2017年04月14日

筒美京平から山下達郎まで、桜田淳子の楽曲は多彩なライター陣によるものだった

執筆者:馬飼野元宏

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4月14日は桜田淳子の誕生日。1958年生まれなので、今年で59歳を迎える。


桜田淳子の歌手キャリアは、その第一期にあたる14歳から19歳までの期間、常に阿久悠とともにあった。そして、20歳を迎える直前に阿久悠の手を離れたことで、新たな世界へ踏み込んで行ったのである。

桜田淳子というと、どうしてもアイドルとして人気絶頂だった10代の頃の作品に言及されることが多いが、阿久悠の手を離れ、中島みゆき作品「しあわせ芝居」をリリースして以降の後期作品にも、クオリティの高い楽曲が多い。ここでは、第2期の桜田淳子の音楽的方向性について、幾度かの転機を迎えた楽曲とともに紹介してみたい。


桜田淳子は1973年2月25日のデビュー曲「天使も夢みる」から、1983年9月5日リリースの「眉月夜」まで、通算11年半、シングル38枚、スタジオ・アルバム19枚を発表している。このキャリアを大きく分けると、デビューから74年8月25日発売の「花占い」までが第一期の前半にあたり、中村泰士をメインライターに、代表作「わたしの青い鳥」はじめ、天使~花をモチーフとしたドリーミーでピースフルな世界を歌っていた。


74年12月5日発売の「はじめての出来事」から77年9月5日の「もう戻れない」までの3年間は第一期の後半となる。この期間が歌手・桜田淳子の絶頂期で、メインライターが森田公一に交替し、初のチャート1位を獲得した「はじめての出来事」をはじめ、「十七の夏」「夏にご用心」「気まぐれヴィーナス」といったメジャー・コードのアッパーなポップスを連打。アイドル人気もピークを迎えていた。


ここまでシングル20作中、ドラマ主題歌の臨時発売を除き、すべて阿久悠の作詞である。それは、14歳でのデビューから19歳まで、一歩ずつ階段を上るように歩んできた道のりであり、恋の芽ばえを夢見がちに語る少女が、いつの間にかリアルな恋心を歌うようになり、やがては「人目忍んで二人になって」(もう戻れない)と、道ならぬ恋を匂わせる女にまで成長していたのである。


この「もう戻れない」では、75年4月の「ひとり歩き」以来の筒美京平が作曲で起用されている。筒美にとっては必殺の哀愁マイナー・メロディーで、かつて74年に南沙織「バラのかげり」小林麻美「ある事情」「アパートの鍵」麻丘めぐみ「悲しみのシーズン」で女性アイドルを一斉に大人のムードに方向転換させた時のパターンを踏襲している。メロディーの源流は71年に伊東ゆかりに提供した「誰も知らない」だろうが、20歳を迎える桜田淳子にとって(歌謡曲的には)必須の方向転換だったといえよう。20歳を迎えた女性歌手は、大人の女の歌を歌わなくてはならない、という不文律が70年代の歌謡曲にはまだ厳然と存在していたのだ。


だが、淳子自身はそういった路線変更には抵抗があったようで、80年代半ばに雑誌『週刊FM』で松任谷由実と対談した際に「20才になる頃、歌詞の中にお酒や煙草という単語を入れるようになったのが嫌だった」という旨の発言をしている。淳子のシングルで詞に「煙草」が登場してくるのも、まさにこの「もう戻れない」であったのだ。酒や煙草というより、不倫を匂わせる歌詞をテレビの歌番組などで披露することに抵抗があったのかもしれない。何しろ、通常は3ヶ月に1枚というシングル・ローテーションのところ、「もう戻れない」だけは、わずか2ヶ月で次の新曲にバトン・タッチしている。


この次の楽曲が、中島みゆきによる「しあわせ芝居」だが、この曲から担当ディレクターが谷田郷士から、麻丘めぐみ~岩崎宏美を担当していた笹井一臣に交替する。中島みゆきの起用は同社のプロデューサー・小澤栄三の指示によるもので、小澤はキャニオンに移っていた時期に、研ナオコの仕事で中島みゆきと接点があったため、淳子に中島作品を歌わせ、音楽面でのイメージ・チェンジ~脱・歌謡曲化を図ったのである。これが功を奏して、「しあわせ芝居」は1年半ぶりにオリコンのTOP3に入るヒットとなった。


「しあわせ芝居」は大人の歌手への路線変更を果たした1曲でもあるが、歌詞はそれほどアダルトなイメージではない。むしろ、阿久悠的な少女の成長記録では出てこなかったであろう、19歳の女性の繊細で複雑な心理を突いた詞であった。ここから1年は中島みゆき作品が2作、間に松本隆=筒美京平コンビのディスコ歌謡「リップスティック」を挟んでいるが、印象深いのは24作目の中島みゆき作品「20才になれば」だ。既に淳子は20才を迎えていたので、妙な感じもあったが、この曲のB面「サマータイムブルース」は松本隆=筒美京平コンビの作なのである。この時期、筒美作品がB面のみでA面は別の作家、という例は珍しく、中島>筒美という選択は、ディレクターの采配というより、淳子自身の意見によるもののような気もする。その後の淳子のシングル曲は第一期のように、少女の成長記録という厳然とした「路線」はなくなり、1曲ごとに作家陣がめまぐるしく変わっていく。


再びディレクターが角谷哲朗に交替した次作「冬色の街」は中村泰士が約4年半ぶりに作曲を手がけ、スマッシュ・ヒットした「サンタモニカの風」と次の「MISS KISS」では阿久悠が復帰。以降は尾崎亜美作詞・作曲の「LADY」、深町純作編曲のバラード「夕暮れはラブ・ソング」、或いは中島作品のカヴァー「化粧」といったニュー・ミュージック的な方向性と、馬飼野康二作曲の「美しい夏」やいしだあゆみ的な世界に挑んだ鈴木邦彦作曲の「神戸で逢えたら」などの歌謡曲路線が混在するようになる。


この中では尾崎亜美作品「LADY」が名曲の呼び声高いが、次回作も尾崎作品が続く予定だったところ、最終的には、淳子本人の原案を康珍化が作詞した「美しい夏」に変更されている。引退を目前にした同期のライバル(と呼ばれていた)山口百恵への思いが託されているとも言われている。中島作品にしてもそうだが、背伸びをせず、常に等身大の自分の、今の心情を歌っていきたい、というのが歌手・桜田淳子の矜持ではなかったか。

ちなみに、お蔵入りした尾崎作品「ギヤマンドール」は、その後1984年に松本伊代のアルバム『SUGAR RAIN』に収録され日の目を見た。


さて、この「LADY」発売と前後して、桜田淳子は意外な作者の楽曲を歌っている。それはアルバム『パーティー・イズ・オーバー』に収録された「センチメンタル・ボーイ」と「バカンスの終りに」。2曲とも作曲は山下達郎、編曲は達郎のバックでギターを弾いていた椎名和夫が手がけている。もともと別のアイドルに書き下ろした楽曲だったが、その歌手が結婚・引退で曲が宙に浮いてしまったところを、桜田淳子のディレクターに拾われ、アルバム曲として日の目を見たのであった。ことに前者はミディアムのハネたナンバーで、達郎的ポップ・センスと淳子の軽い歌い方の、意外な相性の良さを感じ取れる。ほかにもアナログ片面5曲を矢野顕子が作曲(うち3曲は作詞も)したアルバム『My Dear』も面白い出来で、後期桜田淳子の音楽性の高さ、ポップ・センスの良さは、あらためて注目されて然るべきだろう。


≪著者略歴≫

馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。

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