2016年08月05日
スポンサーリンク
2016年08月05日
1972年(昭和47年)の本日8月5日は、小林麻美のデビュー曲「初恋のメロディー」が発売された日である。
ある世代の方にとっては、1984年のメガヒット「雨音はショパンの調べ」のイメージしかないと思われる小林麻美だが、そのデビュー時に彼女は正にアイドル軌道の真ん中にいた。1953年11月29日生まれで、高校在学中にモデルとして芸能界での活動をスタート。レコードデビュー前には、奈良富士子をブレイクさせた連続ドラマ「美人はいかが」や歯磨のCMへの出演で、次第に存在感をアピールしていたのだ。そして、18歳の夏に待望のレコードデビュー。
当時のアイドル事情を振り返ってみると、前年放送がスタートした伝説のアイドル製造番組「スター誕生!」からのデビュー第1号、森昌子が前月に「せんせい」で颯爽と登場し、さらにその前月には麻丘めぐみが「芽ばえ」でデビューしている。前年デビューした小柳ルミ子、南沙織、天地真理が若手女性歌手の筆頭として揺るぎない人気を確立する中、静かに次世代アイドルの浸透に向けてお膳立てが始まっていたのである。百恵・淳子が登場する前年のことだ。
小林麻美をこの路線の一角に位置づけるのには、何となく違和感がある。「中三トリオ」よりは一回り世代が上だし、華があるというよりもか弱いイメージで、当時小学校1年生だった筆者に対しても強烈なアピールは残さなかったという気がする。しかし、結果的に「初恋のメロディー」はオリコン最高27位ながら、100位圏内には17週ランクインという、息の長いヒットを記録したのだ。
果たして勝因は何だったのかと考えると、やはり楽曲の良さという結論にたどり着いてしまう。そう、筒美京平が新人のデビュー曲に込める「神がかり的な力」。特に72年前後のそれは奇跡的だった。麻丘めぐみ「芽ばえ」にせよ、「初恋のメロディー」の4日前にリリースされた郷ひろみ「男の子女の子」にせよ、翌年の浅田美代子「赤い風船」にせよ、実にマジカルとしか言いようのない、単なる歌謡曲を超えた永遠性を元から秘めていた。この曲も当然例外ではなく、橋本淳によるウブながら大胆な歌詞がポップなメロディーを得て、うつむき加減な歌唱の力ですんなりと心を捉えてしまう。勿論、この歌詞の伏線として、前年リリースされた橋本・筒美コンビの大名曲・平山三紀「真夏の出来事」があると想像するのも楽しいのだけど、終わりそうで終わらないカーデイトの帰着地点が「おうち」という一語に集約された途端、歯痒さが快感に変わってしまうのだ。なんて名曲なのだろう!
この後、「落葉のメロディー」「恋のレッスン」と王道アイドル路線でリリースが続くも、「ある事情」が重なってアイドル期はシングル3枚で一旦終了。74年10月に復帰した際はちょっとアダルトな方向性を狙い、その第一弾の曲名こそ「ある事情」だった。シングル4枚のリリースを経て、70年代後期からは女優としての活動がメインに。この空白期に歌手としての小林麻美のイメージを引き継いだのが、他ならぬ片平なぎさではないかと思う。同じ東芝EMI(当時)ということで、ディレクション的に共通項を感じてしまうのだ。
そして84年、ユーミンの後ろ盾を得て「雨音はショパンの調べ」で再度歌手復帰。原曲であるガゼボ「アイ・ライク・ショパン」との相乗効果もあり、オリコン1位の大ヒット。かつてのアイドルイメージを否定するような神秘的な歌手活動は、ジェーン・バーキンを想い起こさせ、和風美人もハイソになったなぁとため息をつかせたのであった。「初恋のメロディー」「落葉のメロディー」をフィーチャーしたファーストアルバムに収められている、筒美京平が以前いしだあゆみらに提供した隠れ名曲や海外のポップスのカヴァーで聴かれる王道アイドル歌唱に、70年代初期特有のきらめきを感じたくなるなんて思い始めたのは、彼女が田辺昭知社長の奥さんの座に収まり、あっさり芸能界を後にしてからはるか後の事だった。それから四半世紀の時が流れ、先日、婦人誌への寄稿で再び元気な姿を見せてくれたばかり。歌姫としては幻のままでいて欲しかったという気持ちもあるけど、まずは「おかえりなさい」と一言。
1984年7月16日、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得した。この曲はもともと、イタリアの男性シンガー・ガゼボが歌った「I Like Chopin」が原...
1975年2月20日、小林麻美「アパートの鍵」がリリースされた。筒美京平による第2次三部作の第2弾、70年代アイド ルの転換期を象徴するような作品である。ソフィスティケートされながらもメロディー...
1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。この日から12週に渡って首位を独走、遂には71年の年間セールス1位を獲得するまでに至...
小柳ルミ子は宝塚音楽学校を首席で卒業した後、渡辺プロに入社し、1971年に「わたしの城下町」でデビューしていきなりヒットを飛ばした。72年の「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞を受賞。その後も多くのヒッ...
本日5月2日は、今もなお個性派俳優・歌手として独自の道を歩み続ける夏木マリの誕生日。今日で66歳という年齢が信じがたい程、その仕事欲とパワーに圧倒されるばかりだ。1971年本名の中島淳子名義でデ...
1976年11月15日、研ナオコの「あばよ」がオリコン・チャートの1位を獲得した。この曲は研ナオコにとって初の、そして現在まで唯一のオリコン1位作品である。作品提供した中島みゆきは研ナオコが愛川...
今年でプロ生活47年目を迎えた野口五郎のポップス歌手としての事実上のデビュー曲。実際には演歌調の「博多みれん」に続く第2弾シングルであることはよく知られている事実だが、15歳にして夜の盛り場を廻...
一昨年(2014年)3月15日、安西マリアが亡くなったという衝撃のニュースが伝えられたのが、まだ昨日のことのよう記憶に新しい。デビュー曲「涙の太陽」がヒットし、妖艶なルックスで昭和の男子を魅了し...
ザ・サーフ・コースターズとの共演による最新シングル「真夏の出来事〜ナウ・アンド・ゼン」が話題の平山みき(三紀)だが、いったい何ヴァージョン目の録音となるのだろう? この昭和歌謡史に燦然と輝く大名...
本日8月11日は、小山ルミの誕生日。ビートルズの歌ではないけど、あのゴーゴーガールも今日で64歳である。歌手としては71年リリースされた6枚目のシングル「さすらいのギター」の大ヒットで記憶されて...
1973年12月3日、フィンガー5の「個人授業」がオリコン・チャートで1位を獲得した。 和製ジャクソン5と呼ばれた、日本のキッズ・グループの最高峰・フィンガー5は、玉元一夫、光男、正男、晃、妙子...
今日、7月31日は歌手・女優の岡崎友紀の誕生日。子役時代に既にミュージカルも経験済みという演技力&歌唱力に加え、コミカルな芝居やコント、バラエティ番組での立ち回りもお見事……というマルチ型アイド...
今からちょうど42年前(1973年)の今日7月5日にリリースされた安西マリア(本名:柴崎麻利子。1953年12月16日-2014年3月15日)のデビュー曲「涙の太陽」。当時20万枚を超えるセール...
1971年の6月1日に「17才」でデビューしてから約1ヵ月後に17才の誕生日を迎えた“歌手・南沙織”が生まれたのは、同年の2月にオーディションのために初来日した彼女が、リン・アンダーソンの「ロー...
70年8月にデビューしたのが、5人全員がハーフという触れ込みで結成された“ゴールデン・ハーフ”である。もっともデビュー・シングルとなった「黄色いサクランボ」のジャケットには5人のメンバーが写って...
1969年8月、「天使のらくがき」を引っさげ日本デビューした彼女は、未だ当時の洋楽界に於いては主流のひとつだったフレンチ・ポップスの若手女性歌手の一人だった。