2018年11月26日
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2018年11月26日
ティナ・ターナーは、すでに伝説のロックンローラーであり、ソウル・アーティストであり、エンタテイナーだ。1960年代からアイク&ティナ・ターナーとしてヒットを出し、暴力夫のアイク・ターナーと別れてから1980年代ソロ・シンガー、ティナ・ターナーとなってからも次々とヒットを出し、さらなるスーパースターとなった。いま、もっともティナ・ターナーの影響を受けているトップランナーと言えばビヨンセだろう。ビヨンセを見たファンが21世紀のティナ・ターナーと感じたとしてもおかしくない。歌って踊る女性シンガーの先駆者としてティナ・ターナーは、歴史に名を残す。
そんなティナ・ターナーは、1939年(昭和14年)11月26日、アメリカ南部テネシー州の小さな田舎町ナットブッシュに生まれた。今日(2018年11月26日)が79歳の誕生日だ。本名はアンナ・メイ・バロック。幼少の頃から信心深い家庭に育てられ、教会でゴスペルに接した。
一方、ブルーズ・アーティストとして活動をしていたアイク・ターナー(1931年11月5日~2007年12月12日、76歳)が南部を巡業していたときに彼女を見初め、自身のグループに誘い、その後、結婚。以後、アイク&ティナ・ターナーという夫婦デュオとして活動していく。
1966年、プロデューサー、フィル・スペクターのプロデュースで「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」をリリースし、5月から全米ではそれほどのヒットには至らなかったが、イギリスで大ヒット。その後もコンスタントにレコーディング、ツアーと活動を続けた。
1971年2月から「プラウド・メアリー」がポップで4位を記録する大ヒットになり人気を決定づけた。アイク&ティナ・ターナーは、特に激しく踊るライヴ・パフォーマンスが評判で、同世代の多くのアーティストたちに大きな影響を与えた。
独立。
しかし、1970年代中期になると、ヒットが出なくなり、一方で、アイクのドラッグ禍などでコンサートがキャンセルになったり、人気が低迷。また、アイクのティナに対する家庭内暴力から逃避するために、ティナは宗教(日蓮宗、創価学会)に逃げるようになるが、最終的には1978年アイクと離婚。それはプライヴェートも仕事も、すべてから独立することを意味した。ティナ・ターナーは、ソロ・シンガーとして再起を計る。
1983年秋、EMIと契約、アルバムを作ることになるが、オリジナルがなかったためにアル・グリーンの1972年の大ヒット「レッツ・ステイ・トゥゲザー」をカヴァー。これが全米ソウル・チャートで3位、ポップ・チャートで26位を記録。その後、1984年に出した「ワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット(邦題、愛の魔力) 」が全米ソウルで2位、ポップで1位を記録する大ヒットとなり、これを機に完全復活となった。さらに「プライヴェート・ダンサー」(1984年)、映画『サンダードーム』テーマ曲「ウィ・ドント・ニード・アナザー・ヒーロー」など立て続けにヒット。ソロ・シンガーとして世界的ツアーも敢行。
ティナ・ターナーのツアーは、ロック・アーティスト的な大規模ツアーで、全世界を周った。それまでのアイク&ティナ・ターナー時代の小さなライヴハウスとコンサートホールでのライヴから比べると、アリーナ級の大規模コンサートとなっていた。
1986年にそれまでの生涯を描いた自伝『アイ、ティナ』を出版。これを基にした映画『TINE ティナ 』が1993年、アンジェラ・バセットがティナ役を演じ公開された。これは日本公開もされ、ティナ・ターナーの激動の人生が注目を集めた。
ミュージカル。
2013年7月、長くマネージャーだったドイツ人のアーウィン・バックと結婚。スイスに移住、現在はスイスの市民権を獲得、スイスのパスポートを持つ。2016年、腸の癌が発覚、さらに腎臓機能が落ちたために、透析を余儀なくされた。しかし、夫のバックが腎臓を提供することになり2017年4月手術。事前の検査では奇跡的に適合性があるとされたが、その後若干の不具合がでてきたようだ。
2018年4月には、ロンドンでミュージカル『ティナ』が開始。2019年2月まで続く。さらに本作は2019年秋にはニューヨークのブロードウェイにかかる予定だ。また、2018年10月には、彼女にとっての2冊目の自伝本『ティナ・ターナー:マイ・ラヴ・ストーリー』がリリースされた。
ティナの最後のツアーは、2008年から2009年にかけての『ティナ:50周年ツアー』で以後は実質的に引退している。
ティナ・ターナーとしての来日は、1985年12月、大阪フェスティヴァル・ホールと日本武道館、1988年3月、日本武道館他で行われた。またアイク&ティナ・ターナーとしては1970年12月に赤坂のディスコ、ムゲンでライヴ・ショーを行っている。また、アイク・ターナーは、2007年12月12日、76歳で死去している。
魅力。
ティナ・ターナーの最大の魅力は、教会で鍛えられたしっかりとしたソウルフルな歌唱と、体すべてを使って踊るその激しいダンスだ。まさにエネルギーがステージ上で爆発するかのように観客をエンタテインする。
ティナ・ターナーのキャリア、歴史は、大きく分けると、アイク&ティナ・ターナー時代、そして、ティナ・ターナーのソロ時代になる。圧倒的にビッグになったのは、後者のソロ時代だ。アイク&ティナ時代は、彼女にとっても地獄のような暗黒の日々だったようだ。ここまで人生の前半と後半の明暗を分けるアーティストも珍しい。
噂だと、「クイーン・オブ・ソウル」アレサ・フランクリンと折り合いが悪く、ティナは自分が死んだ時の葬式はアレサの葬式(2018年8月)よりも盛大に派手にやりたいと側近にもらしているそうだ。
≪著者略歴≫
吉岡正晴(よしおか・まさはる):音楽ジャーナリスト、DJ。ソウル・ミュージックの情報を発信しているウェッブ『ソウル・サーチン』、同名イヴェント運営。1970年代には六本木「エンバシー」などでDJ。ディスコ、ブラック・ミュージック全般に詳しい。ラジオ番組出演、構成選曲、雑誌・新聞などに寄稿。翻訳本に『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著)、『マイケル・ジャクソン全記録』など。自著『ソウル・サーチン R&Bの心を求めて』など。毎月第一木曜夜10時『ナイト・サーチン』(ミュージックバード)を生放送中。最新情報は、ツイッターで。
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