2016年04月18日
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2016年04月18日
松竹大船撮影所50周年記念として1986年に制作された映画『キネマの天地』は、山田洋次監督以下、『男はつらいよ』のスタッフとキャストが総動員され、シリーズを一回休んで作られた超大作だった。その中で、松本幸四郎が演じた撮影所の所長・城田のモデルとなったのが、大船に移転する前の蒲田時代から撮影所長を務め、松竹映画の黄金時代を築いた立役者の城戸四郎である。まだ健在であった74年12月1日の映画の日に創設された<城戸賞>の受賞者からは、脚本家や映画監督ら優れた人材が多数輩出されている。4月18日は城戸の命日。77年に82歳で没してから、実に39年の歳月が流れた。
日本映画の黄金時代を支えた、各社のプロデューサーや社長・重役といった経営陣には個性的な人物が多く見られる。東映の大川博や、大映の永田雅一、東宝の藤本眞澄、新東宝の大蔵貢といった面々は皆、ワンマンで知られた豪傑揃い。さぞかし敵も多かったと思われるが、そのぶん信奉者から人一倍厚い信頼を得ていたであろうことは想像に難くない。松竹を代表する顔の城戸四郎も例外ではなかった。氏がそれまでのスター中心だったシステムから、監督第一主義を提唱したことで、小津安二郎や山田洋次といった才能の誉れ高き名監督たちの活躍の場が拡がったわけで、日本映画史上で城戸が果たした役割は計り知れず、氏の存在なくしては、松竹映画の歴史は語れないだろう。
1894(明治27)年、現在の東京都中央区築地に生まれた城戸の実家は、日本におけるフランス料理店の草分け、上野精養軒であった。東京帝国大学(現・東京大学)を卒業後、国際信託銀行(現・みずほ銀行)を経て、1921年に松竹へ入社。創業者・大谷竹次郎の女婿(妾腹の娘の夫)であったことも手伝い、24年からは蒲田撮影所の所長を務めることになる。前年に起こった関東大震災での罹災により、一時期京都へ撮影所の機能を移した際に代理所長となり、再開後に正式に所長へと就任したのだった。その翌年に、京都の下加茂撮影所から蒲田撮影所へ移籍してきたのが、まだ新人ながら清純派スターとして人気の出始めていた田中絹代で、やがてはそれまでの栗島すみ子から看板女優の座を引き継ぐこととなる。
城戸の指揮の下、サラリーマンや庶民の日常生活を描いた小市民映画、いわゆる<蒲田調>のパイオニアとなった島津保次郎監督や、国産初の本格的なトーキー映画として知られる『マダムと女房』(31年)を撮った五所平之助監督らにこぞって起用された田中は、彼らの作品に出演することで徐々に人気を高め、スターへの道が拓かれていった。五所も助監督を務めた島津監督の門下からは、豊田四郎、吉村公三郎、木下恵介といった名監督たちが育っていることにも着目したい。27年には城戸の号令で時代劇部門が京都へ移転され、蒲田では現代劇を主軸に作品が製作されてゆくことに。この年に監督昇進を果たした小津安二郎もまた、島津の下でノウハウを学んだひとりとして頭角を現してゆく。
五所監督に師事して長い下積み時代を過ごした後、監督に昇進したのが、小津と並ぶ静かなる作風で知られる成瀬巳喜男である。デビュー作となった短編の喜劇映画『チャンバラ夫婦』(30年)は、城戸が赤穂春雄名義でシナリオを手がけた。PCL(後の東宝)へ移籍してから大成した成瀬もまた、蒲田育ちの監督のひとり。ほかにも、「若旦那」シリーズなど娯楽映画に采配を揮った清水宏や、喜劇の神様と称された斎藤寅次郎らも、松竹の黄金時代を支えた重要な監督に挙げられる。斯様に松竹では城戸が奨励した、監督を重視しての製作体制が効果をもたらし、華やかな一時代を築くことになったのだった。
36年に撮影所が蒲田から大船へと移転したのは、トーキー映画が主流となり、町工場の騒音が多い蒲田では不都合になったためである。城戸は引き続き所長を務め、ホームドラマ的な独特のスタイルも、<蒲田調>から<大船調>へと呼び名を変えて受け継がれた。戦後になり、46年に松竹の副社長となった城戸は、54年には社長に就任。さらに71年からは会長職を務めて松竹映画の歴史を見続けた。大船調の到達点ともいうべき「男はつらいよ」シリーズが始まったのは69年であったから、城戸が社長の時である。その後すっかり国民的なヒットシリーズへと発展したのを見届けてから逝ったのは幸福であったろう。
城戸が世を去ってから9年後、86年の夏に公開された『キネマの天地』では、フィクションの部分は多いながらも、田中絹代をモデルにした田中小春役を演じたのは有森也実で、当初は藤谷美和子が演じる予定でありながら降板してしまった役を立派に務め上げて女優としての評価を上げた。小津安二郎がモデルの緒方監督役は岸部一徳、斎藤寅次郎がモデルの内藤監督役には堺正章が扮し、渥美清は小春の父親役を演じている。9代目松本幸四郎演ずる城田所長は貫禄に満ちた重厚な存在感で作品を引き締めていた。脚本には、山田洋次と朝間義隆に加えて、井上ひさしと山田太一も参加するという豪華さ。クライマックスでお馴染みの「蒲田行進曲」のメロディが聴けるのは言うまでもない。豪華絢爛な『キネマの天地』からも既に30年が経った今は大船撮影所も無くなって久しく、兵どもが夢の跡である。
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