2019年03月26日
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2019年03月26日
75歳。
「モータウンの歌姫」「アメリカの恋人」「ディーヴァ」、様々な形容詞で語られるダイアナ・ロス。1944年(昭和19年=さる年)3月26日アメリカ北部イリノイ州デトロイトで生まれた。今日(2019年3月26日)でちょうど75歳になる。
その75歳を祝って、バースデイ・コンサートがアメリカ・ロスアンジェルスのハリウッド・パレイディアムで誕生日当日(日本時間27日)行われる。正式なタイトルは、『ダイアモンド・ダイアナ&ファミリー&フレンズ・75ス・バースデイ・セレブレーション』。
ダイアナ・ロスは今も現役で、ツアーに周っている。今年(2019年)は、5月4日、ニューオーリンズ・ジャズ・フェスティヴァル、6月22日にはニューヨークのレイディオ・シティー・ミュージック・ホール、さらに7月22日にはコロラド州レッド・ロックスでのコンサートも決まっている。今年のグラミー賞(2019年2月10日ロスアンジェルスのステイプルズ・センター)でのライヴ・パフォーマンスも、世界に生中継された。そのときは、「ベスト・イヤーズ・オブ・マイ・ライフ」とダイアナの「十八番(おはこ)」「リーチ・アウト・アンド・タッチ」を歌った。
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魅力。
ダイアナ・ロスは1960年代から自動車の街、デトロイトの新興のインディ・レーベル、モータウンから「シュープリームス」のメンバーとして登場。グループは1965年頃から次々とヒットを放ち世界的人気を獲得、ダイアナ・ロスはリード・シンガーとして脚光を浴び、1970年、ソロ・シンガーに独立。
モータウンは多くのブラック・シンガー、男性、女性、グループを世に送ったが、女性シンガーとしては同レーベル内で最大のサポートを得た。それは、モータウン・レコードの創業者、オウナーであったベリー・ゴーディーの恋人だったからだ。いわゆる「ファースト・プライオリティー(第一優先の)」アーティストとして、ソングライター、プロデューサーたちが書いた最高の曲を、最高のプロデューサーにプロデュースされ、最大級の宣伝をされ、世に送り出された。
ダイアナの魅力はその声、ゴージャスなファッションだ。声はしばしば「スイート&イノセント(甘く無垢)」などと評される。誰にでも好かれる声だ。そして、彼女にはいい楽曲が選ばれていたこともあり、いい曲が多く、よってヒット曲が多数でて、それがまた魅力となった。ありとあらゆるアメリカ人にとって、ダイアナ・ロスのヒット曲は、それぞれの人生のサウンドトラックとなったのだ。
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来日。
ダイアナ・ロスはシュープリームス時代に一度来日したことがあるが、ダイアナ・ロスとしては1973年6月が初来日。以後、1978年、1989年、1992年、1994年、1996年、1997年、1998年(モータウン40周年記念イヴェント)、1999年、2013年(企業イヴェント、一般公演なし)、2015年1月と11回来日している。
最後の2015年の来日のときは、VIP席4万7000円から、B席9000円まで、舞台の真横まで超満員。さすがに年齢層は圧倒的に高かった。50代から60代が中心。40代は若い方ではないだろうか。しかも、安倍首相まで鑑賞に来ていた。
ショーの構成もシュープリームス 時代のモータウンもの、ソロになってからのヒット、ディスコをはさみ、ジャジーな雰囲気のもの、そして、おなじみのヒット群と、緩急をつけて飽きさせない。日本で特に人気の高い、「マホガニーのテーマ」(インスタント・コーヒーのCMでメロディーが使われたもの)、なんどもリメイクされ知られる「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」、「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」、ディスコの「アップサイド・ダウン」「ボス」など、当時リアル・タイムで聴いていたファンにとってはたまらない思い出フラッシュバックとなった。声もしっかりでていて、オーラも満開。まさにスーパースターの貫録を見せていた。
75歳のバースデイ・セレブレーションの様子もいずれ伝わってくるだろう。「老いてますます盛ん」といういい方ははばかられるが、元気でステージを続けて欲しい。
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ダイアナ・ロス「マホガニーのテーマ」「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
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