2017年07月24日
スポンサーリンク
2017年07月24日
本日7月24日は、河合奈保子の誕生日…あれれっ、誕生日に奈保子の記事は前にもありましたよね? と言いつつ、コロムビアのアイドルコンピをまとめた責任上、もっともっと盛り上げろという使命を与えられましたので、喜んで乗らせていただきます。ただし、既に書かれたことを繰り返すわけにはいきませんので、ここは80年前後のアイドル事情を俯瞰しつつ、個人的な視点でまとめてみたいと思います。
筆者が奈保子の存在を初めて意識したのは、1980年の6月30日。その最初の日に「大きな森の小さなお家」でデビューした記念すべき月間を、当時を代表する歌番組「夜のヒットスタジオ」への初出演で締めくくった。ちなみにその4週間前には、YMOが初めての「所謂歌番組」への出演を果たすという歴史的事件も同番組にもたらされ、ドキドキしながら観たのを忘れられない。
それと同じほど衝撃的だったのが、その6月30日の放送回に、滅多にテレビに登場しない吉田拓郎が同番組への初出演を果たしたことである。その瞬間を目撃しようと、静粛な気持ちでブラウン菅を眺めていたら、最初に目に飛び込んできたのは当時ブレイク真っ只中だったシャネルズの面々。オープニングメドレーで彼らが歌ったのは、「大きな森の小さなお家」という可愛らしい曲。誰の曲だ? 彼らの紹介を受けて登場したのは、まさに初々しい雰囲気を湛えた新人歌手・河合奈保子だった。
結局、その数分後ギター一本で「旅の宿」を歌った拓郎さんに持って行かれてしまい、その後の記憶は定かではない。しかし、歌謡界にまた一つ、可憐な花が加わったなという印象は抱いた。この曲はオリコン最高36位という、当時のデビュー曲としては健闘した部類に入るポジションを記録したが、ベスト100に入った期間16週というのは、続く「ヤング・ボーイ」、及び83年の代表作「エスカレーション」と並ぶ最高タイ記録となっている。持続力で勝負した一曲となった。確かに、当時の中坊にとってこの歌詞は、秘密の扉の鍵を開けるような、素直に口にするのに勇気を要したものだった。大ブレイク間もなく「例の事件」を起こしてしまったシャネルズに歌わせた「夜ヒット」も罪なものだが、奈保子の歌声は、少年少女の恥じらいさえ健康的魅力で中和してしまうような、まさにヤングアイドルかくあるべしと思わせるものだったのだ。
78年〜79年は、石野真子が新人として一人健闘していたものの、アイドルファンにとっては「冬の時代」としか形容できない時期だった。その隙間を縫うように、自作曲を歌ったり、ニューミュージック系の作家を主に起用して洗練した音楽性を打ち出した若い女性歌手達が数多く台頭し、人気を博した。個人的には、それも憎めなかったのだけど、テレビの中の華やかさと異質な世界に馴染めない人も多かっただろう。
そこに80年4月、松田聖子が現れる。彼女を最初に見たのは、普段はニューミュージック系の新人紹介に重きを置いているFM誌の一コーナーで、あたかもニューミュージックの人であるかのような紹介のされ方だった。ある意味それも当たっていたことを、後の作家起用面で証明したのだけれど、それでも年末の新人賞レースで話題を呼んだ仕草とか、男性アイドルと噂話がささやかれたことで、「やはり芸能界の人だな」というイメージが浸透することになる。結局、80年代アイドルのスタイルの雛形は、聖子のそんな面によって形成されていったのだが。
奈保子と同じ日に「No.1」でデビューした柏原よしえ(芳恵)は、若さこそ強調していたものの、最初はスロースターターだった。7枚目に出したカバー曲「ハロー・グッバイ」まで、真のブレイクは訪れなかった。同じ月の21日にデビューした石坂智子は、それまで熱狂的岩崎宏美ファンだった友達が即夢中になったものの、大ヒットには恵まれず。さらにその日にデビューした甲斐智枝美は、2006年、悲劇的な最期に散ってしまう。
そして河合奈保子は、2曲目「ヤング・ボーイ」から親しみやすい路線を一貫して歩み始め、トップアイドル集団へと加わる。デビュー2年目に大きな怪我に襲われ、長期活動中止に至った時は、「麻丘めぐみみたいになっちゃうのかな?」と心配の声も上がったが、根性で新曲発表を続け、デビュー5周年記念曲となった21枚目のシングル「デビュー〜Fly Me To Love」で遂に悲願の1位を獲得。「セーラー服を脱がさないで」の発売で時代がおニャン子色に染まり始めるまさに11日前、85年6月24日の出来事だった。
アイドルの世界がその時劇的に変わったのと同じように、奈保子の内部にも変化が起こり始めた。アルバムで自作曲を発表し始め、翌年にはアルバム全曲を自作曲で固めた『スカーレット』を発表。アイドルから、セルフプロデュースできるアーティストへと脱皮を始める。この時期の曲にも重要なものは結構あるけれど、瞼の奥に刻まれている彼女の姿にこそ、80年代の真の輝きはある。そんな全盛期の河合奈保子を堪能できる、貴重すぎる映像満載のDVD3枚組『河合奈保子プレミアムコレクション』がいよいよ、来月30日発売になります。殺伐とした世の中に落ち着かない皆さんこそ、けんかをやめて、じっくり彼女の世界に浸りませんか?
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月24日、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』(3タイトル)が発売された。
1983年7月4日、薬師丸ひろ子の2ndシングル「探偵物語/すこしだけやさしく」(両A面扱い)が、オリコンのシングル・ランキングで5週連続の1位を獲得した。デビュー曲「セーラー服と機関銃」の5週...
おニャン子の正式な「別働隊ユニット」としては3組目のデビューとなったのが、会員番号38・40・42の三人からなる
本日、4月9日はWink「Sexy Music」が1990年にオリコン・チャートの1位を獲得した日となる。Winkは、69年2月22日生まれの鈴木早智子と、70年2月23日生まれの相田翔子によっ...
1988年3月7日、南野陽子の11枚目のシングル「吐息でネット」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得した。87年1月リリースの「楽園のdoor」から数えて6作連続の1位であり、南野陽子にと...
本日2月15日は、堀ちえみの誕生日。1967年生まれなので51歳を迎える。堀ちえみは大阪府堺市の出身。1981年の第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンに優勝し、翌82年3月21日、「潮風の少...
本日11月28日は、原田知世の誕生日。あの「時をかける少女」が、今日で50歳を迎えるなんてと、時の流れに思いきり切なくなりそうだけど、現在の彼女を前にすると数字なんていかに無意味かを思い知らされ...
今日11月6日は、白血病という難病との戦いの末38歳という短い生涯を閉じた本田美奈子.の命日である。1985年4月20日、東芝EMI(当時)から「殺意のバカンス」でアイドルとしてデビュー。もちろ...
80年代アイドルに興味のある方なら、「花の82年組」というフレーズをご存知であろう。有望な新人アイドルを多数輩出した1982年のシーンを象徴する言葉だが、その中にあって異色のアイドルとして登場し...
本日、8月22日は岡田有希子の誕生日。1967年生まれなので、存命であれば50歳を迎える。今なお高い人気を誇り、多くの人々に慕われ続けているアイドル。その最期を迎えた現場や墓所の慰霊碑には今も献...
本日8月18日は、いとうまい子53回目の誕生日。というより、アイドルとして活躍した時期の栄光にこだわるならば、「伊藤麻衣子」の生誕記念日である。デビューのきっかけは、82年に「ミスマガジンコンテ...
1984年8月2日、小泉今日子の10作目のシングル「迷宮のアンドローラ」がTBS『ザ・ベストテン』で1位を獲得した。「迷宮のアンドローラ」は同年6月21日の発売で、7月2日付のオリコン・チャート...
1981年の12月21日、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」がオリコン・チャートの1位を獲得した。同年11月21日にキティ・レコードから発売された薬師丸のデビュー曲であり、彼女が主演した同名映画...
1985年12月2日、 小泉今日子15枚目(“あんみつ姫”名義を含む、12インチ盤は除く)のシングル「なんてったってアイドル」がオリコンチャートの1位となった。彼女の代名詞たる作品にして、80年...
1982年の9月9日、TBSの『ザ・ベストテン』で田原俊彦の10作目「NINJIN娘」が前週に引き続き1位を獲得した。オリコン・チャートでは2位どまりだったこの曲、同番組ではトータル3週連続で首...
1986年の今日、9月8日のオリコンチャート1位を飾ったのは、うしろゆびさされ組の4枚目のシングル、「渚の『・・・・・』」である。ややこしいですが、「 」内が曲名。「なぎさのかぎかっこ」と読みま...
1983年8月15日は、松田聖子の「ガラスの林檎」がオリコンチャートで1位を獲得した日。「ガラスの林檎」は松田聖子の14枚目のシングルで、同年8月1日にリリースされた。作詞は松本隆、作曲は前作「...
1982年7月28日は、中森明菜「少女A」の発売日。明菜にとっては同年5月1日発売のデビュー曲「スローモーション」に続く2作目のシングルで、オリコン・チャートの最高5位まで上昇し、彼女のブレイク...
おニャン子クラブ会員番号36番・渡辺満里奈は、おニャン子では初めてとなる1970年代生まれのメンバーのソロデビューを、86年10月「深呼吸して」で果たしている。このデビュー曲から1位と好発進し、...
1987年(昭和62年)の本日7月13日オリコンチャート1位を記録したのは、南野陽子の8枚目のシングル「パンドラの恋人」である。アナログ末期のアイドルのシングル盤は、現在の所謂「積ませ商法」を殆...
本日7月7日は、おニャン子クラブの会員番号16番、高井麻巳子のソロ・デビュー・シングル「シンデレラたちへの伝言」がオリコン・チャートで1位を獲得した日。今からちょうど30年前、1986年のことで...
石野真子のデビューのきっかけは、今風に言えば「ジャパニーズ・アイドル」=あの「スター誕生!」である。歴代52組目となる同番組出身者のデビューに際して与えられたデビュー曲は、阿久悠作詞・吉田拓郎作...
愛くるしい笑顔でファンを魅了した歌手、河合奈保子が結婚を期に芸能活動を休止してから20年近くになる。同期は松田聖子、田原俊彦をはじめ、岩崎良美、甲斐智枝美、浜田朱里、三原順子、柏原よしえ(現・柏...