2017年11月13日

歌謡曲を歌い続けて半世紀、本日は由紀さおりの誕生日

執筆者:鈴木啓之

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2011年に発売されて全世界なヒットとなった『1969』は、由紀さおりとピンク・マルティーニのコラボで、1969年に巷に流れていた国内外の曲をカヴァーしたアルバムだった。この予想外のヒットが現在に至る昭和の歌謡曲ブームの大きなきっかけとなったことは間違いない。1969年という年は、由紀さおりが「夜明けのスキャット」を大ヒットさせて、歌手生活の再スタートを切った年であり、同じ頃にヒットしていた歌は本人にとっても思い入れの強いものが多かったはず。本名の安田章子名義でのデビューはさらに古く、1965年に遡る。以来、ずっと歌謡曲を続けてきた彼女は類い稀なる美声で我々を魅了し、精力的に歌手活動を展開している。姉の安田祥子とのユニット“安田姉妹”として童謡や唱歌などを歌う姿もすっかりお馴染みだろう。11月13日は由紀さおりの誕生日。瑞々しい歌声は衰えることなく健在である。


姉の安田祥子と共に本名の安田章子で童謡を歌っていた少女時代を経て、歌謡曲の歌手としてスタートを切ったのは1965年のこと。2月10日にキングレコードから出された「ヒッチハイク娘/乙女となりて」がデビュー盤となった。同じ年には「どこにいるのパパ/お母さんのラブレター」、「お別れの泪/テ・キェロ」、翌年にも「ふるさとの牧場/夜の東京 君と飛ばそう」とシングルを出すもいずれもヒットには至らず、CMソングを歌ったり、ナイトクラブへの出演などが続くようになる。そして結婚を控えていた1969年の春、これが最後のつもりで東芝音楽工業(現・ユニバーサルミュージック)から由紀さおり名義で出した「夜明けのスキャット」が思いも寄らぬ大ヒットとなり、人気歌手の道が拓けたのであった。タイトル通りスキャット部分が長く、歌詞が短いことで知られるが、もともとはラジオの深夜番組のテーマ曲としてスキャットのみが録音されて流されていたところ、リスナーから好評を得たため、新たに歌詞が書き足されてレコード化に至ったという経緯がある。いずみたくの作曲、山上路夫の作詞でミリオンセラーを記録し、1969年の年間チャート1位を獲得した。


当時、東芝レコードの学芸部では、1969年にスタートしたアニメ『サザエさん』の主題歌歌手の候補として由紀さおりの名も挙げていたが、「夜明けのスキャット」の大ヒットにより断念したというエピソードもある。ただし、翌1970年には、虫プロダクションで制作され、原案・構成・監督を手塚治虫が務めたアニメーション映画『クレオパトラ』の主題歌「クレオパトラの涙」を歌ってレコードが出された。アニメの絵があしらわれたジャケットには彼女の写真は使われておらず、由紀さおりディスコグラフィの中でも異色の一枚となっている。「夜明けのスキャット」のヒットに続いては、前作のコンセプトを踏襲した第2弾「天使のスキャット」、さらに洋画テーマ曲のカヴァー「枯葉の街」、岩谷時子の詞が印象的な「好きよ」とスマッシュヒットを連ね、1970年7月に発売された「手紙」がまた大きなヒットとなった。いずみたくの手を離れ、なかにし礼の作詞、川口真の作曲によるもので、編曲仕事の多い川口が作曲も手がけた作品として、代表作のひとつに挙げられる。レコード大賞歌唱賞を受賞し、紅白歌合戦にも連続出場となったこの曲で、歌謡曲シンガー・由紀さおりの道は完全に定まったといえるかもしれない。続く「生きがい」は「夜明けのスキャット」などの編曲を担当していた渋谷毅の作曲による、彼女の美声が最も活かされた作品のひとつ。



1971年にはフランシス・レイの作曲による「男のこころ」を歌い、1973年には岡本おさみと吉田拓郎コンビの作詞・作曲による「ルーム・ライト(室内灯)」が出された。拓郎節の特徴である文字数多めの不思議な譜割りによる魅力的なメロディが実に達者に歌われ、曲を聴き終った後になんともいえない余韻を残す傑作である。なお、このコンビは翌1974年に森進一へ「襟裳岬」を提供して大ヒットさせている。映画音楽の大家・佐藤勝の作曲による「恋文」も1973年。由紀はこの曲でレコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞した。その後もシングル、アルバムとふんだんにレコードリリースを重ね、1980年代の終りからは、姉・安田祥子とのコラボ作品も並行して出してゆく。中でも1999年にシングルが出された「トルコ行進曲」は軽快なスキャットでユニットの代名詞ともいえる楽曲となる。そして2011年にたどり着いたのがアルバム『1969』だったのだ。


歌謡曲の再評価を促すキーマンとなった彼女は多くの取材を受ける中でこう漏らした。「“昭和歌謡”という呼ばれ方はあまり好きじゃない。平成になってからも自分は今までずっと歌謡曲を歌ってきたし、これからも歌謡曲を歌い続けてゆく」半世紀に亘って、歌い続けてきた大ヴェテランの彼女だからこその重みのある言葉だ。歌謡曲は決して昭和だけのものではなく、現在に至るまで地続きの音楽なのである。由紀さおりは今日も歌謡曲を歌い続ける。

由紀さおり「夜明けのスキャット」「クレオパトラの涙」「手紙」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。

由紀さおり プレミアム ベスト 由紀さおり

1969 ピンク・マルティーニ & 由紀さおり

夜明けのスキャット[EPレコード 7inch]  由紀さおり

手紙 [EPレコード 7inch] 由紀さおり

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