2018年12月03日
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2018年12月03日
イルカは、1974年10月25日にシングル「あの頃のぼくは」でデビュー。来年はソロ・デビュー45周年を迎えるベテラン女性シンガー・ソングライターだ。いつまでも少女の雰囲気を失わず活動を続けているが、今日は68回目の誕生日だそうで、改めて誕生日おめでとうございます。
「イルカ」というアーティスト名はよく考えるとインパクト大なアーティスト名だが、彼女が女子美術大のフォークソング同好会に入ったばかりの頃、サークル活動の帰り道、皆が持っているギターケースが揺れているのを見て「イルカの大群が泳いでいるみたいに見えない?」の一言を仲間に面白がられ、それがニックネームになったそうである。そんな親しみやすい愛称で活動を始めたイルカは、「シュリークス」の活動を経て、1974年にソロ・デビュー。デビュー曲「あの頃のぼくは」は、かぐや姫、風のメンバーとして有名な伊勢正三の作詞・作曲だ。イルカというアーティストは基本的に自作自演のアーティストだが、伊勢正三の楽曲とは非常に相性が良かったようで、のちにあの名曲を大ヒットさせることになる。
1975年11月5日にセカンド・アルバム『夢の人』と、シングル「なごり雪」を同時発売している。この曲は後にイルカ最大のヒット曲になるわけだが、もともとは前年に発売されたかぐや姫のアルバム『三階建の詩』に収録されていた1曲である。このアルバムには伊勢正三の代表曲である「22才の別れ」も収録されており、オリコンチャートの1位を記録した大ヒットアルバムだ。そんな大ヒットアルバムに収録されている1曲を歌う事に対して、当時イルカ自身が相当難色を示したとどこかで読んだことがあるが、シンガー・ソングライターである彼女がそう思うのは当然の事のように思う。まあ、そんな事実があったかどうかはさておき、意外に知られてないのはアルバム『夢の人』に収録されているバージョンは、石川鷹彦アレンジによるアコースティック・ギターをメインとしたアレンジであるという事だ。シンプルなアレンジでボーカルも淡々としており、どちらかと言うとかぐや姫が歌ったバージョンに近いかもしれない。もしこの曲がそのままシングルカットになっていたら、この曲はここまで大ヒットにはなっていなかっただろう。シングルバージョンの「なごり雪」だが、こちらは松任谷正隆によるアレンジだ。この時期の松任谷は、荒井由実の「あの日にかえりたい」を大ヒットさせており、アレンジャーとしても高く評価され始めていた。ピアノメインのアレンジは曲の終盤に向けてドラマチックに展開されていき、涙失くしては聴けない名曲となっている。結果、この曲は多くの人々に幅広く支持され50万枚以上の大ヒットとなり、これまでに数多くのシンガーにカヴァーされている。ヒット曲において、アレンジの持つ力がいかに重要かをこの曲を聴く時にいつも思い知らされる。
その後発売された「雨の物語」「海岸通」もイルカの代表曲として愛されているが、この2曲も伊勢正三のペンによる楽曲だ。これらのヒットをきっかけに、ニューミュージック界を代表するアーティストになったイルカはアルバム『植物誌』(1977年)、『いつか冷たい雨が』(1979年)を大ヒットさせ、オリコンチャートの1位を獲得している。
イルカは80年代に入ってからも精力的に活動を続け、現在も多くのライブ活動を展開している。80年代以降にも多くの作品を残しているのだがここでは語りつくせないので、また別の機会にじっくり語らせていただきたいと思う。
イルカ「あの頃のぼくは」「なごり雪」「雨の物語」「海岸通」かぐや姫『三階建の詩』ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
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