2018年09月05日
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2018年09月05日
デビュー7年目、大胆に路線変更された「どうにもとまらない」のヒットで完全復活を遂げた歌手・山本リンダが続いて出したシングルが「狂わせたいの」。今から46年前、1972年9月5日のリリースだった。激しい振り付けとセクシーな衣装で大人の歌手に生まれ変わった彼女は、続けて「じんじんさせて」「狙いうち」とヒットを連ねて大活躍を遂げる。阿久悠と都倉俊一の作詞・作曲コンビによる諸作品は、その後彼らが手がけたピンク・レディーに多大なる影響を与えたことは想像に難くない。
山本リンダのデビューは66年。作曲家・遠藤実が主宰していたミノルフォンレコードから出した最初のシングル「こまっちゃうナ」がいきなりのヒットとなった。舌っ足らずな口調が特徴で、“可愛い子ちゃん歌手”といわれて人気を得る。その時代はまだジャンルが確立していなかったアイドル歌手の先駆けである。遠藤が最初に会った際に「ボーイフレンドはいるの?」と尋ねたところ、「こまっちゃうな…」と返答があったことから生まれたというエピソードはちょっと出来すぎの感もあるものの、本当なのかもしれない。その後の「夢みるわたし」「涙がとまらない」など、タイトルからしていかにもアイドルっぽい楽曲が続く。しかしその後は「ミニミニデート」などがスマッシュヒットに至ったものの、大きなヒットには恵まれないまま70年代へ突入し、71年秋にはキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)へ移籍して「白い街に花が」で再スタートを切ることとなった。
ターニングポイントとなったのは、阿久悠×都倉俊一コンビに作詞と作曲が委ねられ、移籍第2弾として72年6月にリリースされた「どうにもとまらない」である。当初のタイトルが「恋のカーニバル」だったというアグレッシヴな楽曲。切れ目の入ったパンタロンに赤いブラウスの攻めた衣装に過激な振り付けを披露してアクション歌謡と呼ばれた。振り付けは一の宮はじめ氏。マスコミの話題の的となったヘソだしルックはリンダ自身の提案だったそうで、「リオのビーチでかっこ良く歌うイメージだから」とのコメントを残している。
大胆なイメージチェンジが成功すると、当然続く新曲も同じ路線が敷かれ、やはり阿久×都倉コンビが供したのが、“世界千夜一夜シリーズ第2弾”と銘打たれた「狂わせたいの」であった。前作より激しさを増した曲調に合わせるように衣装もさらに大胆になり、背中が大きく開いた真っ赤なパンツルックが導入された。とにかく“攻めた”この歌は、今ならコンプライアンス的に無理かもしれない。この後も「じんじんさせて」「狙いうち」「燃えつきそう」「ぎらぎら燃えて」「きりきり舞い」と阿久×都倉コンビによるヒットが続き、72~73年にかけて第2次山本リンダ・ブームとでもいうべき大旋風が吹き荒れたのである。
山本リンダ「こまっちゃうナ」「どうにもとまらない」「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち]ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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