2017年03月08日
スポンサーリンク
2017年03月08日
1967年2月5日、シングル「僕のマリー」(B面は「こっちを向いて」)でレコード・デビューしたザ・タイガース。後にGSと呼ばれる和製ビート・グループたちのトップに君臨し、GSブームの起爆剤となった彼らも、デビュー後まもなくはほとんど無名バンドに近い状態だった (関西ではファニーズ時代からのファンが数多く存在していたが)。仕事と言えば新宿ACBなどジャズ喫茶への出演ぐらいで、仕事の日は合宿生活を送っていた世田谷区烏山のアパートから仕事先まで“電車通勤”をしていた。早くも数人の追っかけファンも誕生しており、それは次々に増殖を続け、いつしかアパートから徒歩で駅に向かう5人の後を追うファンの数は、まるで大名行列のような長さになっていったという。
そんな中、渡辺プロダクションはタイガースの2ndシングルの準備を始める。作家陣は前作同様、タイガース楽曲のコンセプトメイカーでもある橋本淳(作詞)とすぎやまこういち(作曲)のコンビ。「僕のマリー」が南フランスの港町マルセイユをイメージした(橋本の証言)バラードだったのに対し、今回は夏場に向けた作品ということで、同じ南フランスでもリゾート地として名高いニース、カンヌをイメージした明るいリズム楽曲というコンセプトが決定し、さっそく制作がスタートする。
こうして橋本&すぎやまコンビが書き上げてきたのが、「シーサイド・バウンド」と「白いブーツの女の子」の2曲で、前者は沖縄音階を意識した(すぎやまの証言)シンプルな4コード作品。後者は「海」「太陽」「渚」といった言葉は一切出てこないものの、サビのメロディがザ・ドリフターズの「Under The Boardwalk」(邦題「渚のボードウォーク」)を彷彿させ、なんとなく夏っぽさを醸し出すポップ・ナンバーだった。先ず3月2日にリハを兼ねた「シーサイド・バウンド」の予備レコーディングが行なわれ、その6日後に両曲の本番録りとなった。今からちょうど50年前の今日、1967年3月8日のことである。
最終的に2ndシングルのA面には「シーサイド・バウンド」が選ばれ、3月9日にレコーディングされた「星のプリンス」(橋本&すぎやまコンビ作品)とのカップリングで、1967年5月5日にリリース。「白いブーツの女の子」はお蔵入りとなり、タイガース解散後の1974年11月21日にリリースされたベスト・アルバム『ザ・タイガース物語Vol.1』『同Vol.2』の予約購入特典として制作された非売品4曲入EP『THE TIGERS STORY』に収録されるまで未発表のままだった。90年には10枚組CDボックス『ザ・タイガース・パーフェクトCD-BOX』で初CD化。その後“Q盤”シリーズCD『レジェンド・オブ・ザ・タイガース』にも収録され、誰でもが入手しやすくなっている。
茅ヶ崎海岸の浜辺で元気いっぱいにジャンプするタイガースの姿を撮ったジャケットが示唆しているように、「シーサイド・バウンド」には「バウンド」と名付けられたダンス・ステップがセットになっていた。振り付けは、後にピンク・レディや山本リンダを手がけたことで知られる土居甫。当時は渡辺プロダクション制作番組『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)などでメキメキ頭角を現してきた新進振付師だった。間奏時にフロントの4人が揃って左右に飛び跳ねるという、およそギター演奏を一切無視したようなステップは、当事者たちには不評だったらしいが、この独創的な振り付けとラテン楽器であるティンバレスを叩きながら歌うジュリーの姿は、渡辺プロダクションのお家芸とも言うべきテレビに重点を置いた宣伝戦略によって、瞬く間に全国のお茶の間に拡散。「シーサイド・バウンド」は50万枚を超えるヒットとなり、新人タイガースはGSの先達であるブルー・コメッツ、スパイダースの人気に肉迫するほどの大ブレイクを果たしたのである。
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
今から51年前の今日1967年6月26日にレコーディングされたザ・タイガースの3枚目のシングル「モナリザの微笑」は、中世ルネッサンス期のイタリアをテーマにしたクラシカルな作品で、その「王子様ルッ...
本日6月25日は沢田研二の誕生日。ジュリーも何と70歳ですよ。もっとも、ザ・タイガースのオリジナル・メンバーでは一番若い。ジュリーの魅力は様々ありますが、やはり1枚のシングル盤を引っ提げて、ヒッ...
本日4月11日は、作曲家・すぎやまこういちの誕生日。87歳を迎える現在もなお、日本の音楽界を見守る重要な存在である。すぎやまと大衆音楽の関わりの始まりは、1959年、フジテレビの社員として大ヒッ...
今から49年前の今日1969年4月3日、新生ザ・タイガース初のジャズ喫茶出演となった新宿ACBでのステージで、ギターを弾けない岸部シローはヤジり倒され、この一件がトラウマとなるが、やがてその屈辱...
本2017年はザ・タイガースのデビュー50周年。そして本日は、そのタイガースの最期のスタジオアルバム『自由と憧れと友情』がリリースされた日となる(1970年)。解散発表の1週間後に発売された本作...
本日11月18日は、ザ・タイガースの音楽的リーダーでもあった森本太郎の71歳の誕生日。 タイガース時代に自作曲「青い鳥」を発表して以来、作曲家として様々なアーティストに作品を提供してきた彼の集大...
タイガース人気絶頂の1968~69年には主演映画も3本作られたが、それら全部にヒロイン役として出演した久美かおり、本日は彼女の誕生日。ジャズ歌手を志向してマーサ三宅に師事、ステージで歌っていたと...
1968年1月5日、ザ・タイガースの「君だけに愛を」が発売。同年4月10日に封切られたタイガースの初主演映画『世界はボクらを待っている』の冒頭で見ることも出来るが、ジュリーが「君だけに」と指を差...
9月22日はザ・タイガースの人気ドラマー・瞳みのるの誕生日。本名は「人見豊」で、同じく「ひとみ みのる」と読む。著書『ロング・グッバイのあとで』でも触れられているように、「穀物などが実る秋」の9...
ちょうどオリコンが正式発足した時期にリリースされたシングル「君だけに愛を」は突如浮上したフォーク・クルセイダーズのメガヒット「帰って来たヨッパライ」のため2位に甘んじたが、続く「花の首飾り」はタ...
1968年6月22日、「木島則夫ハプニング・ショー」で当時人気絶頂のタイガースが批判のヤリ玉に挙げられ番組炎上という「事件」があった。GSブームも最高潮なら、特に長髪GSへのバッシングも激しかっ...
1969年3月、オリジナルメンバーの加橋かつみ脱退に伴ってザ・タイガースに参加することになったのは、岸部一徳の弟の岸部シローとなった。すでにタイガースの世話係として行動を共にしており、音楽評論家...
今から45年前 1971年1月24日はザ・タイガース解散の日。それは熱狂と興奮に包まれたひとつの時代の終焉の日でもあった text by中村俊夫
タイガース再結成ライヴでは、休止していた年月を感じさせない、素晴らしいベース・プレイを披露したサリー。今や超ベテラン役者として、一般的な認知度はジュリーやショーケンを上回るのではないだろうか。本...
ザ・タイガース主演映画第2作『華やかなる招待』が封切られたのは47年前の本日のこと。47年前の1968年こそはGSブームが頂点を極めた年であり、この1年間にGS主演、またはゲスト的に出演した映画...
今から48年前の今日1967年12月13日は、破竹の勢いでGSの頂点に君臨したタイガースが、東京・大手町サンケイホールで初のチャリティー・ショーを開催した日。Text by中村俊夫