2016年09月27日
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2016年09月27日
「時の過ぎゆくままに」はジュリーのソロ曲としては「危険なふたり」「追憶」に次いでオリコン1位となったが、前2作の作家コンビ、作詞・安井かずみ、作曲・加瀬邦彦とは異なって、初めて阿久悠がジュリーに詞を書き、作曲はザ・スパイダース~PYG~井上堯之バンドの大野克夫というコンビによる作品。
5週連続トップで、これぞジュリー最大の売り上げとなった曲であり(オリコンによれば91.6万枚)、1977年にレコード大賞と歌謡大賞をW受賞した「勝手にしやがれ」(89.3万枚)をも超えているのに、こちらは歌謡大賞の放送音楽賞5曲に入ったくらいで大きな賞は得なかったが、むしろそうした陰で咲く花のような、低温火傷のような、光を反射して浮かび上がる月のような有りようであることが似つかわしかった曲と思われる。
レコード発売は1975年8月21日だが、まず同年6月6日にジュリーが主演したTVドラマ『悪魔のようなあいつ』の劇中で歌われる曲として世に現われた。
このドラマは、その演出も担当した久世光彦(当時、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などでおなじみ)がジュリー主演作品を熱望して阿久悠に原作を依頼、そして『同棲時代』などで知られる上村一夫が描いた劇画が同年3月から女性週刊誌『ヤングレディ』に連載されていたのを追い掛ける形でのTVドラマ化で、メディアミックスの先駆とも言える。
この年の12月10日に時効を迎えることで話題が再燃していた例の三億円事件の犯人をジュリーが演じる異色作だが、毎回「時効まであと○日」とか煽るような字幕が出る同時進行のドキュメンタリー風にもかかわらず、実際のところ三億円事件は単なる背景で、それよりは難病を密かに抱えた場末の歌手役のジュリー(当時26~27歳)の退廃的かつ官能的なたたずまい、そしてジーンズなどカジュアルな服装に洒落たパナマ帽と剥き出しのサスペンダーといったレトロ・ニューみたいなコンセプトのビジュアルが大いに印象に残ったものだ。
後述のように、おそらく帽子はハンフリー・ボガートから、そしてサスペンダーと言えば、このドラマが終了した約1か月後に日本公開されたイタリア映画『愛の嵐』で女優シャーロット・ランプリングが裸の上半身にナチスの軍帽と男性用サスペンダーをまとった倒錯的な姿が衝撃的だったので私の中では結び付いているのだが、同映画が製作されたのは2年前であったから、実際にも本国のポスターなどから閃いたものだった可能性も…。
また、藤竜也や若山富三郎、荒木一郎ら、アウトロー映画ワールドが似合う役者たちや、この前年のショーケン主演映画『青春の蹉跌』でスクエアな古典的原作を解体してシラケの1970年代風にヴィヴィッドに仕立て直した長谷川和彦が同じく脚本を担当したせいもあってか、多分に映画的な感触があった(1979年、長谷川はジュリー主演で『悪魔のようなあいつ』を発展させたが如き傑作映画『太陽を盗んだ男』を監督することになる)。
当初、久世光彦は『魔少年』とのタイトルを考えていたようだが、それが『悪魔のようなあいつ』になったのは阿久悠の発案だろうか。1967年のアラン・ドロン主演映画『悪魔のようなあなた』も思い浮かぶが、1971年発売の堺正章のシングル「悪魔のようなおまえ」の作詞も阿久悠だったし…。
そして、これをキッカケにジュリーに詞を書くことになった阿久悠は、外国映画のタイトルを確信犯的に引用、後の「勝手にしやがれ」「サムライ」「ダーリング」などはモロそのままだし、もちろん「カサブランカ・ダンディ」の由来は『カサブランカ』で、往年の名優ハンフリー・ボガートの愛称「ボギー」も歌詞に登場するが、『カサブランカ』と言えば、映画の主題歌として認知されている昔の曲「As Time Goes By」が有名。で、その曲に日本で付けられたタイトルは「時の経つまま」とか、中には「時の過ぎゆくままに」も!
これは先に出来ていた詞に、大野克夫、加瀬邦彦、井上堯之、井上忠夫、都倉俊一、荒木一郎が曲を書いた上で、大野作品が選ばれたという。他の曲がどのようなものだったのか大いに興味はあるにしても、この詞にはこの曲しかないと断言し得る出来ばえ。
さらには、イントロから伴う井上堯之のギターが不可分の存在であり、そのフレーズ自体もさることながら、奏でられる音が醸し出すニュアンスこそが、この作品の気だるい魅力を最終的に決定しているように思えてならない。同曲は今もジュリーによって同様のアレンジで歌われ続けているにしても、井上のギターじゃないと別物という気さえする
それを認識させられたのは、もう2人が共演することが無くなって久しい2004年2月26日に開催された井上堯之バンド名義(かつてのバンドメンバー速水清司のほかは、ミッキー吉野、樋口晶之、渡辺建、鈴木明男が参加)の限定ライヴに行った際のこと。ゲストとしてではなく一観客で来ていたジュリーは舞台に呼ばれてもかなり渋る素振りだったのだが、もうバンドが演奏を始めてしまって歌わ(さ)れた同曲では、突然あの「時の過ぎゆくままに」本来の世界が現出して驚いた。別のギタリストが同じフレーズを弾いても決して同じにはならないと痛感させられた次第。
さて、この時期の女性ファンにとってのジュリーの一大事件といえば、やっぱり初めての結婚かな。一方、ザ・タイガース~PYG~井上堯之バンドと続いたベーシストとして「時の過ぎゆくままに」のレコードでも演奏していた岸部一徳がバンドから離れて、まさにこの『悪魔のようなあいつ』で役者デビュー、現在に至るキャリアをスタートしたのも興味深い符合で、いよいよタイガース最後のタッグだった2人がそれを解消することになった訳であり、今なお続いている大河ドラマ『タイガース物語』としては、バンド結成までの序章、メジャー・デビューまでの第1章、タイガースとして日本中を席捲した第2章、ジュリーがソロとして第一線へ帰還した第3章に次いで、さらにドラマが拡がって深まる第4章が始まった分水嶺だったと思う。
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