2018年09月13日
スポンサーリンク
2018年09月13日
69年9月13日、ジョン・レノンは、自分のバンド、プラスティック・オノ・バンドとともに、カナダのトロントで「お披露目」ライヴを行なった。「お披露目」と言っても、結果的にそうなったと言ったほうがいいだろう。ザ・ビートルズの実質的なラスト・アルバム『アビイ・ロード』が出る約2週間前の出来事だった。ビートルズはまだバンドとしては存続していたものの、実際は解散に向けてのカウントダウンの時期でもあった。一方、69年7月にプラスティック・オノ・バンドのデビュー・シングル「平和を我等に」を発表していたジョンからすれば、「バンド」としては66年8月以来となる公のライヴを行なうことは自然な流れだったのかもしれない。
そんな解散間際の微妙な(だからこそ面白い)時期に行なわれたライヴは、とはいえ、ジョンの単独公演だったわけではない。トロントのヴァーシティ・スタジアムで行なわれたのは、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ボー・ディドリー、ジェリー・リー・ルイスらが出演するロックンロール・リヴァイヴァル・ショーだった。だが、チケットの売れ行きが芳しくなかったため、ロックンロール・ヒーローが一同に会するこのコンサートに、前日に出演依頼を受けたにもかかわらず、ジョンは出演を決めたのだった。
そこでジョンは、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトに声をかけ、特別にチャーターした飛行機の機内で即席のリハーサルを行ない、本番に備えた。極度の緊張で本番前に吐いたというジョンは、バンドを従えて、「ブルー・スウェード・シューズ」や、ビートルズのレパートリーでもあったカヴァー曲「マネー」「ディジー・ミス・リジー」などをまずは演奏。最初は手探り状態だったバンドはまとまりが徐々に良くなり、ジョンとクラプトンのギター・バトルも次第に白熱していく。スリリングなステージの模様は、「ヤー・ブルース」でさらに盛り上がりをみせる。そして、ビートルズとしてのレコーディングを拒否されたと言われる新曲「コールド・ターキー」や、ジョンが「この曲をやるために来た」と語る「平和を我等に」、同じく「〈トロント1984〉とでも言ったほうがいいようなものだった」と後に語った、ヨーコのヴォイスをフィーチャーした「ジョン、ジョン」で締めくくった。
急ごしらえのバンドだからこそすぐに演奏できるロックンロールのカヴァー曲は、ロックンロール・リヴァイヴァル・ショーのテーマに合っていたし、ビートルズのこの時点での最新アルバム『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』からの曲やプラスティック・オノ・バンドの未発表の新曲まで交えて披露された内容は、ある意味、ジョンの凝縮された「ロック史」を瞬時につかめるような面白さでもあった。この時の模様を収めたライヴ・アルバム『平和の祈りをこめて(LIVE PEACE IN TORONTO 1969)』は、69年12月12日に発売された。89年には『スウィート・トロント』と題した映像作品も発売されている。
そして、このライヴから1週間後の9月20日、ジョンは、ビートルズの当時置かれていた状況よりもヨーコとの活動を最優先し、ビートルズ脱退を他のメンバーに伝えたのだった。
≪著者略歴≫
藤本国彦(ふじもと・くにひこ):『ビートルズ・ストーリー』編集長。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』『ビートルズは何を歌っているのか?』『ビートルズはここで生まれた』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめ ビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。
本日1月8日は、“キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリーの誕生日。1935年生まれなので、生きていたら84歳ということになる。特に彼の誕生日を意識したわけではないのだが、お正月を迎...
ザ・ビートルズの「抱きしめたい」は、レコード・デビューから約1年後の1963年11月29日に、イギリスでの5枚目のシングルとして発売された。それ以前の3枚のシングル――「プリーズ・プリーズ・ミー...
ティナ・ターナーは、すでに伝説のロックンローラーであり、ソウル・アーティストであり、エンタテイナーだ。1960年代からアイク&ティナ・ターナーとしてヒットを出し、暴力夫のアイク・ターナーと別れて...
ジョン・レノンのソロ・シングルで初めて1位になった曲は? すぐに思い浮かびそうな「イマジン」ではない。答えは「真夜中を突っ走れ」である。それまでの最高位は、イギリスでは69年の「平和を我等に」の...
1969年10月31日にリリースされた「サムシング」と「カム・トゥゲザー」は『アビイ・ロード』からのシングル・カット。もともとは「サムシング」がA面扱いでアメリカでは3位、「カム・トゥゲザー」は...
本日10月18日は、ロックン・ロールのパイオニアのひとりチャック ベリーの誕生日。御存命ならば92歳を迎えたことになる。チャック・ベリー、バディ・ホリー、エディ・コクランといった自作曲をギターを...
ザ・ビートルズにはさまざまな「都市伝説」があり、巷をいまだに賑わせている話題も多い。その最たる例が「ポール死亡説」だろう。69年夏ごろからアメリカ中西部の若い音楽ファンの間で、「ポールは死んでい...
ノリの良い軽快なロックに絶妙のコーラスが加わった、ザ・ビートルズ中期の傑作シングル――65年7月23日に10枚目のシングルとして発売され、9月4日に全米(ビルボード)チャートで1位に輝いた「ヘル...
ドでかい会場に5万人を超える観客が集まり、そこで人気バンドがコンサートを行なう。日本も海外も、毎日とは言わないまでも、日常化しているスタジアム・ライヴのあり方だ。それを半世紀以上前に最初に実現さ...
「動く4人」の生身の映像を初めて観たファンの衝撃は、どれぐらい大きかったのだろうか。ザ・ビートルズの日常をセミ・ドキュメンタリー風に仕上げた初の主演映画『ハード・デイズ・ナイト』(公開当時の邦題...
1970年4月10日、新学期が始まったばかりの夕方、帰宅して僕が開いた夕刊には「ポール、ビートルズを脱退」の記事が大きく載っていた。翌日、4月11日「レット・イット・ビー」はビルボード誌のシング...
70年4月17日に発売されたポール・マッカートニーの初ソロ・アルバム『マッカートニー』は、ザ・ビートルズ時代の名曲・名演を期待していたファンに、思いっきり肩透かしを食らわせた。全14曲中、ヴォー...
ザ・ビートルズが、自身の会社アップルの事務所をロンドンに開いたのは1968年4月6日のこと(4月16日、22日説もある)。自分たちの目の届く範囲で、独創的なアイデアを幅広く集結させながらやりたい...
ザ・ビートルズが全米ヒット・チャートに遺した前人未到の記録の中でも、とりわけ華々しく語られているのが、シングル・ランキングのトップ5独占であろう。日付は1964年4月4日。ビルボード誌Hot 1...
今から38年前の今日1980年1月16日、ウイングス初の日本公演ツアーのため成田に到着したポール・マッカートニーが税関で逮捕。9日間に亘る勾留生活秘話と驚愕の“シークレット・ライヴ”。text ...
1月3日はビートルズの育ての親であるプロデューサー、ジョージ・ヘンリー・マーティンの誕生日である。ジョージは6歳でピアノを始め、音楽にのめり込んでいったものの、「仕事」にする気にはならず、最初に...
1962年1月1日は、ビートルズがデッカのオーディション受けた日である。よりによって、元旦にレコード会社のオーディションが行なわれることになるなんて、リヴァプールの「片田舎」からロンドンの「都会...