2015年05月09日

城卓矢の壮絶歌手人生

執筆者:コモエスタ八重樫

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城卓矢の「骨まで愛して」を横山剣さんに歌ってもらいました。


ミュージック・マガジン社の「レコード・コレクターズ」に連載している「ちょっと一服」は既に18年目に突入、去年そのリニューアルをはかり、和モノに限定して好評連載中(?)だが、年末に締め切りの分で取り扱ったのが菊池正夫。テイチク・レコードではヒット曲「スタコイ東京」の一発屋として有名だが、その後、東芝レコードに移籍、「スタコイ東京の」再録など同じ路線を計っていたが鳴かず飛ばず、城卓矢と改名し再デビュー、その時の作品が1966年1月に発売された「骨まで愛して」。この曲の大ヒットにより同年の紅白出場、さらに映画化と城卓矢は脚光を浴びる事となる。この曲の作曲が実兄の北原じゅんであり作詞が叔父の川内康範という事は歌謡曲.芸能通の方ならよく知られている事実(何故か当時のクレジットは二人共に仮名)そして、まあまあ知られている話として川内康範がこの曲をこの年にあった「全日空羽田沖墜落事故」で変わり果てた姿になった恋人の遺体と対面した人達の愛の深さに衝撃を受けた事から出来あがったという話。しかし、事故とレコードの発売日が前後している事から、影響を受けたのは川内康範が原作、脚本を手がけ同年7月に公開した映画の方だった思われる。とにもかくにも「骨まで愛して」という強烈なタイトルを持つこの曲は大ヒット。’66年ビートルズ公演を見て戦慄を受けた洋楽派の中学生の私でも口ずさんでいた覚えがある程である。そして今一般的に云う演歌(すなわち森進一や藤圭子らの演歌)の生まれるルーツ的ヒット曲として認識される1曲でもある(それまで演歌調の曲は民謡が浪曲の影響が大きかったし、そしてそれは全て歌謡曲の枠内にあった)。


そんな事もだいぶ記憶が薄れていた去年末、古くからの知り合いでドキュメンタリー映画の制作スタッフS氏から私のところに映画音楽として「横山剣さんの歌で『骨まで愛して』を作りたいんだけど、八重樫さんお願いできない?」との連絡があった。話を良く聞くと監督も是非とも剣さんに歌ってほしい、でも剣さんにどう連絡したら良いか判らないので(調べりゃ判るだろうに!)私なら仲が良さそうだし、すぐ連絡もつきそうだし、と調子の良いオファーだった。このスタッフとは以前もドキュメンタリー映画界では空前のヒットと云われた「ヨコハマ・メリー」の音楽を担当した事もあったし(この時は『伊勢佐木町ブルース』を新録、、これも川内康範!)剣さんで「骨まで愛して」は面白そう、、この話が来た一週間後にイベントで剣さんと一緒だし、その時に直接話せるし、、、、ってそのイベントも事もS氏知ってた可能性も、、まあいいやと引き受けた。その後、剣さん本人や事務所サイドからもOKをもらい年明けに入ってバックトラック作り。ベーシックは松石ゲル君がもろビートルズの「オー!ダーリン」風リズム・トラックを提案、これに今、新ユニットで一緒にデモ作りをしている福原まり(ピアノ)ちゃんに自由に作り変えてもらった。3月には剣さんの歌も収録、しっとり始まる段々盛り上がるトラックを作ったが、監督らがエンデイング・テーマとして「出だしはインパクトある仕上げに、、、、」「インパクトある出だしがあったら後はどうでもよい、、、」とそこまで云う!ので、全体にアコーステック・ギターでリズムを弾いて貰った高橋ピエールにむりやり、バリバリなファズ・ギターを挿入したテイクとビートルズ繋がりでサイケな逆回転ギターを入れた2ヴァージオンを制作、、このどちらかで完パケよろしく、、、となった。そしてこの映画は他にエディ播さんや野宮真貴さんらも参加しているとの事。青い目の僧侶の数奇な人生という映画も興味深いが、音楽の方もかなり期待できるのじゃないでしょうか。


話は城卓矢にもどり「骨まで愛して」と同じスタッフで「なぐりとばして別れよか」を発売するがヒットはせず.何故か再び路線を変えてダンス・グルーヴ歌謡の名曲「トンバで行こう」を発表。(’90年代のクラブシーンで橋幸夫の「恋のメキシカン・ロック」と共に和モノDJの定番として復活!)さらに「東京のミルクマン」なる牛乳配達の歌をアルプスをイメージしたヨーデル歌謡で発表するが、当時は残念な結果となった。そして’71年には引退、城卓矢は赤坂で小さなクラブを開業、実業家にその後一時カンバックした事もあったが、89年肝硬変他で53歳という若さでこの世を去っています、、、、合掌。

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