2018年07月31日
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2018年07月31日
本日7月31日は、岡崎友紀の誕生日。テレビ急成長期が育てた近代アイドル第1号と呼んでも過言ではない彼女も、今日で65歳を迎える。「おくさまは18才」からもう半世紀近くが経ってるなんてと、実際数字を見るとしみじみ思いますなぁ。
子役として芸能活動をスタート、中学生時代からテレビドラマの脇役やバラエティ番組のアシスタントに起用され、その親しみやすいキャラクターを徐々に認知させていた彼女を大ブレイクさせたのは、1970年9月29日放映開始された前述のドラマ、「おくさまは18才」だ。従来の国産ドラマにはない歯切れの良さで、一見不道徳とも思えるプロットを軽々と展開していく(それこそ、「おさな妻」なんて問題作も同時期にありましたよね)同ドラマで演じた憎めない若奥様、高木飛鳥は、そのまま岡崎友紀のパブリックイメージへと転じる。それこそ、中学生までの男子にとっては、憧れのお姉さま。近くに住んでいたら毎日でも会いに行きたくなりそうな、そんな存在だ。丁度同時期、「柔道一直線」で大ブレイクした吉沢京子の「妹キャラ」とは好対照である。その後しばらくの間ブロマイド売り上げのトップを競い合うことになるこの二人の活躍は、映画女優からテレビドラマのヒロインへという、「時代の顔」の移り変わりを象徴する出来事であり、まさに「近代アイドルの夜明け」と言っても過言ではない。
人気者の宿命と言えばやはり歌手デビューである。「おくさまは18才」の放映開始に先駆けること半年、1970年3月5日発売された「しあわせの涙」が、そんな岡崎友紀のデビュー曲だ。所属事務所の社長であり、同じく東芝音工で大ブレイクした小川知子を育てた長沢ローの作曲による、お嬢様路線のポップス。歌詞は「月刊明星」で公募したものを、「ゆうべの秘密」を手がけたタマイ・チコが補作ということで、新人のデビュー曲としては異例の力の入れようだった。オリコンで35位に達し、20週チャートインという健闘記録を残している。
活動初期に残された、東芝所属の「歌う若手女優」4名を集めたコンピレーションアルバム『初恋』(71年1月)では、曲の合間に大先輩・和泉雅子との軽妙なやりとりがフィーチャーされているが、今それを聴くと二つの世代が入れ替わる貴重な瞬間なんだなぁという思いが頭をよぎる。ちなみに他の二人は、ミス平凡出身の正統派美人・市川瑛子、そして現なかにし礼夫人でいしだあゆみの妹・石田ゆり。
ドラマの大ヒットにしたがって、歌手活動でもヒット連発…と言いたいところだが、やはり「古いやつだとお思いでしょうが…」の時代。無邪気な若奥様のポップな楽曲が受け入れられる状況は未だ出来上がっておらず、オリコンチャートの右半分の下の方(つまり80位以下)から這い出すことが全くできない。今聴き返してみたら、名曲がいっぱいなのに。「雲と渚と青い空」(71年6月)までのフォーキーなお嬢様路線から転じて、筒美京平とのめぐり逢いにより脱皮した6作目「天使はこうして生まれるの」(71年10月)は、橋本淳が手がけた中でも最も支離滅裂とさえ言われる歌詞にも注目したい佳曲だが、オリコンでは1週99位に顔を出したのみ。鈴木邦彦が手がけた次作「ファースト・ラブ」(72年4月)はその1個下という惨敗ぶりで、同じタイトルのアルバムを27年後死ぬほど売った東芝どうしたんだと言いたくなる。再度筒美京平を呼び戻しての「黄色い船」(72年5月)は、初期岡崎友紀の最高傑作と言える会心作で、ここから歌手としての真剣勝負が始まったと言っても良い。
ちなみにみんな大好き「おくさまは18才」を始めとする主演ドラマの主題歌のレコードは、あくまでもノンタイアップの通常シングルのサイクルと関係なく発売されており、他の放送媒体で一切プロモーションを行えなかったため、チャート順位に反映されるほどの売上記録を残していないのがまたも不条理である。「だから大好き!」の主題歌「ファースト・ラブ」が100位に入ったのも、それを考えると実は健闘の部類に入るのではないか。このあたりの状況は、70年代中期のタイアップ黎明期に至るまで改善されなかった。
そんな彼女の歌手としての大躍進が記録されたのは、10枚目のシングルとなる「私は忘れない」(72年10月)だ。従来より幾分保守的な方向に揺れたと思わせといて、実は彼女の表現力が楽曲の良さを引き立てている(奇しくもその前月にリリースされ大ヒットしたちあきなおみの「喝采」をライトにしたようなイメージもある)この曲は、遂にオリコン21位という聖域に達し、チャートイン記録も30週と、女性アイドルとしては異例のロングヒットに。その後も、平尾昌晃や三木たかしを起用しつつ、若々しさ以上にしっとり感を前面に出したシングル曲で、初期を凌ぐ健闘ぶりを示した。この時期の最高傑作と言えば、やはりドラマ主題歌の掟にはまりチャートインさえできなかった、あの「ラブラブライバル」のテーマ曲「風に乗って」(73年10月)に尽きる。のちに「和製ソフトロックの最高峰」とまで評されることになる、まさに大空を駆ける如きスピード感に圧倒される名曲だ。ミュージカル女優・島田歌穂の父親としても知られる島田タカホが、高木飛鳥自ら手がけた歌詞に見事なメロディとアレンジを施している。
伸びやかな地声での歌唱を封印し、清楚な裏声で歌うことが特徴となった、そんな中期の曲がり角となったのは、ユーミンの書き下ろしによる「グッドラック・アンド・グッドバイ」(76年4月)だ。アルバム『14番目の月』に収録された本人のヴァージョンより、約半年先駆けてのリリース。前年のアルバム『私の好きな歌』に収録された「何もきかないで」での、微笑ましいまでに完璧なユーミン物真似(!?)という前兆がコラボに結びついたのか。当時のユーミンシンドロームに乗って、多少話題にはなったものの、チャートインは逃し、後続アイドルへと道を譲った感もあったが、歌手としての代表作と呼べるものに巡り逢うのはまだ先のことだった。やっとその時をもたらしたのは、1980年6月リリースされた「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」である。
当初は謎の女性歌手・YUKI名義でリリース。ラジオを中心に話題となり、ヒット街道を躍進し始めた頃、その実体が明らかにされた。結果的にオリコン18位という、自己最大級のヒットを記録。ニューウェイヴ症候群の中、鮮やかな変貌を遂げた岡崎友紀は、同タイトルのアルバムでさらなる大胆な冒険を試みている。プロデュースを手がけた加藤和彦の時代先端感覚がものを言った結果だ。
その後は2002年に復活アルバムを密かにリリースするものの、主にミュージカル女優として、またエコロジー運動にも積極的に取り組む活動家として、決して歩みを緩めていない。まさに若奥様のマドンナに相応しい成熟ぶりは、アイドルを志す女性の皆様のお手本であってほしい。
岡崎友紀「しあわせの涙」『初恋』「黄色い船」「私は忘れない」「風に乗って」「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之&丸芽志悟
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の3タイトルが発売、10月25日にはその続編として新たに2タイトルが発売された。
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