2015年07月23日
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2015年07月23日
『よしだたくろう・オン・ステージ!! ともだち』1971年6月10日エレックレコードより発売。しだいに名前の出てきたよしだたくろうのセカンド・アルバム。オリコン最高40位。
僕が中学2年の夏にいわゆる『オン・ステージ』が出ました。
少し経って拓郎さんの深夜放送(TBSパック・イン・ミュージック 1971年10月より)が始まった。あの絶妙な早口で、かつ丁寧口調な「拓郎さんオチジナルな‘シャベリ’の話法」・・・拓郎さん自身が作り上げた「よしだたくろうのしゃべり」をディスク・ジョッキーとして意識しておられたのではと思います。自己プロデュースって言うのかな。だから、このアルバムは2枚目にして、曲プラスしゃべりの魅力を聞かせるアルバムでもあるわけです。はい。
このあたり、ブレイク寸前だったんですね。みんなあのアルバムで拓郎さんの「しゃべり」を聴きたかった。そしてマネしたかった。いつでも拓郎さんのパーソナリティをあのアルバムで聴いていたかったんでしょう。「○○であります」あの言い回し流行りましたね。「え~、わたくし、みうらじゅんであります」みたいな。あんなにMC(しゃべり)をカットしないで編集したアルバムも珍しいし、影響力はハンパなかった。
1曲目「おろかなるひとり言」
このアルバムの中の曲の歌詞は、「イメージ」というものを大切に作られていると思うんです。グッとくるコピーの連発。他のフォークシンガーは自らの体験をメインに歌詞にしたけど、拓郎さんは違う。世間の扱いも違うし、拓郎さん自身も自分をフォークシンガーとは思っていなかったのではないでしょうか。歌以外でファッションとかトークもパーソナリティを強烈にアピールしていた・・・それがイメージの“よしだたくろう”さんなんだよね。
2曲目「マークⅡ」
シングルとコードも少し変えて印象が全く違う。ライブ(当時はコンサートって言ってた)でアレンジ変えて演奏するのも、拓郎さん以前はなかった。その辺もボブ・ディランと似てますね。詞の内容も、フレーズの繰り返しも、やっと来るサビもすべてが人間吉田拓郎を表現している。他のフォークシンガーと違って、曲がいいからレコードを買おう・・・じゃなく全てが好きになっちゃう世界観。だから拓郎さんの作った世界である曲を聴きたい。こういう順番なのであります。はい。だから後に出たフォークのコンピレーション・アルバムを聴くと、拓郎さんのだけ浮いてる気がしますね。
声が素晴らしい。ディランもそうだったけど、やっぱ声がいいんだよね。曲の良さ当然なんだけど、まずは声に惚れました。
3曲目「もう寝ます」
どっかんどっかん受けている。お笑いの人以上。この当時で曲ではなくてMCで笑いも拍手も来ているのは新しかった。
4曲目「老人の詩」
「青春の詩」のセルフカバー。「青春の詩」を歌ったあの素晴らしい声で完璧に笑かしてる。「青春の詩」って照れくささがあるけど、拓郎さんは大上段に構えて青春を語るのは苦手なんじゃないでしょうか。だからセルフカバーで「老人の詩」を作って、こういうのもあるよってあえて発表する。決めつけない、リアルな感じで。
5曲目「私は狂っている」
詞の中に「岡林をどう思う」ってフレーズがあるけど、やっぱり意識はされていたのかな。これも世間的な自分のイメージ。それを盛り込む構造が新しかった。
6曲目「何もないのです」
結論何もないとか、ただ過ぎていくだけとか、そういう日常の些細なテーマをちょっとけだるく歌う。深い内容の曲ではない分、なぜか印象に残っています。
この「何もないのです」が終わると「ここで一部終わります」という拓郎さんの言葉が入って進行もやっておられる。これもとても新しいことなのです。はい。
7曲目「やせっぽちのブルース」
第二部の最初の曲で始まり(?)のサイレンの音に重なって小さい声で拓郎さんが「まだまだまだ」とミニバンドのメンバーに言っている。そこのところも妙にリアルだった。
曲ですが、これ、アルバム『青春の詩』でも触れたけど「おまえさん」という言い回し、本当に絶妙。言葉の使い方は、もう都都逸の域ですもん。洋風じゃなく、都都逸ブルース。
どうなんですか、今の若い人はハーモニカホルダーってカッコ悪いと思うんでしょうか? 当時は本当、新鮮でしたね。
8曲目「されど私の人生」
斉藤哲夫さんのカバー曲ですね。“もうー、どーでもいいのさー”ですね。カッコイイ。のちに『ぷらいべえと』というカバーアルバムが出ましたが、この頃は友部正人さんの「一本道」をラジオでかけたり、自分も含めてディランズ・チルドレンの紹介の意味もあったのかもしれませんね。
9曲目「わっちゃいせい(WHAT I SAY)
ライブアルバムではの遊びを入れてみました的なもの。このセンスも新しかったですね。
でも、拓郎さんのあの当時のヘアスタイルはどうしてなんだろうね。女の子の髪型ですよね。センター分けの。僕も未だにやっている女子の髪型なんですけど。拓郎さんといえば髪の毛でしょ。「結婚しようよ」の、僕の髪が肩まで伸びて同じになるわけないじゃん、君もカットしなければって思ってました(笑)。
10曲目「夏休み」
夏休みって、やっぱ小学生の頃ですかね(当時拓郎さんは25歳)。絵日記とか出てくるけど、そういうノスタルジーって普通はもっと昔のことを題材にする。でもこれは近過去のちょっと郊外の風景です。そこに姉さん先生が出てくる。そんな思い出ないけど、あったような気にさせてくれます。夕焼け小焼けの赤とんぼだと赤ん坊の時だけど、こっちは去年の赤とんぼ。田舎でも都会でも当てはまるようなノスタルジーの近過去の歌。イメージの中の夏休み。
11曲目「面影橋から」
六文銭の曲のカバー。及川恒平さんが歌っておられました。あまーい、いい声で。ここでは拓郎節にして歌っている。
12曲目「イメージの詩」
「イメージの詩」はもうこのころは定番化していて、フレーズごとに拍手が来る。「古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう」がやはり拍手が大きい。グッときますね、今でも。
13曲目「ともだち」
この曲を聴いた時から僕もね、ともだちに「ばかやろう」って言われたくて口論していましたよ(笑)。今でもお酒を飲むと出てくるけど、一人っ子だったし、喧嘩して友達に教えてもらったような気がしてみたかった。喧嘩した後、土手みたいなところで手を握り合うみたいな(笑)。その行為って体育系のものなんだけど、無理やり文科系に持ってくると、それが飲み屋なんですよ。三軒くらい行って同じこと言ってもしかたないから論点見つけて、揉めて帰るとそんな気がした。
僕が京都から上京して来て、三か月位たって友達が京都から遊びに来たんですよ。最初は嬉しいけど、こっちは浪人だから、イライラしてくる。どこどこ連れてってくれとか言われて。呑んでるとお前喜んでないじゃんみたいになって、大ゲンカになった。東京で変わろうとしている自分と、変わらないのがいいと思っている友達。変わらないことが友情なんですね。関西弁使わないと魂売ってるとか。でも変わらないと東京出てきた意味ないしね。
この曲も行く人と行かない人とが出てくる。全部、僕のテーマソングなんです(笑)。全部僕のために拓郎さんが書いてくれたんですよ、きっと。
よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち ©エレックレコード
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