった。気づいてみればシングル、アルバムをくまなく購入していたし、コンサートにも行っていた。最早忘却の彼方と思われたが、さすがインターネットアーカイヴ時代、その日にちと場所は容易に脳裏に呼び戻された。1977年(昭和52年)6月12日、大津市民会館である。なんと初めてのミリオンヒットを達成した4枚目のシングル、「渚のシンドバッド」の発売2日後のことだ。その曲も印象に残ったけれど、バックバンドのベーシストがチャック・レイニーであったこと、そしてやはり滋賀県故かもしれないけれど、国民的アイドルのコンサートにしてはお客さんの反応がやけにクールだったことはそれ以上に鮮烈に覚えている。彼女たちのライヴに対しては、現代のアイドルのそれみたいに一体となってその雰囲気を楽しむというより、一挙一動をじっくり追い、その動きを「習得」する方が正しい楽しみ方だったと言えるのではないか。


その当時、自分の周りのPLファンの多くはミーちゃん派だった。イベントで流すため、ファーストアルバムを久々に引っ張り出してみたら、その歌詞カードに配されている2人の写真のケイちゃんの顔に、白い油性マジックでいたずら描きがされているではないか。自分は絶対そんなことはしませんよ。特にどっち派とも言わず、中立を保っていたし、かと言ってそんなことされて相手に危害を加えるほどのコレクター気質も持ってなかったし。


そのファーストアルバムに収められているケイちゃんのソロ曲「インスピレーション」を初めて聴いた時の衝撃ったらなかった。ミーの「ゆううつ日」はそれ以上だったけれど、2曲共PLのパブリックイメージとは異なる「背伸び色」の濃い楽曲であり、最初は本当に彼女たちが歌ってるのかと勘ぐった程である。その頃は、彼女たちが当初はフォーク色の強い音楽性を志向していたことなど全く知る由もなかったから仕方ないけど、とにかくこの2曲は後に一家に一枚もののベスト盤となった「ベスト・ヒット・アルバム」にも収められ、より幅広い聴衆に知られることになる。同アルバムを友人宅で聴いて、「UFO」のボーカルトラックが手持ちのシングル盤と微妙に違うことにうっすら気づき、シングル・アルバムのテイク違いという概念を初めて筆者に教えてくれたのも実はピンク・レディーだったのだ。

 

そんな「ピンクの時代」も、70年代が終焉に近づくにつれて自然にフェイドアウト。81年3月31日に後楽園球場(当時)で幕を閉じた。奇遇にも筆者が滋賀を去り、東京の高校に通い始める「分岐点」と全く同じ時期である。


それにしても、リアルタイムでお世話になった国民的アイドルが、2年後には「還暦」を迎えることになるなんて。時代の経過にはやっぱり逆らえないけど、「解散やめ!」宣言をした二人には、いつまでも元気なアイドルでいてほしいなと思うのです。自分もきっと、それに勇気付けられ続けると思うから。さあ、来年はデビュー40周年。いろんな記念事業が行われる予感があるけど、筆者としてはもう一度、「宝石箱」を手にして、味わってみたいと思うのです。キャッチリップ!

ピンク・レディー

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