2017年08月18日
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2017年08月18日
本日8月18日は、いとうまい子53回目の誕生日。というより、アイドルとして活躍した時期の栄光にこだわるならば、「伊藤麻衣子」の生誕記念日である。
80年代に歌手デビューしたアイドルで最も多い苗字は、何を隠そう「伊藤」である。中でも1981年から83年にかけてデビューした4人は、キャラが被っていたり、内3人の下の名前が平仮名3文字だったりして、記憶が混同されがちな傾向がある。デビューから「若さ」というより「幼さ」を売り物にし、21時放映開始の「ザ・ベストテン」の生放送に出られなかったことで「労働基準法」という語を一躍ポピュラーなものとした伊藤つかさは別としても、ヤンキー系ドラマに出演したことがきっかけで全国区女優の仲間入りをした伊藤かずえと伊藤麻衣子、音楽活動に於いてはロック色を前面に出していた伊藤さやか(後に伊藤サヤカ)の3人の記憶を語ると、どうしてもごっちゃになるって方は少なくなさそう。
そんな中の一人で今回の主役・伊藤麻衣子のアイドルデビューのきっかけは、82年に「ミスマガジンコンテスト」で初代グランプリを受賞したことだ。後に斉藤由貴、南野陽子を世に送り、2011年まで開催が続いた、由緒あるアイドル工場の魁である。83年2月25日「微熱かナ」でレコードデビュー。そのキャッチコピーは、「1億人のクラスメイト」。数ある80年代アイドルのキャッチコピーの中でも、与えるインパクトの大きさはピカ一である。
1983年の音楽界といえば、米国のMTVから火がついたミュージック・ビデオ革命がヒット作りを本格的に左右し始めた頃で、その波がいよいよ日本にも押し寄せようとしていた。特にヴィジュアル面の重要視が必然とされているアイドル業界が、その波に乗らないわけがない。麻衣子のデビューに先がけた1月21日、CBSソニーは設立15周年記念アイドル第一弾として、横田早苗を世に送り出した。デビューシングル「不安タジー・ナイト」と同時に、写真集「みつめて」、そしてシングルと同タイトルの短編ビデオソフトまでリリースするという、正にマルチメディア商法の走りであった。
横田早苗の人気は盛り上がらなかったが、ビデオリリースという商法は、続いて同じソニーからデビューした伊藤麻衣子にも適用されることになる。デビューシングルの両面2曲のビデオクリップをフィーチャーした「1億人のクラスメイト」がシングルに続いてリリースされ、当時の販売価格は3900円。当時の一般的アイドルファンにとっては、ちょっとがんばれば買えるという設定だった。たとえ10分足らずだろうが、テレビでは見ることができないアイドルの仕草が堪能できるという点で、夢のようなアイテムに成り得たのである。
当時、相当のアイドルフリークだった高校の友人が、自宅にビデオデッキがなかったにも関わらず、握手会でそれを購入し、筆者宅のテレビで共にそれを観た記憶がある。ベータマックス開発者としての意地を持ちながら、ソニーとしては「出しとくか」というスタンスでとりあえず出していたVHSソフトの方を彼が買ったのは救いであった。
ダイナミックなプッシュぶりにも関わらず、「微熱かナ」はオリコン最高75位と大成功は逃してしまった(しかしチャートイン週数は13週で、これはおニャン子クラブ関係のシングルの殆どを凌ぐ持続力)が、84年に大映ドラマ「不良少女とよばれて」のヒロインに起用されたことが大転機となる。あのおっとりしていた少女がいきなり鬼気迫る演技で開眼したのだ。同番組のテーマ曲ではなく、イメージソング的なものとして制作された同タイトルの曲は、85年の4thアルバム『ちいさなドラマ』で発表されたのち、より過激なセリフをフィーチャーしてリミックスされ、12インチシングルとしてリリースされた。
歌手としての最大のヒット曲は、その85年に好対照なキャラを演じたドラマ「婦警候補生物語」の主題歌として使用された8枚目のシングル「見えない翼」で、オリコン最高14位を記録。ドラマ自体はあまり記憶に残るものにならなかっただけに、曲の良さがポイントになったのは確実だろう。その後も、長渕剛作曲による「わたしの胸に」など、佳曲シングルのリリースが続いたが、88年以降は女優としての活動に専念している。
もう一つ忘れられないのが、インターネット黎明期に注目された、彼女のコンピューター好きな一面だ。決してマジョリティでなかった人達がのそのそとモデム接続低速PCでネットに繋いでいた95年に、早々と自身のWEBサイトを立ち上げており、エンジェルを見つけるだけでとてつもない安堵感を得た初期のネットギーク達の間では、まさしく女神に等しい存在だった。今こうして電脳空間を舞台にアイドルストーリーを綴ることに生きる喜びを感じている筆者にとって、いとうまい子さんとは足を向けて眠ることなど決してできない偉人なのだ。これを読んで下さっている貴方も、きっとそう思うはず。
「微熱かナ」「見えない翼」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月24日、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』(3タイトル)が発売された。
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