2016年01月24日
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2016年01月24日
今日1月24日はザ・タイガースのオールド・ファンたちにとって忘れられない特別な日。今から45年前 1971年のこの日(今日と同じ日曜日だった…)は、ザ・タイガースが日本武道館で『ビューティフル・コンサート』と題された最後のコンサートを行なった日である。以後1月24日はザ・タイガース解散記念日として、ファンのみならずメンバーたちにとっても特別な日となり、その後もエポックとなるようなイベントがこの日に行なわれている。
解散コンサートのちょうど10年後となる1981年1月24日には、内田裕也がプロデュースした『サヨナラ日劇 最後のウエスタン・カーニバル』(1/22~1/25)において、瞳みのるを除くオリジナル・メンバー4人が集結。タイガースの再結成ライヴが実現した(千秋楽25日も出演)。2012年には、加橋かつみを除く4人による<ほぼタイガース>ツアーの千秋楽を同じ1月24日に日本武道館で迎えている。まさにタイガースにとって因縁深い日付と言えるだろう。
GSブームが終息した1969年秋頃から週刊誌等で盛んに書き立てられたタイガース解散説だが、ふり返ってみれば、その火種は加橋かつみがグループの方向性と所属事務所である渡辺プロダクションの待遇への不満を理由に脱退したい意向を関係者に明かした68年4月頃から燻り始めていた。タイガース人気絶頂期に加橋は脱退を仄めかしていたのである
何度となく脱退の意思を事務所に伝えるも、なかなか了承されないことに業を煮やした加橋は、69年3月5日に突然の失踪という強硬手段でタイガースを脱退してしまうが、これに最も衝撃を受けたメンバーが瞳みのるだった。京都時代から苦楽を共にしてきた仲間たちと世界の頂点に君臨できるバンドになることを真剣に考えていた彼にとって、オリジナル・メンバーの一人が欠けることは長年の夢が潰えてしまったも同然だったのである。
極度の虚無感に陥った瞳は、その後かつての加橋のように事務所に対し脱退の意向を申し出るが、もちろん渡辺プロダクションとしてはGS人気が下火とはいえ、まだまだ商品価値のあるタイガースを活動の危機に晒すわけにはいかず、この要求は拒否される。これに対し瞳は加橋の例を模して失踪・脱退を試みるも事前に発覚。岸部修三(現・一徳)と中井國二マネージャーに説得され一旦は引き下がるが、瞳の脱退の意思は固かった。
当時タイガースは主演映画『ハーイ!ロンドン』のロンドン・ロケ出発前で、ロケに同行する中井マネージャーに対し上司が下した厳命は、英国滞在中に瞳が失踪しないか、共演の久美かおりとタイガースのメンバーがスキャンダルを起こしたりしないかを監視することだったという(中井氏の証言)ことからも、久美とのスキャンダルはともかく、事務所側がいかに瞳の行動に神経質になっていたかわかるだろう。
69年9月8日、メンバー全員で瞳の脱退についてミーティングが行なわれ、翌9日には渡辺プロダクションの松下制作部長とメンバーたちで話し合い、とりあえず瞳の意向を了承するものの、当時渡辺プロダクションがイベント制作で参画していた大阪万博が終了する70年9月までタイガースの解散はお預けとなった。
その大阪万博の開催中である70年夏に解散は内定。具体的な日程についてのミーティングが何度か行なわれ、年内いっぱい活動を続けて翌71年早々に解散することが決定する。12月7日『日刊スポーツ』紙がこれをスクープしたことで、翌8日、渋谷公会堂で公演中のタイガースは楽屋で記者会見を開き解散を正式発表。9日には解散後の5人の進路についてミーティングが行なわれている。
12月15日にオリジナル・アルバム『自由と憧れと友情』をリリース。年明けの71年1月15日から1週間、現役時代最後の『日劇ウエスタン・カーニバル』 に出演した(この時、日劇の奈落で瞳と岸部修三の間で交わされたやりとりは、後に沢田研二が歌った「ロング・グッバイ」の題材となる)タイガースは、ついに解散の日1月24日を迎えるのである。
前年にスパイダース、テンプターズが解散。年が明けてからもオックス、ワイルド・ワンズ、ジャガーズなど人気GSたちが軒並み姿を消していった1971年。海外でも前年からジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスンなどロック・カリスマが相次いで旅立っていったこの年に、王者タイガースもその輝かしい歴史に一旦幕を下ろした。「ザ・タイガース解散記念日」それは熱狂と興奮に包まれたひとつの時代の終焉の日でもあったのだ。
1971.1.24 「ビューティフル・コンサート」SET LIST@日本武道館
[第一部]
1.Time Is On My Side
2.Suzy Q
3.I Put A Spell On You
4.Both Sides Now(青春の光と影)※岸部シロー(vo)
5.The Dock Of The Bay ※岸部修三(vo)
6.Yellow River※森本太郎(vo)
7.I’m Henry The Eighth I Am(ヘンリー8世君)※瞳みのる(vo)、沢田研二(ds)
8.Honky Tonk Women
9.Cotton Fields
10.Lalena ※岸部シロー(vo)、沢田研二(g)
11.Hey, Je T’aime
12.Gimme Shelter
13.The Letter
14.Long As Can I See The Light(光りある限り)
15.Anybody’s Answer
16.Heartbreaker
[第二部]
1.都会
2.白い街 ※岸部シロー(vo)、沢田研二(g)
3.どうにかなるさ※岸部修三(vo)
4.出発のほかに何がある※岸部シロー(vo)
5.友情
6.世界はまわる ※岸部修三(vo)
7.タイガース・ヒット・メドレー:シーサイド・バウンド ~モナリザの微笑~花の首飾り~青い鳥~銀河のロマンス
8.スマイル・フォー・ミー
9.Rain Falls On The Lonely(淋しい雨)
10.君だけに愛を
11.美しき愛の掟
12.素晴らしい旅行
13.怒りの鐘を鳴らせ
[アンコール]
1.誓いの明日
2. I Understand
3. ラヴ・ラヴ・ラヴ
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今から48年前の今日1967年12月13日は、破竹の勢いでGSの頂点に君臨したタイガースが、東京・大手町サンケイホールで初のチャリティー・ショーを開催した日。Text by中村俊夫
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今から49年前の今日1966年11月22日は、ザ・ファニーズ改めザ・タイガースの姿が初めてテレビに登場した記念すべき日。Texit by中村俊夫
ちょうど49年前の今日1966年10月24日、京都出身の5人組「ザ・ファニーズ」が渡辺プロダクションと契約。それは彼らがGSシーンの頂点に君臨する<栄光の旅>への片道切符を入手した日でもあった。...
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