2018年05月25日
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2018年05月25日
齢65にして、いまも精力的にライブ活動をこなす山下達郎。今年も6月から11月まで、全国24都市を49公演で巡るコンサート・ツアー『PERFOMANCE 2018』を行う。
いまから40年前の今日、1978年5月25日にその山下達郎の1作目のライブ・アルバム『IT'S A POPPIN' TIME』が発売された(ちなみに41年前の1977年5月25日にはセカンド・アルバム『SPACY』がリリースされている)。山下達郎の驚異的なライブの模様が最初に音盤に刻まれたのが同作。今は亡き、東京・六本木のライブハウス「六本木ピットイン」での1977年3月8日と9日のライブの模様を収録した2枚組ライブ・アルバムだ。
「六本木ピットイン」は、「新宿ピットイン」の姉妹店として、1977年8月、六本木駅から外苑東通りを飯倉方面に歩いた左手にオープンしている。新宿が“ジャズの殿堂”なら、六本木は“フュージョンの殿堂”と言っていいだろう。折からのクロスオーバー、フュージョン・ブームの中、歴史的な名演、競演が繰り広げられた。リー・リトナーやラリー・カールトン、ラリー・コリエル、渡辺香津美、清水靖晃、松岡直也、YMO、坂本龍一、細野晴臣、大村憲司、高中正義、上田正樹、山岸潤史、桑名正博、金子マリ、柳ジョージ、山下達郎、スクェア、カシオペア、プリズム…など、綺羅星の如く出演。 “カクトウギ・セッション”や“KYLYN LIVE”、“ギターワークショップVol.2 LIVE”なども同所で行われている。クロスオーバー、フュージョンのメッカだけにフュージョンだけでなく、ロック、ブルースなど、様々なアーティストがジャンルの垣根を超え、音楽的な交流している。そこから新たな音楽も生まれた。大村憲司や村上“PONTA”秀一なども“十番勝負”的なシリーズ・イベントを開催。スタジオ・ミュージシャンがスターになる契機ともなった。
私も同所へ度々、足を運び、KYLYNや松岡直也&ウィシング、PONTA WEEKなど、歴史的な名演を目の当たりにしている。山下のライブ・レコーディングは観れなかったが、様々なアーティストのセッションに参加していた山下を見ている。六本木ピットインそのものは、六本木というお洒落な街にありながらも変にすかしたところがなく、「音楽を聴かせる」ことをメインにして、入場料なども実にリーズナブルであった。同店は残念ながら2004年7月、土地開発によるビルの解体のため、27年の長い歴史に幕を閉じている。
その歴史に残る名演の記録が山下達郎の2枚組ライブ・アルバム『IT'S A POPPIN' TIME』だろう。実は六本木ピットインが入るビルの階上にはCBSソニー六本木スタジオ(通称「六ソ」)があった。ピットインとスタジオは回線が繋がっていて、ライブ・レコーディングが容易な環境でもあったのだ。そんな理由で、ライブ録音が行われたが、それはある意味、窮余の策でもあったという。2002年に同作が未発表曲2曲を収録、デジタル・リマスターして再発された際に山下達郎のセルフライナーノートが掲載されたが、“コストパフォーマンスとクオリティー”の問題もあったようだ。ソロ・デビューしたものの、パーマネントなメンバーでのライブが難しく、演奏技術の高い、スタジオなどで活躍しているミュージシャンを起用するとギャランティーの問題も出てくる。ただ、ライブハウスであれば、腕っこきのミュージシャンでもギャラを抑えつつ演奏をしてもらえたという。勿論、それまでに培った音楽的な信頼関係のたまものでもある。
ライブ・レコーディングに参加したメンバーは村上“PONTA”秀一(Dr)、岡沢章(B)、松木恒秀(G)、坂本龍一(Kb)、土岐英史(Sax)、伊集加代子(Cho)、吉田美奈子(Cho)、尾形道子(Cho)という、当時も今も“一線”(松木は残念ながら 2017年6月18日に逝去。合掌)で活躍するミュージシャンばかり。六本木ピットインらしく、ヴォーカルだけでなく、各ミュージシャンのインプロビゼーションもフィーチャーされている。元々、山下はきちんと譜面を書いてメンバーに渡していたが、その通りには演奏されなかったという。ただ、いい意味で独自の解釈がイマジネーションあふれる演奏を引き出すことになった。
2002年のリイシューの際に収録されたラスカルズの「YOU BETTER RUN」のカヴァーの20分にも及ぶ演奏は、ソロの掛け合いなど、あの時代、あの場所、あのメンバーでなければ聴けないものだろう。
また、コストパフォーマンスに関してはスタジオ録音で新作を制作するには予算がかかりすぎるため、制作サイドの意向で、ライブ録音という方法がとられたともいう。そのため、「SPACE CRUSH」(同曲のみスタジオ録音)や「雨の女王」、「シルエット」などの新曲、ブレッド・アンド・バターの「ピンク・シャドウ」やルビー&ザ・ロマンティックスの「HEY THERE LONELY GIRL」などのカヴァーも収録されている。どの曲も聴き応え充分。名唱、名演である。六本木ピットインが生んだ名盤と言っていいだろう。その後、山下は青山純(Dr)、伊藤広規(B)という鉄壁のリズム・セクションと運命的に出会い、彼らを擁してライブ活動を行うが、1981年3月11日、六本木ピットインに出演している。同ライブの演奏時間は4時間45分という記録的なもので、観客2名が酸欠のため、倒れるというハプニングも起きている。その模様は1989年11月1日にリリースした2作目の2枚組(CD2枚組。LP3枚組)ライブ・アルバム『JOY –TATSURO YAMASHITA LIVE–』に収録されている。
実は六本木ピットインでは“シュガー・ベイブ再結成ライブ”も行われているのだ。シュガー・ベイブの初代マネージャーだった長門芳郎が店長を務めていた青山・骨董通りにあるレコード店「パイドパイパーハウス」の閉店を記念して、89年7月18日に同所で開催されたフェアウェル・パーティで、“幻の再結成”が実現。同会場に来ていた山下達郎、大貫妙子、村松邦男、野口明彦という元シュガー・ベイブのメンバーに矢野顕子、佐橋佳幸が加わり、「DOWN TOWN」が演奏された。当初は予定がなく、一度、パーティはお開きになったが、長門のこれだけのメンバーがいるからという呼びかけにより、急遽、始まったものだ。当日の模様は長門の著書『パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録 1972-1989』(リットーミュージック)にも詳述されているが、幸い、私もその場に立ち会うことができた。シュガー・ベイブでは大貫がキーボードを担当していたが、いきなりのため、演奏を躊躇うと(あくまでも私の見た感じ)、すかさず、矢野は私が弾くと手を挙げ、ステージに駆け上がる。矢野の男前な対応に感心したことを覚えている。ちなみに山下と佐橋は、この時が初共演らしく、佐橋は5年後、94年4月26日、27日、5月1日、2日に東京・中野サンプラザで行われた山下のソロ・デビュー以前のレパートリーのみで構成されるコンサート『山下達郎 sings SUGAR BABE』に参加することになる。以降、佐橋は山下のライブには欠かせないメンバーとなった。
山下のライブはスタジアムやアリーナを使用しないため、全国のどの会場でも速攻でソールドアウト状態、コンサート・チケットの入手は困難を極める。ここ数年、山下は山下達郎・伊藤広規・難波弘之という3人編成で、アコースティック・ライブを新宿ロフトや目黒ブルースアレイジャパン、京都・拾得、広島クラブクアトロなど、ライブハウスで積極的に行っている。同ライブのチケットの入手は応募者が殺到、キャパも少ないため、天文学的な競争率になる。それでもライブハウスでのライブにこだわるのはライブハウスが自分の原点であり、それを再確認するために演奏しているのではないだろうか。
≪著者略歴≫
市川清師(いちかわ・きよし):『MUSIC STEADY』元編集長。日本のロック・ポップスに30年以上関わる。同編集長を退任後は、音楽のみならず、社会、政治、芸能、風俗、グラビアなど、幅広く活躍。共著、編集に音楽系では『日本ロック大系』(白夜書房)、『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス 森山達也 from THE MODS』(JICC)、『MOSTLY MOTOHARU』(ストレンジデイズ)、『風のようにうたが流れていた 小田和正私的音楽史』(宝島社)、『佐野元春 SOUND&VISION 1980-2010』(ユーキャン)など。近年、ブログ「Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !」で、『MUSIC STEADY』を再現している。
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