2017年01月04日
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2017年01月04日
1944年(昭和19年)の本日1月4日は、もう絶対破られないであろうと思われる日本のシングルレコード(CD含む)史上最も売れた一枚、「およげ! たいやきくん」の歌唱者、子門真人の誕生日である。
メガヒットの影を背負いつつ1993年に人知れず現役を退き、以後「伝説の歌手」と化している子門の一般的イメージは、ささきいさお、水木一郎、串田アキラと並ぶ「アニソン・特撮歌手四天王」の一人が最も大きいと思われる。生憎、筆者はその側面から彼の魅力を語りつくすスキルを持ち合わせていないのだが、ここは「たいやきくん」時代をリアルタイムで通り過ぎた者の一人として、当時の話を軸に語り始めたいと思う。
昭和51年前後というと、高校生〜大学生のお兄さんお姉さんがいた友達の家を当時小学生の筆者が訪れれば、必ずあったのが『かぐや姫さあど』と井上陽水『氷の世界』のLP、そしてちょっと背伸びしたモジュラーステレオだった。そして、申し分程度に「およげ! たいやきくん」のシングルも必ずと言っていいほどあった。無論、そこまで恵まれてなかったと思われる友達の家にさえ、「たいやきくん」とポータブルのプレイヤーは必ずあった。現在では考えられない事態だけど、まさに「一家に一枚アイテム」だったのである。当時、すでに陽水やカーペンターズやウイングスのシングルに手を伸ばしていた筆者は、今更たいやきくんのレコードなんてと冷めて構えていた癖して、一字一句歌詞を全部覚えていた。そこまで、時代を象徴した一曲だったのだ。
75年12月25日、「ひらけ! ポンキッキ」の挿入歌として大反響を呼んだ末、急遽シングルリリースされたこの曲は、年が明けて発表された最初のオリコンチャートで1位にランクインし、その後10週間に渡ってその座をキープした。最終的にシングル盤の売り上げはオリコン調べ453.6万枚に達し、その後数度の再発売でさらに上乗せしている。記憶に新しいところでは、99年「だんご3兄弟」がメガヒットした際、同曲との位置付けの類似性に加え、同時期に宇多田ヒカルのファーストアルバムが800万枚売れ、この曲の功績に再度スポットが当たったのも手伝い、5万枚を売るリバイバルヒットになっている。
そんな「およげ! たいやきくん」で一躍時の人となった子門の出世作は、1971年4月放映開始された、日本を代表する特撮ドラマ「仮面ライダー」のテーマ曲「レッツゴー!! ライダーキック」。同曲の大ヒットにより、以後「ガッチャマン」「ファイアーマン」「勇者ライディーン」など、次々とヒーローもののテーマ曲を手がけ、四天王の一角へと食い込んでいくのだが、それ以前には「藤浩一」名義で歌謡曲の歌手として活動しており、各社競作となった筒美京平の初作曲作品(諸事情により、すぎやまこういちに名義を借りている)「黄色いレモン」のポリドール盤に起用されたりしたが、シングル盤5枚を残している割にまとめて聴く機会に恵まれないのが残念である。また、すぎやま門下だった関係から作曲家としての活動も始め、ザ・ライオンズ「絵の中の恋人」、ザ・タックスマン「チュー・チュー・ラブ」などカルトGS末期の作品を「椿もとみ」名義で手がけている。GSの楽曲としては可もなく不可もない印象の地味な出来だが、決して埋葬してはならない貴重な曲である。ちなみに「絵の中の恋人」のB面「恋の十字路」は、作詞があの福田一郎先生という貴重な一品。そして、アルバイトとして臨んだという「ライダーキック」で大進撃が始まるのだ。
その時期の特撮・アニソンを改めて聴くと、胸熱にはなるものの、ささき・水木両氏に比べてどちらかというとクールな印象が伝わってくる。ポップ・カントリー風な「ひとり旅」(「アイアンキング」)や「夕陽のレッドマン」に於ける歌唱が最も本来の持ち味に近いと言えるのではないか。当時のアメリカンロック的手触りの「ロック・ロック・ゴジラ」や「ゴジラのお嫁さん」も捨て難い。これらは72年の「東宝チャンピオンまつり」にて66年作品「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」がリバイバル上映された際、イメージソングとして東宝レコードからリリースされたものだ。
「たいやきくん」後の仕事としては、87年に久々に手掛けたポンキッキソング「はたらくくるま2」(オリコン79位)が代表作であろう。昭和50年代以降に生まれた世代にとっては、むしろこちらの方がおなじみかもしれない。特徴的なルックスと歌唱で若いインディーズバンドにネタにされることも度々あった彼だが、敬虔なクリスチャンとしてそんな世界の喧騒に背を向け、沈黙を保ち続けるその姿勢は、この時代においてはかえってリスペクトすべきものなのではないか。
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。
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