2017年11月18日
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2017年11月18日
グループ・サウンズ(GS)の頂点に君臨し、その象徴的存在となったザ・タイガースが「僕のマリー」でデビューして今年で50周年。本日11月18日は、そのタイガースにおいて、ギター、オルガンとコーラスの他、作曲・編曲も手がけた森本太郎の71歳の誕生日である。
1946年、京都市上京区に生まれた森本は、京都市立北野中学校に通う14歳頃、2歳年上の姉の影響で、ニール・セダカやエルヴィス・プレスリーなどアメリカン・ポップスに興味を持ち、立命館高校に進学後はベンチャーズに憧れギターを弾くようになる。
高校時代に、北野中学の同窓生だった岸部修三(のちの岸部一徳)、人見豊(のちの瞳みのる)と再会し、そこに瞳が通う府立山城高校で知り合った高橋克己(のちの加橋かつみ)が加わり、4人でエレキ・バンドを結成。さらに、4人の遊び場だったダンスホールに出演していた沢田研二が合流したことで、栄光のタイガース・ストーリーが始まるのだが、その詳しい過程については、『大人のミュージックカレンダー』2015年10月24日のコラムを御一読いただきたい。
タイガース時代は「タロー」のニックネームと共に、その優しい紳士的な風貌で親しまれた。あまり自己主張が強そうなキャラではないが、ファニーズ時代からバンドの音楽面でリーダーシップを発揮しており 、ステージ・レパートリーのコピー、編曲は彼の仕事だった。
また、「モナリザの微笑」でのエレクトリック・ハーモニカ、67年末頃から導入したオルガンなど、ギター以外の楽器を器用にこなし、68年11月にリリースされたアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』 では、初めて作詞・作曲を手がけたオリジナル楽曲「青い鳥」を発表。以後、「散りゆく青春」「出発のほかに何がある」「友情」等の自作曲をタイガースに提供しているが、中でもセールス的に最大のヒットとなったのが 、82年のタイガース再結成時に発表した「色つきの女でいてくれよ」(作詞・阿久悠)だろう。
71年1月にタイガース解散後は、タローとアルファベッツ(71~73年)、森本太郎とスーパースター(73~75年/99年に再編し現在も活動中)と、自分のバンドを率いて活動していたが、その後は芸能プロダクション「芸映」に入社。音楽プロデューサーとして、西城秀樹、岩崎宏美、岸本加代子、篠ひろ子、河合奈保子、レイジー等を手がけ、82年に独立後もTRFのサムが在籍していたことで知られるリフラフを世に送り出している。
その間も作曲活動は続けており、自分のバンドはもちろんのこと、沢田研二、加橋かつみといったタイガースOB、吉沢京子、北大路欣也、トワ・エ・モワ等に楽曲提供しており 、中でも2008年にジュリーがNHKの番組『SONGS』で歌った「LONG GOOD-BY」 (作詞は沢田研二と岸部一徳)が、タイガース解散後疎遠になっていた瞳みのると37年ぶりの再会を果たすきっかけとなり 、2013年タイガース再結成に繋がっていったことは記憶に新しい。
そんな森本太郎がデビュー50周年を記念して、彼の主な作曲作品をCD2枚に収録したアンソロジー『青い鳥~森本太郎ソング・コレクション』をリリース。 記念すべき第一号作品「青い鳥」から、現時点での最新作である瞳みのるとの共作「一枚の写真」(2012年)、さらには「横浜市立能見台小学校校歌」 という“異色作”まで、全36曲が収められている。まさに作曲家・森本太郎の集大成とも言えるコンピレーションなので、機会があればぜひ御一聴をお奨めする。
◆◇◆デビュー50周年◆◇◆
青い鳥~森本太郎ソングコレクション
1967年、ザ・タイガースのギタリストとしてデビューして50年。森本太郎の作曲した楽曲を集めたCD発売!!
CD2枚組全36曲 RCRC-003/4 ¥5,000(税込)
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
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