2018年07月02日
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2018年07月02日
小柳ルミ子は宝塚音楽学校を首席で卒業した後、渡辺プロに入社し、1971年に「わたしの城下町」でデビューしていきなりヒットを飛ばした。72年の「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞を受賞。その後も多くのヒットを連ね、78年にはレコード会社を移籍して、「お久しぶりね」「今さらジロー」などのヒットでアイドル時代から著しい成長を遂げた円熟の歌声を聴かせて健在ぶりを示した。ゴシップ記事でマスコミを賑わすことも度々あったが、現在も歌い続けるヴェテランの現役歌手であり、デビューから既に47年となる。今日7月2日は小柳ルミ子の誕生日。最近では筋金入りのサッカーファンとしての顔がすっかり有名だ。
小柳ルミ子が宝塚出身ということはあまり知られていないかもしれない。アイドルになったことも含めて、母親の影響が大きかったらしい。娘の芸能界入りは母親の悲願であったという。宝塚時代の同期には麻実れいがいる。その経験が活かされ、歌手デビューの前には役者としての仕事が先行した。70年にNHKの朝ドラ『虹』へ出演した後、翌71年4月25日、ワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージックジャパン)から「わたしの城下町」での歌手デビューとなった。ちなみにデビュー時のキャッチフレーズは“みんなの恋人”だったそうだが、あまり記憶にない。安井かずみの作詞、平尾昌晃の作曲による、豊かな日本情緒を感じさせる曲は12週連続でチャート1位を記録する大ヒットに至り、オリコン年間シングルチャート1位、日本レコード大賞では最優秀新人賞に輝いた。
同期の天地真理、南沙織と共に<新三人娘>と呼ばれて人気を博したが、小柳と天地を擁した渡辺プロダクションとしては、もう一人を山口いづみとして新たなナベプロ3人娘としたかったらしいが、南沙織の強靭な人気には敵わなかった。すぐ後に、ホリプロが森昌子と山口百恵と石川さゆりでの<ホリプロ三人娘>を想定しながらも、結局は他のプロダクションの桜田淳子を交えた<中三トリオ>として定着するのも同じようなケース。世の中、なかなか目論見通りには事が運ばないものである。こと芸能の世界においては、いわゆるマスコミの操作力よりも大衆の支持力の方が勝っているようだ。
ともあれ、スターとなった小柳ルミ子は、叙情ポップス路線が踏襲された「お祭りの夜」「雪あかりの町」も連続ヒットさせた。だいたい3ヶ月毎のサイクルが普通だった当時のシングルリリース状況下で、第2弾「お祭りの夜」が前作から5ヶ月ぶりとなる9月25日のリリースだったことからも、「わたしの城下町」がいかに大きなヒットであったかが窺える。そして次の4枚目、デビュー曲に匹敵するビッグヒットが生まれる。72年4月に出された「瀬戸の花嫁」は前作に続く山上路夫の作詞で、作曲はデビューから一貫しての平尾昌晃。山上は過去に何度か訪れた四国の風景を自分の中で熟成させて作詞にあたったという。この歌はもともと2つあった詞を合わせて作られたそうで、瀬戸を舞台にした「瀬戸の夕焼け」と、花嫁をテーマにした「峠の花嫁」がそれぞれに何か足らないと思われていたことから、思い切って2つを一緒にしてみたところ、見事なくらい平尾の曲にびったりとハマった。小柳も最初に曲をもらった時に鳥肌が立ったと、後に語っている。結果、2作目のチャート1位を獲得し、年間2位の大ヒットに。第3回日本歌謡大賞グランブリを受賞している。
続く「京のにわか雨」も1位を獲得してヒットを連ね、74年の「冬の駅」、77年の「星の砂」と、時折大ヒットが生まれた。78年の通算27枚目のシングルにあたる「雨…」からは、新設された渡辺グループのレコード会社・SMSへ移籍して、大人の歌が展開される。83年には「お久しぶりね」が久々の大きなヒットとなり、以後毎年1作ずつ発表された「今さらジロー」「乾杯!」の杉本真人による三部作は印象深い。80年代はそれほどヒットしていなくても傑作が目白押しで、筒美京平が作曲した「来夢来人」や、金鳥のCMソングで久々に平尾が提供した「みだれ髪」、玉置浩二作曲の「泣かないから」などなど。昭和の歌謡曲が注目されている昨今、再評価されて然るべき作品群である。8年のブランクを経てCDを出した2011年以降、復活した平尾とのコンビ作もずっと歌い続けて欲しい。やはり小柳ルミ子には平尾昌晃の曲が一番よく似合う。
小柳ルミ子「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」「お久しぶりね」「今さらジロー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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