2017年02月01日
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2017年02月01日
スパイダースが初のヨーロッパ・ツアー(1966.10~11月)に出かけている間に「夕陽が泣いている」が空前の大ヒットになり、シングル6作目(フィリップスで4作目)で人気、実力共にNo.1のビート・グループ・アーティストになった後に発売された注目のLPがこの『ザ・スパイダース アルバムNo.3』である。まだGS(グループ・サウンズ)などという言葉もなかったが、この発売日の4日後の2月5日にザ・タイガーズが「僕のマリー」でデビューし、翌3月15日にはブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が発売されたのである。
このアルバムの内容は前年(66年)の暮れに発売された最新シングルヒットの「なんとなくなんとなく」のAB面、初の大ヒット曲「夕陽が泣いている」のAB面、更にその前のシングル曲「サマー・ガール」のAB面の6曲プラス外国曲のカヴァーという構成になっている。
前年4月のデビュー・アルバムが全曲オリジナル、6月のセカンド・アルバムが全曲洋楽カヴァー曲だったが、この第3作以後オリジナルと洋楽カヴァー折半の構成によるアルバムが3作続くことになる。従って本アルバムのための新録音は洋楽カヴァーの6曲だけではあるが、スパイダースの多彩な音楽性の魅力が存分に発揮された大変濃い内容のアルバムと云うことが出来よう。因みにソロ・ヴォーカルの配分はマチャアキが3曲、井上順4曲、かまやつひろし2曲、井上孝之2曲、アンサンブル1曲である。
洋楽カヴァーの内容はアニマルズのレパートリーが2曲(ブーン・ブーンはジョン・リー・フッカーのカヴァー)、トロッグス2曲、モータウンのフォー・トップス1曲、フォークのPP&Mが1曲、ウォーカー・ブラザーズ1曲(ウィルソン・ピケットのカヴァー)と幅広く、いずれも当時のスパイダースのステージの人気レパートリーであり、特にこの月にはウォーカー・ブラザーズが初来日して「ダンス天国」は大盛り上がりを見せていた。「ダンス天国」はこの後4月にシングル・カット(「バラ・バラ」のB面)されている。
オリジナルの5曲はハマクラさんの作詞作曲になる「夕陽が泣いている」のシングルAB面の他はかまやつひろしのオリジナル3曲でそれぞれタイプの違う名曲揃いであった。「サマー・ガール」はスパイダースの魅力の一つであるビーチ・ボーイズを彷彿させるコーラス・サウンドを生かした名作であり、カップリング曲の「なればいい」は後に日本のガレージ・ロックの古典的傑作と評価され、アメリカでもカヴァーされた不滅のロック・ナンバーで、翌年のミス・ユニバース日本代表になった飯野矢住代(ペン・ネーム:オリベゆり)が16歳で書いた唯一のシュールな作詞が話題になった。彼女は後にジャニーズ事務所の女性タレント第1号になったり真に波乱万丈の生活を送った挙句21歳で不慮の死を遂げている。
そして当時大ヒット中だった最新シングルの「なんとなくなんとなく」は英国のニュー・ヴォ-ドヴィル・バンドのサウンドを思わせる新鮮でほのぼのした楽曲で恐らくスパイダースの作品の中では最もCMなどに使用される頻度の高い楽曲であろう。因みに現在も某TVCMに起用されている。
稀代のメロディ・メイカーであるハマクラさんの作品でブレイクしたとは言え、やはりスパイダースの音楽の魅力はかまやつ作品の音楽センスに掛っていることを証明している。
以上バラエティに富んだ12曲収録のこの『アルバムNo.3』はレコーディングの音質も向上し、ザ・スパイダース初のヒット・アルバムとなったのである。98年に他の7枚のオリジナル・アルバムと共に初CD化されている。
≪著者略歴≫
本城和治(ほんじょう・まさはる):元フィリップス・レコードプロデューサー。GS最盛期にスパイダース、テンプターズをディレクターとしてレコード制作する一方、フランス・ギャルやウォーカー・ブラザーズなどフィリップス/マーキュリーの60'sポップスを日本に根付かせた人物でもある。さらに66年の「バラが咲いた」を始め「また逢う日まで」「メリージェーン」「別れのサンバ」などのヒット曲を立て続けに送り込んだ。
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