2017年02月23日
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2017年02月23日
ロック・シンガーであり、かつてはダウン・タウン・ブギウギ・バンドのリーダーとしても活躍、俳優として、さらには作曲家として山口百恵をはじめ数々のアーティストに名曲を提供してきた宇崎竜童。本日2月23日は宇崎竜童の誕生日。2017年で71歳を迎えますます活躍の場を拡げている。
宇崎竜童は明治大学の軽音楽部で、のちに妻となる阿木燿子と出会い、このころから作曲をはじめる。卒業後、一度は一般企業に就職するものの、その後義兄の経営する大橋プロダクションにつとめ、音楽界とのかかわりをもつことになる。当時の大橋プロはグループ・サウンズの隆盛と重なり、大看板のジャッキー吉川とブルー・コメッツが活躍していたが、宇崎はガリバーズやエドワーズ、ミルクのマネジャーをつとめていた、その時に宇崎の手でミルクにスカウトされたのが、のちの松崎しげるである。この時期から宇崎は、作曲をしては自身の事務所のタレントが所属するレコード会社などに売り込んでいたがなかなか目が出ず、初めてレコードの形になったのは、1969年、阿木燿子と組んで作ったジュリーとバロンの「ブルー・ロンサム・ドリーム」であった。以降も散発的に作曲活動を続け、富田ジョージ「それからそれからどうなるの」太田とも子(梶芽衣子の実妹)「恋はまっさかさま」などレコード化された作品も数曲あるが、いずれもヒットには至っていない。
1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成して「知らず知らずのうちに」でデビューとなっていることが多いが、実はその1年前に、キングレコードから「その日その日の女です/女の船は夜に立つ」でソロ・デビューしているのであった。曲はほとんどネオン演歌だが、その後の宇崎メロディーの根幹を成す、ブルージーな作風の萌芽が既に現れているところが面白い。ソロ・デビューは全くの不発に終わり、ピアノバーで弾き語りをしたり(彼の前に弾き語りをしていたのがダイナマイツの瀬川洋だったという)、友人たちとスーパーのワゴンセールなどで売られるパチモンのカセットテープを作る会社を興し、数多くのレコーディングに携わるなどの活動をしていた。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがレコード・デビューするきっかけとなったのは、定番にしていたビアホールでの演奏をレコード会社の人間が見に来たことであたったが、それでもファースト・アルバム『脱どん底』は、「網走番外地」のカヴァーと「ちゅうちゅうタコかいな」の2曲が放送禁止となり発売延期、「青春すきま風」「山谷ブルース」に差し替えとなるなど、74年末の「スモーキン・ブギ」でブレイクを果たすまでは、かなり苦労の道のりであったといえよう。
そんな時期に、意外なセッションが存在している。74年に「上京の状況」でデビューしたフォーク・シンガー友川かずきの同年リリースの名曲「生きてるっていってみろ」のバックをDTBWBがつとめているのだ。これは、友川が蒲田にあった「十八番」というレストランで弾き語りをしていた際、そこを訪れた宇崎の勧めでデビューすることになり、彼らがバックをつとめたのである。このように才能を見抜くプロデューサー的な視点を宇崎が持ち合わせていたことは、大橋プロ時代のマネジャー業の成果と言ってもいいだろう。
「スモーキン・ブギ」に続いて発表した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が当初、B面ながら100万枚を超える大ヒットを記録し、DTBWBはブレイクするが、この75年には作曲家としても依頼が殺到し、和田アキ子「もっと自由に-Set Me Free-」、グラシェラ・スサーナ「別に…」、研ナオコ「愚図」などの名曲を世に送り出す。曲想はそれぞれR&Bであったり、欧州の香りがするバラードであったりといろいろだが、一方で菅原文太&愛川欽也の「一番星ブルース」のようなブルース演歌も得意としており、ロックンロールのビート感覚と演歌的な作風、さらにはブルースを基本としながらも歌謡曲的にキャッチ―なメロディー・ラインを紡ぎだす宇崎の才能が全面開花した年といえるだろう。その白眉は翌76年の「横須賀ストーリー」からはじまる一連の山口百恵への楽曲提供、そして内藤やす子に書いた「想い出ぼろぼろ」である。この2曲で宇崎は、夫人の阿木燿子とともに同年の日本レコード大賞の作詞賞と作曲賞を分け合った。
宇崎竜童は、吉田拓郎+森進一の「襟裳岬」以降盛んになった、ミュージシャンと歌謡曲歌手のコラボレーションとはやや質を異にする。頭に浮かんだメロディーをギター1本でデモテープに録るスタイルの作曲法ではない。阿木燿子との共同作業では常に詞先であったそうで、きわめて職業作曲家に近いスタイルでの楽曲づくりなのだ。そうでなければ「プレイバックPART2」や「イミテイション・ゴールド」のような楽曲が生み出されるはずはない。それでいて一聴すれば宇崎竜童作品とわかるほど個性的なメロディー・ラインもまた大きな特徴である。「想い出ぼろぼろ」や藤圭子の「面影平野」などのように、ブルース演歌的なメロディー・ラインとロックのビート感覚を融合させたことが作曲者・宇崎竜童の最大の功績であり、それはジェロの「海雪」に至るまで変わらぬ彼の個性だ。
こういった宇崎の個性のルーツとも呼べる作品が、DTBWBが76年に発表したアルバム『あゝ ブルース』のシリーズである。「セントルイス・ブルース」のような洋楽ブルースと、日本の「恍惚のブルース」「山谷ブルース」が並列に演奏され、服部良一が端緒と言われる「和製ブルース」をブレンドさせることに成功している。また76年発表のGSカバー・アルバム『GS』では、自身の音楽史的なルーツを辿っており、GSで始まった日本のロック史が、宇崎の音楽キャリアと見事に重なっていることを証明している。同アルバムにはダイナマイツの「恋はもうたくさん」がカバーされているが、ここでコーラスでゲスト参加しているのが、元ダイナマイツのリーダーで、銀座弾き語り時代の先輩・瀬川洋である。
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。
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