2016年08月22日
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2016年08月22日
ザ・サーフ・コースターズとの共演による最新シングル「真夏の出来事〜ナウ・アンド・ゼン 」が話題の平山みき(三紀)だが、いったい何ヴァージョン目の録音となるのだろう?この昭和歌謡史に燦然と輝く大名曲の存在故に他の作品のことがあまり顧みられない彼女だが、さすがに“筒美京平の秘蔵っ子”と呼ばれていただけのことはあって、時代時代に応じた注目すべき楽曲を残してきている。
デビュー当時の平山三紀に関して橋本淳と筒美京平のコンビは「同じパターンの曲をシングルで続けて出すのは避けよう」と意識していたそうで、「真夏の出来事」の次にはスケールの大きな熱唱曲「ノアの箱舟」、さらにはラグタイム調の「フレンズ」が続くなど挑戦的な楽曲作りを貫いていた。
アルバム制作においても洋楽カヴァーのアレンジまで筒美が手掛けるなど積極的に関与、「さすらいの天使」「いつか何処かで」といった“いわゆる“橋本=筒美クラシックス”に関しても、個性的な声質と唱法を有する彼女だけにまるで最初から自身のレパートリーだったかのように見事に歌いこなしている。
日本コロムビア在籍時の後半期にはラテンロック調やシティソウル風のものにまで曲調が広がる一方で、1973年10月にはスピード感に満ちたロックンロール歌謡「恋のダウンタウン」をリリース、この作風はソニー期の「真夜中のエンジェル・ベイビー」、ワーナー期の「マンダリン パレス」へと踏襲されていく。
74年からのCBSソニー時代にはフィリー・ソウルやディスコ・サウンドの台頭を意識した楽曲作りを展開、他の筒美系歌手への嚆矢としただけでなく、コロムビア時代の代表曲もリアレンジ/再録音している。また76年10月のシングル「やさしい都会」では作詞に荒井由実を迎えて、大人の女性の生活感を体現したニューミュージック調バラードを世に問うている。
以降は平山自身の結婚・出産・育児といった事情もあって歌手活動は散発的なものとなっていくが、ワーナー・パイオニア第1弾シングル「マンダリン・パレス」ではシンセ演奏にYMOの坂本龍一を起用してテクノポップ的な音作りをいち早く実現していた。またアルバム『MIKI WORLD』ではロスアンゼルス録音を敢行し、ハードなディスコ・サウンドからAOR風バラードまで幅広い音楽性を聴かせている。
80年代に入ると新進の作詞家だった売野雅勇と秋元康、アレンジャーでは佐久間正英や鷺巣詩郎と組んで、82-84年のビクター時代にはニューウエイヴ調のサウンド、87年からのファンハウスでは英国系のトレンディなポップスを取り入れていた。90年代に筒美の書き下ろし曲はないが、91年にポリスターから「真夏の出来事」をメレンゲとハウスでカヴァーしたシングルを出している。
21世紀に入ってライヴ活動を本格的に再開させた平山みき。07年に所属事務所のレーベルから出た(主としてセルフ)カヴァー中心のアルバムに、橋本淳=筒美京平のコンビで新曲「恋々遊歌」を提供した。ここでの「真夏の出来事」はアカペラ・コーラスをバックにしたドゥワップ調。また極めて異例なことだが橋本=筒美コンビは彼女のためにライヴ用の新曲まで書き下ろしている。
さらに2013年に古巣コロムビアからリリースされた「Beyond~オール・タイム・ベスト」には、現代版の大人のためのダンスチューンとも言うべき新曲「ビヨンド」を収録、タワレコ限定販売でシングルカットもされている。
「やさしい都会」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
YELLOW LION - 平山みきオフィシャルホームページ>
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