2018年01月01日

56年前の本日、ビートルズがデッカ・レコードのオーディションを受けた。なぜ、元旦だったのか?

執筆者:藤本国彦

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よりによって、元旦にレコード会社のオーディションが行なわれることになるなんて、リヴァプールの「片田舎」からロンドンの「都会」に向かうメンバーも気が気ではなかったのではないだろうか。


1962年1月1日は、ビートルズがデッカのオーディション受けた日である。それにしても、なぜ元旦になったのか。こんな経緯である。


61年12月13日に、キャヴァーン・クラブの夜公演にデッカのマイク・スミスが訪れたのが、まずその第一歩だった。きっかけを作ったのは、「ディスカー」というペンネームで『リヴァプール・エコー』紙のレコード評や、デッカから発売されるレコードの解説文も手掛けていたトニー・バーロウである。その1ヵ月前の11月9日に、同じくキャヴァーン・クラブでビートルズのステージを観て一目惚れしたエプスタインがビートルズに契約を申し出たのは12月6日のことだったから、その1週間後にデッカ・オーディションのきっかけが生まれていたことになる。エプスタインは、『リヴァプール・エコー』紙のレコード欄でビートルズを取り上げてもらえないかと考え、トニーに連絡を取ってみると、デビュー前のバンドの記事は断られたものの、デッカの人間を紹介してもらうことになった。デッカ側も、エプスタインが経営しているNEMSにレコードを卸している関係もあり、無下に断ることもできず、A&R部門のまとめ役のディック・ロウは部下のマイク・スミスをリヴァプールに行かせることにしたのだった。


キャヴァーンのステージを観たスミスは、すぐに契約を結びたいとは思わなかったものの、ロンドンのスタジオでオーディションを行なう価値はあると判断したという。「力強い演奏と地元ファンの熱狂ぶりに、私はためらいもなくオーディションをしようとに申し出た」(スミス)。


こうして「舞台」は整い、ジョン、ポール、ジョージ、ピートの4人は、ローディーのニール・アスピノールが運転するヴァンでロンドンのウェスト・ハムステッドへと向かった(エプスタインは列車で移動)。だが、吹雪のための交通渋滞などで到着が遅れ、スタジオに着いたのは開始時間ぎりぎり(11時)だったという。


元デッカ・スタジオ 

デッカのA&R担当マイク・スミスの気を惹くのはオリジナル曲ではなく、想像力豊かに、時にエキセントリックにアレンジされたスタンダード曲だ――そう頑なに信じていたエプスタインは、幅広い音楽性を持ったバンドとしての魅力を伝える15曲を選んだ。中にはジョンとポールのオリジナル曲も含まれており、ジョンの「ハロー・リトル・ガール」とポールの「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」は、のちに『アンソロジー 1』に収められた(ポールの自作曲「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」は未収録)。「サーチン」や「セプテンバー・イン・ザ・レイン」などここでしか聴けない曲もあるが、ジョンもポールも声が上ずっていて、本調子とは程遠い仕上がりだ。むしろジョージの溌剌とした歌声が聴ける4曲(「スリー・クール・キャッツ」「クライング、ウェイティング、ホーピング」「アラビアの酋長」「さよならベイビー」)が白眉である。


演奏に立ち会ったマイク・スミスの感触は良かったものの、数週間経ってもデッカからは何の知らせもない。そしてエプスタインは1ヵ月後の2月6日にロンドンに向かい、デッカのディック・ロウとビーチャー・スティーヴンスから不合格の知らせを耳にする結果となった。ギター中心のバンドは流行らないし、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズのようにヴォーカリスト1人を中心としたバンドがこれからの主流になるだろうという判断からである。一緒にオーディションを受けたブライアン・プール&ザ・トレメローズが、デッカの本社があるロンドンのバンドだということもビートルズには不利に働いたという。


その場でエプスタインは「ビートルズはプレスリーを凌ぐ大物になると確信しています」と涙ながらに告げたという。また、その後に、契約したらビートルズのシングルはすべて3,000枚を買い取るという提案をデッカの販売部にしたという話も伝わっている。ただし、信頼に足るマーク・ルイソンの『ザ・ビートルズ史』によると、ビートルズはデッカに蹴られたのではなく、レコードを出してやるから金を払えというデッカの姿勢にエプスタインが頭にきて断ったそうだ。それが「事実」だとすると、レコード契約を焦っていたのに逆の行動に出たエプスタインの、「癇癪持ち」だと言われる性格を物語るエピソードのひとつと言えそうだ。


ビートルズが世界的な人気グループになると、ディック・ロウは「ビートルズを蹴落とした男」として「名を上げた」が、その後ディック・ロウはジョージの推薦で(ロンドンの)ローリング・ストーンズと契約したのだから、これはもう「ロックの神様」による運命のいたずらとしか言いようがない。


このオーディション時の音質の良いオープン・リールのテープを受け取ることができたエプスタインは、ロンドンのオックスフォード通りにあるHMVレコードに向かい、店長のボブ・ボーストの勧めでアセテート盤を制作。それが巡り巡ってEMI傘下のパーロフォン・レーベルのジョージ・マーティンの耳に入ることになる。


ちなみに2017年10月にイギリスに行った際、リヴァプールの「ビートルズ・ストーリー」という博物館に入ってみたところ、そのアセテート盤が展示されているのを見て驚いた。収録曲はデッカ・オーディションからの2曲――“Hello Little Girl”と“Till There Was You”。前者が“John Lennon & The Beatles”、後者は(展示では見られなかったが)”Paul McCartney & The Beatles”とレーベルに記載されているので、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズを意識したバンド名でエプスタインは次なるレコード会社に売り込もうとしていたことがわかる。



「ビートルズ・ストーリー」内展示 

写真提供:藤本国彦 


≪著者略歴≫

藤本国彦(ふじもと・くにひこ):ビートルズ・ストーリー編集長。91年に(株)音楽出版社に入社し、『CDジャーナル』編集部に所属(2011年に退社)。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。

ザ・ロスト・デッカ・テープス ザ・ビートルズ

アンソロジー 1 ザ・ビートルズ

ザ・ビートルズ史 上 単行本 – 2016/12/1 マーク・ルイソン (著),‎ 吉野 由樹 (翻訳),‎ 山川 真理 (翻訳),‎ 松田 ようこ (翻訳)

ザ・ビートルズ史 下 単行本 – 2016/12/1 マーク・ルイソン (著),‎ 吉野 由樹 (翻訳),‎ 山川 真理 (翻訳),‎ 松田 ようこ (翻訳)

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