2015年08月13日
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2015年08月13日
オリジナル・セカンドアルバムとなる(通算3枚目)『人間なんて』は1971年11月20日、エレックレコードより発売。オリコン・チャート最高位25位。よしだたくろうがいよいよ世間に知れ渡ってきた。
『青春の詩』、『たくろう オン・ステージ』とよしだたくろうさんのアルバムを勝手に全曲解説してきましたが(すみませんねぇ)、今回はいよいよオリジナル・セカンドアルバムとなる『人間なんて』に入ります。
「イメージの詩」を聞いた中学生の時以来、たくろうさんは青春の指針となっていましたから、いつも一対一の関係でたくろうさんを勝手に理解し、たくろうさんを勝手に咀嚼し、たくろうさんのイメージを勝手に自分の中に取り入れて、「よしだたくろう=みうらじゅん」になろうとしてきたわけです。
このアルバム『人間なんて』は僕の中のよしだたくろうベストアルバムの一枚に位置づけられます。A面もB面も擦り切れるほど聴いたもんです。
アナログ・レコードの場合、あの盤面に刻み込んだ音は永久に「とばない」と聞きますが、どうなんでしょう。CDは時間が経つと音が消えちゃうっていうじゃないですか? 僕は未だにアナログのレコードがあれば、そちらを買うほうなので、今でも新宿のディスク・ユニオンに行ってはジャケ買い(注1)をしたり、BOXセットの大人買いもするけど、今の若者たちにはCDとかレコードとかのパッケージ・メディアを買う習慣がないでしょ?
この『人間なんて』も、ジャケ込みの魅力もあって、決して音源だけでは熱く語れませんし、青春ノイローゼにはなれなかったでしょう。
1971年の第3回中津川フォークジャンボリーのサブ・ステージで「人間なんて」をマイクなしで延々歌い続けたっていう伝説から3か月後にリリースされているのがこのアルバム。勢いに乗っている中でのアルバム登場でした。
ジャケットのインナー写真見ると、当時の雑誌で取材したものの引用かもしれないけど、当時住んでおられたマンションの自室でエレキギターを弾きながらデモ・テープを録っておられるんでしょうか? 背後にはオープンリールの大きな録音機材も写っていました。そんなプライベート写真が見られるのはファンにとっては垂涎! 同じようなザックリ編みのトックリセーターを着て僕もたくろうさんに近づこうとしてました(笑)。
アルバム『人間なんて』のジャケットは逆版(注2)の写真を使っている!
『人間なんて』のジャケットに使われているたくろうさんの写真はその当時住んでおられた高円寺のマンションの外階段で撮ったもの。これは後に分かったのですが、何と逆版だったんです。
なぜか分かったかというと、後年、雑誌の取材でこのマンションを訪ねる企画を立ててあの階段に僕が、同じポーズで写真を撮ってもらったことで判明しました。僕の撮った写真と比べると手すりの位置が逆だったんです。この時代はレコードの左肩に帯が入るのでその空間を作るためにあえて逆版をデザイナーが使ったのか、いや、単なるミスなのか?・・・。
ここで思ったのはボブ・ディランのファースト・アルバム『ボブ・ディラン』のジャケ写も逆版の写真を使っていたことです。こっちのほうはよーく見るとギターの弦の張り方が逆さだったり、コートの襟が逆なのでわかるのですが、『人間なんて』はそのような物理的に逆とわかる要素がないので、実際にあの現場に立ってみなければ分かりません。ディランに倣ったってことはあるのでしょうか。その答えも風に舞っています。
今回このコラムにつける画像は拓郎さんと同じポーズで撮った僕の写真を『人間なんて』と同じ「逆版」で載せています。
この拓郎さんの住んでいたマンションの近くに僕も20代の頃、住んでいました。アルバム『元気です』の中に「高円寺」という曲も書いていらっしゃったので、てっきりJR寄りだと思っていたのですが、実際の最寄りの駅は「東高円寺」。丸の内線なんですね。後に「猫」にプレゼントした「地下鉄に乗って」という曲では丸の内線をオマージュしてられるでしょ。うれしかったですね、そんな聖地近くに住んでたことが分かってね(笑)。
(この項つづく)
*注1…ジャケットを見て、その情報だけで音源を想像し、「これだ!」と購入すること。
*注2…写真や図版を間違えて表裏逆に使うこと。当時の写真はポジ・フィルムが多かったので編集者はこの失敗を1度は必ずやらかす。
写真提供 芽瑠璃堂
http://www.clinck.co.jp/merurido
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