2019年02月12日
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2019年02月12日
初ソウル・フェス。
1974年10月に杉並区方南町にオープンしたソウルバー「エクセロ/しずおか屋」(現在地・下北沢)が、2019年3月に45年の歴史に幕を閉じるが、この店内にはマスター冨田さんが通った1960年代から70年代、80年代のソウル・アーティストのライヴ・チケットやチラシなどが丁寧に額装されて壁に飾られている。そのうちのひとつに、1968年2月に行われた「モータウン・フェスティヴァル」のチラシ(B5判)と当時のチケットがある。
このモータウン・フェスティヴァルというのは、日本の音楽業界史上初めて行われたソウル・ミュージックのフェスティヴァルだった。スティーヴィー・ワンダー、マーサ&ザ・ヴァンデラス、そして、テンプテーションズという当時のモータウン・レコードの3アーティストが登場することになっていた。
公演日程は、2月12日(月)新宿厚生年金会館、13日、14日渋谷公会堂、そして、19日(月)大阪フェスティヴァル・ホールだ。S席が2000円、Aが1500円、Bが1200円、Cが1000円。4種類もあった。しかも、Sで2000円! 一見安いように見えるが、当時(昭和43年)の初任給を調べてみると、約26000円。現在が20万円超なので、物価は8分の1。今のチケット代だと1万5~6千円だろうか。ただこの頃のLPレコードは2000円から2400円で、これはCDであれば、現在は同じかそれより安くなっているので、物価上昇率から考えると、かなり割安だ。
こんなイヴェントを企画したのは、協同企画エージェンシー、現在のキョードー東京だ。もちろんこれまでにこのようなソウル・アーティストが3組もやってきたことはない。チラシの文句がすごい。
「タムラ‐モータウン・フェスティヴァル~ザ・サウンド・オブ・ヤング‘68 68年の音楽界を決定する黒い旋風一行28名」と書かれ、3アーティストの写真が丸の中に収められている。東京12チャンネルが主催で、後援に日本ビクター株式会社・ビクター芸能社がついている。12チャンネルが主催というところもおもしろい。さらにちょっと驚くのが、「スティーヴィー」ではなく、「スティヴィー」と表記されていること。単なる誤植のようだ。
これは当時のソウル・ファンの間ではもちろんちょっとした話題になったのだが、なんと、土壇場になって、一番のメインであるテンプテーションズ(デイヴィッド・ラッフィン、エディー・ケンドリックス時代、略称のテンプスで語られることが多い)の来日がキャンセルになってしまったのだ。ただし、ライヴはスティーヴィーとマーサたちの2組で決行され、このチケットは払い戻され、お客さんは2組のライヴを無料で見ることができたのである。
ドタキャン。
このテンプテーションズの来日キャンセルはその後も理由が諸説語られた。僕が昔聞いた話では、ちょうどこの頃ヴェトナム戦争が激しくなっており、テンプスのメンバーが、同じ地域の日本に行くのは怖くて嫌だ、といったもの。当時アメリカ人にとってはヴェトナムも中国も日本もみな、同じ太平洋の向うで同じだ、という話だ。いかにもアメリカ人らしいありそうな話だなあと思ったものだ。
他の理由として、アメリカの占い師に止められたとか、デイヴィッド・ラッフィンが当時ドラッグ中毒になっていて入国許可が下りなかったなどもあったようだ。。もうひとつ、もっともらしいのが、ちょうどテンプスの中でデイヴィッド・ラッフィンのエゴが拡大し、グループ名に自分の名前を付けて「デイヴィッド・ラッフィン&ザ・テンプテーションズ」にしろとか、自分専用のリムジンを出せなどと言い出し、グループ内で問題化した時期だったということがある。もし日本のライヴを契約しても、デイヴィッドのわがままで彼だけ来られないなどとなるとグループにとっては致命的になるので、止めておこうか、となったという話だ。結局、デイヴィッドは1968年6月にグループを解雇される。
さて、このライヴだが、これを見た人はほぼ初めてのソウル・ショーということでかなり盛り上がったようだ。特に、この頃日本では空前のGS(グループサウンズ)ブームで、そうしたメンバーたちもこぞってこのライヴに足を運んだ。エディ藩 、スパイダースのかまやつひろし、モップスの星勝なども見ていた。そして一様に、アメリカのソウル・ミュージシャンはすごいと感嘆したようだ。来日メンバーの中には当時まだ26歳だったギタリスト、デイヴィッド・T・ウォーカー もいた。
そして、2月13日に渋谷公会堂で行われたショーはライヴ録音され、そのライヴ盤が日本だけでリリースされた。
パンフレット。
なんとこのときはいわゆるパンフレットが作られた。さて、このパンフレット、誤植もあって非常に面白いのだが、今となっては意味不明のタイトルも。ニッポン放送の社長になられた亀淵昭信氏の原稿のタイトルは、「黒い電子計算機モタウン・レコードの全貌」(原文のまま)。どう理解したら、いいんだ? (笑) 「黒い電子計算機」は何を修飾しているのか。あるいは、意味しているのか。まあ、モータウン(モタウンか?)を修飾しているのだろうが。どういうことなんだろう。福田一郎氏の原稿タイトルは、「テンプティションストーリー」。その中のメンバー紹介では、「ダヴィッド・ラッフィン」。
そして、驚くのが広告。12軒のバーやお店の広告が掲載されている。R&B・スナックバー、ジョージス 。ご存知、日本最古級のソウルバー、ジョージス だ。この頃はソウルバーなどとは言わなかった。スナックバーだ。次のもすごい。「R&Bのメッカ、洋盤豊富 ムード最高 御来店下さい!!」というのは、新宿ジ・アザー! 「リズム&ブルースの店、スナックバー コルト45〜ヨコハマチャイナタウン近く」。これにはピストルのイラストが。「ソウル・レストラン G.T〜霞町交差点手前」 ソウル・レストランってなんだろう。ソウルがかかるレストランか。「洋盤豊富 ムード最高」は、サイコーだ。
これもすごい。協同企画エージェンシーの会員になると、こんな特典が。「HIMUSIC会員募集 特典・コンサートの入場料が大幅に割引になります。すべての公演が1割引。他に3人ご紹介の場合は2割引、5人で3割引の特典もあります。1年に10回以上ご鑑賞の方は1回が無料になります」5人で3割引きはすごい。割り勘にすれば、2000円のコンサートは、1400円だ。
日本初のソウル・フェスはテンプスが来なくなったおかげで、無料で開催された。そう、日本のソウル・フェスの歴史は、テンプスのドタキャンから始まっているのだ。
スペシャル・サンクス:白川良行さん、冨田秀行さん、冨田みな子さん
≪著者略歴≫
吉岡正晴(よしおか・まさはる):音楽ジャーナリスト、DJ。ソウル・ミュージックの情報を発信しているウェッブ『ソウル・サーチン』、同名イヴェント運営。1970年代には六本木「エンバシー」などでDJ。ディスコ、ブラック・ミュージック全般に詳しい。ラジオ番組出演、構成選曲、雑誌・新聞などに寄稿。翻訳本に『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著)、『マイケル・ジャクソン全記録』など。自著『ソウル・サーチン R&Bの心を求めて』など。毎月第一木曜夜10時『ナイト・サーチン』(ミュージックバード)を生放送中。最新情報は、<吉岡正晴公式ツイッター>で。
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