2016年09月22日
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2016年09月22日
ザ・タイガースの人気ドラマー・瞳みのる、愛称の「ピー」としても親しまれているが、本名は「人見豊」で、同じく「ひとみ みのる」と読む。
「豊」を「みのる」とする例は多くは無いだろうが、瞳の著書『ロング・グッバイのあとで』でも触れられているように、「穀物などが実る秋」の9月に生まれたから「豊(みのる)」と名付けられたとのこと。
これは「実(みのる)」という表記以上に「豊年満作」を想起させるし、生まれた1946年と言えば、前年の8月15日に長くも実りの無い戦争の終わりを迎えた翌年であるから、その敗戦後に子作りをして誕生した新しい命たちには日本の再生または新生の大いなる希望が託されたはずで、この命名にもそうした願いが込められていたように感じられる。
やがてタイガースとなるメンバーでは、京都の同じ仁和小学校に通っていた瞳と森本太郎、さらに2人と同じ北野中学校で一緒になった岸部一徳の3人が同じ学年の幼なじみであり、さらに突き詰めればクラスメイトとして中学時代を熱く過ごしたという瞳と岸部こそがルーツ的にはグループの核となるようだ(そう考えると、1971年の解散直前に岸部が瞳から「一緒に京都へ帰ろう」と諭されたというエピソードも、その言葉を岸部が引用して作詞した「Long Good-by」が2008年にCD化され、それが瞳のタイガースへの帰還のキッカケとなったことも、脈々たる人生の大河ドラマを感じさせる)が、ともかく瞳が一番年長であり、初期の素人バンドを束ねて前へ上へ、京都から大阪へ、そして東京へと率いて行った強力なリーダーだった。
ちなみに、加橋かつみは一学年下、沢田研二は二学年下となるが、1967年2月5日発売のデビュー・シングル「僕のマリー」には「全員が18歳」と記載。加橋はその前日に19歳の誕生日を迎えていたので、実際に18歳だったのはジュリーだけだったが、当時のイメージとしての歳の順は、岸部、森本、瞳、加橋、沢田だったかな。
瞳と岸部の位置が実際とは入れ替わっているけれども、メジャー・デビュー時にリーダーとされた岸部の今に至る大人(たいじん)的な存在感と、今なお当時のヴィジュアルを一番キープしている瞳の溌剌さ(今や一番若いと言っても通りますよね)など、当時からキャラクターの違いがクッキリしていて、それは他のメンバーもまた同様なのだが、グループまるごとの輝きと併せてメンバー全員の個々の魅力を煌めかせ得たのも、タイガースならでは。
そうそう、本年中の解散が話題になっている某グループの顛末も「タイガース物語」に準ずるように思えてならない。今ネットなどでその情報を見掛けるにつけ、(真偽はともかく)初めて聞いた気がしない話ばかりであり、かように「タイガース物語」には今も昔も変わらない人間(関係)ドラマの全ての要素が端から凝縮されているようだ。
加橋の脱退による危機も乗り越えたとはいえ、ついに解散に至ることになった決定的要因も、瞳が芸能界で直面した「納得出来ない諸事情」が重なった末での固い決心だったことは前記書でも累々語られている。
そして1971年1月24日、武道館での最後のコンサートはDVDで見ることが出来るが、すでに瞳を除くメンバーは引き続き音楽業界での次のステップが決まっていたにもかかわらずファンともども感傷的過ぎるほどなのに、明らかに瞳だけは今を楽しんでいる。特にドラムスをジュリーに任せ、ステージ前方に出て「ヘンリー8世君」~「ジャスティン」の洋楽カヴァー・メドレーを歌い踊るパフォーマンスは白眉で、「僕の生涯でこれが最後の舞台です」とのMCもあるのに、湿っぽさは皆無。
その宣言通りにキッパリ芸能界から離れて24歳で高校生(!)に戻り、1日14時間の受験勉強を1年間続けて難関の慶應義塾大学に一発合格。やがては大学院にまで進み、慶應義塾高等学校の教師として33年勤め上げるという、タイガースでの華やかな経歴を知る者にとっては「離れ技」とまで言い得る人生を貫くと共に、単に芸能界だけでの付き合いというだけではなかったタイガースのメンバーとも距離を置き、年賀状のやり取りすら無かったと聞くが、解散から40年経った後、まさに時運を得て帰還。
まず2011~12年には加橋以外のメンバーがゲスト参加したジュリーのライヴでドラムスを演奏して「ジャスティン」も歌唱、次いでオリジナル・メンバー全員が集結したタイガースとしての2013年ツアーでは「ヘンリー8世君」を披露。
長い紆余曲折があっても今こうした結果になると、あまりによく出来た筋書きとしか思えないが、何だか1965年のバンド結成時から、いや、瞳が生まれた1946年から全部そう決まっていたかのようにさえ思える一大ドラマをファンにも現実に体感させてくれた。
その後は様々な意味で各メンバーの肩の荷が降りたのか、タイガースとしてのアクションは無いままだが、特に瞳みのるソロ活動としては、いよいよ本年10月には念願の北京でのライヴも開催決定!
一方、「タイガース物語」も完結した訳では無く、今までと同じように、いつかまたサプライズ・ドラマを見せてくれるに違いない。
例えば、最初期の4人組時代、幻の「サリーとプレイボーイズ」の復活ライヴなんかも京都で体験したいものだがの~。ぁ、サンダースのS君も飛び入りで♪
[追記]
当原稿を書き終わった後で、8月25日放送の当サイトのラジオ版『ラジカルNEOナイト/週刊大人のミュージックカレンダー』を聴きました。当日は瞳みのるさんがゲストなので杉岡編集長にお願いして、筆者が当コラムの7月22日付けで呈した「シー・シー・シー」の謎に関して少し質していただきましたが、(やはり)ご本人には細かい記憶は無かったようで残念。しかし、まさに当人しか知り得ない貴重なお話も披露されました。
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