2018年11月29日
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2018年11月29日
ザ・ビートルズの全213曲の中で、邦題が最も印象的な曲のひとつとして挙げられるのは「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」だろう。シングルのカップリング曲となった「こいつ(This Boy)」もしかり、だが。
「抱きしめたい」は、レコード・デビューから約1年後の1963年11月29日に、イギリスでの5枚目のシングルとして発売された。それ以前の3枚のシングル――「プリーズ・プリーズ・ミー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」「シー・ラヴズ・ユー」もすべて1位を獲得し、ビートルズの人気はうなぎのぼりになっていた。
その流れを加速させたのは、10月13日にロンドン・パラディアムに出演したビートルズを一目見ようと会場を取り囲んだ熱狂的なファン――この騒動がきっかけで生まれた“ビートルマニア”の存在だった。さらに11月4日の王室主催のコンサート『ロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス』では、ジョンの有名な一言「安い席の方は拍手を、残りの方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」まで飛び出すなど、「4人のアイドル」は社会現象にもなっていた。
そうした状況の中で、3週間後の11月22日にセカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』が発売され、さらに11月29日に、アルバムのセッション時にレコーディングされた「抱きしめたい」が発売されたのだった。売り上げもさらに加速し、予約だけで100万枚を記録、発売前から1位を確約される大ヒットとなった。
初期のヒット曲は、ジョンとポールが文字通り共作することが多く、「抱きしめたい」も、ポールの恋人ジェーン・アッシャーの家の地下室で、ジョンによれば「ポールと睨み合わんばかりに鼻をくっつけ合って作った」曲だった。ただし、共作とはいえ、開放的なロック調の「シー・ラヴズ・ユー」に比べると、ゴスペル調の雰囲気を漂わせたこの曲はジョン寄りなのかもしれない。
「抱きしめたい」の大ヒットでイギリス中で広く人気を得たビートルズに対し、ようやく「商売になる」と判断したアメリカのキャピトルは、レコード発売権の独占契約を交わす。12月初めに『ニューヨーク・タイムズ』や『CBSイヴニング・ニュース』などがビートルズの特集記事と特集番組を組み、キャピトルも宣伝に5万ドルを費やした。宣伝効果による反響も大きかったため、キャピトルからの第1弾シングル「抱きしめたい」は、当初の64年1月13日から63年12月26日に発売が早められた。その結果、発売3日後に25万枚、1週間余りで100万枚を売り上げ、64年1月18日付で45位にランク・イン。翌週には一気に3位まで上昇し、3週目(2月1日付)に全米初の1位を獲得した。
以後、アメリカから世界へとビートルズの存在は60年代という時代とともに、だれも知らない人はいないほど広がっていくわけだが、日本でも、当初予定していた「プリーズ・プリーズ・ミー」を見送り、64年2月5日に「抱きしめたい」がデビュー・シングルとして発売された。「プリーズ・プリーズ・ミー」が先に出ていたという説もあるが、邦題を付けた当時東芝音工の担当ディレクターだった高嶋弘之氏によると、アメリカで発売されたのを知り、日本でも「抱きしめたい」を先に出すことにしたという。
ところで、ポールは21世紀以降のライヴで「ラヴ・ミー・ドゥ」と「プリーズ・プリーズ・ミー」をレパートリーに取り入れ、先ごろの“フレッシュン・アップ”ツアーでも「フロム・ミー・トゥ・ユー」をソロ以降初めて演奏したが、それらの曲以上に初期を象徴する大ヒット曲の「シー・ラヴズ・ユー」と「抱きしめたい」の2曲は、なぜか解散後に一度も披露していない。ここはひとつ、来年のツアーで演奏されるのを今から楽しみにしていようと思う。同じく解散後に一度もやっていない「アイ・フィール・ファイン」や「涙の乗車券」でもいいけれど。
ザ・ビートルズ「抱きしめたい」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
藤本国彦(ふじもと・くにひこ):『ビートルズ・ストーリー』編集長。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』『ビートルズは何を歌っているのか?』『ビートルズはここで生まれた』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめ ビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。
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