2018年08月01日
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2018年08月01日
1972年8月1日は、郷ひろみ「男の子女の子」がリリースされた日である。
この郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」が筒美京平によるR&B歌謡の傑作であることは昨年の原稿(10月18日)で触れたとおりだが、当時所属していたジャニーズ事務所にとっても本格的にダンス/ソウル的な方向性を取り入れ始めた時期を象徴する一曲なのである。
そもそも初代のジャニーズがミュージカル映画『ウエストサイド物語』をきっかけに結成されていることから分かるとおり、ダンスとは不可分な指向性を持つ事務所およびタレントたちではあるのだが、1960年代にジャニーズやフォーリーブスがシングル発売した楽曲の多くはあくまでも当時の歌謡曲の範疇であった、和製ミュージカル風のナンバーはあっても、ダンス向きという意味ではエレキやGSの影響下でツイストやゴーゴーのムーヴメントが意識された程度であったと思われる。
それが70年代に入って突如としてコンテンポラリーな方向へと舵を切ったのには、大きな影響力を持つ存在が海の向こうで登場したという背景がある。言うまでもなくマイケル・ジャクソンを擁したジャクソン5である。まずは先輩のフォーリーブスがモータウン・ナンバーやスライ・ストーンの楽曲をカヴァーしたり、ジャクソン5のライヴァルだった白人兄弟オズモンズの作品提供を受けたりした。その一方で鈴木邦彦、筒美京平、都倉俊一といった日本の作曲家陣も、ロック/ソウルのサウンドを大胆に取り込んだ楽曲を書き下ろしていった。
また郷がソロ・シンガーとして活動したことから、バック・ダンサーとして踊るジャニーズ・ジュニアの面々がテレビの歌番組等でも頻繁にフィーチャーされるようになったのも、この時代を大きく特徴づける事態であろう。こうしたジュニアの中から後にジャニーズ・ジュニア・スペシャル(JJS)やメッツとしてデビューするメンバーも現れ、今日まで続くアイドル育成プロセスの黄金律が確立され始めたのである。
「男の子女の子」は60年代風のいなたさも感じさせる和製R&Bであったが、2曲目の「小さな体験」ではぐっと洗練されたシティ・ソウル風味のサウンドを聴かせた。おそらくはこの1972年前後にスタジオ・ミュージシャンのリズム・セクションの主流がジャズ出身者からロック/ソウルの経験を持つGS世代へと移行したものと推測される。
また1974年の「花とみつばち」は一聴すると沢田研二「危険なふたり」の影響下にあるオールディーズ歌謡なのだが、ドゥワップ風の男声コーラスが巧みなアクセントとして奏効している、続く「君は特別」ではスティ-ヴィー・ワンダーの「迷信」を思わせるクラヴィネットをフィーチャーするなど筒美による実験は続いたが、岩谷時子とのコンビによる第1期はここまで。次の「よろしく哀愁」からは作詞家を順次替えながらの第2期がスタートする。
郷ひろみ「男の子女の子」「小さな体験」「君は特別」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
榊ひろと(さかき・ひろと):音楽解説者。1980年代より「よい子の歌謡曲」「リメンバー」等に執筆。歌謡曲関連CDの解説・監修・選曲も手掛ける。著書に『筒美京平ヒットストーリー』(白夜書房)。
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